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「大和民族が統治、日本は同質的な国」講演で文科相
伊吹文部科学相は25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部の大会で講演し、「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」と発言した。
講演は「教育再生の現状と展望」と題して約40分行われた。約600人を前に「悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた」とも語り、多民族国家である米国との違いを強調。教育基本法など終戦直後に作られた法を見直す意義を指摘した。
さらに、同法改正を説明する中で人権をバターに例え、「毎日バターばかり食べていればメタボリック症候群になる。人権は大切なものだが食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べた。
政治家の日本と民族を巡る発言では、1986年、中曽根首相(当時)が「日本は単一民族」と発言、アイヌ民族の抗議を受けた。
2007年2月26日読売新聞
これは問題発言だ。伊吹さんと「同質」なんて言われたらプライドに関わると思う人も多いのではないでしょうか。もちろん御本人は「俺と同質だと認めてやるからありがたく思え」というつもりかも知れませんが、世の中にはそこらへんについて伊吹さんと考えの違うひともいるでしょう。相変わらずバカ殿はこれを庇っていますが、今の内閣は金持ちの同級生の家に悪餓鬼が集まってシンナーとかレイプとか人殺しをしたりシャンデリアを壊したりドンペリを床に撒いたりしてるのにお坊ちゃまが何も言えないみたいで面白い。
ところで伊吹さんに限らず政治家の「失言」とか「問題発言」が続くわけですが、伊吹さんは自民党支部大会での講演、シャブ中さんのも仙台市での講演、柳澤さんのは松江市での自民県議の決起集会におけるこれまた講演、というわけで、全部「講演」でやらかしてます。こういう講演というのは、聴衆が自民党の人だけとか、ファンの人ばっかりとかなわけですから、話し手としては油断しちゃいます。何を言ってもその場ではウケるわけですから、言葉の選び方一つとっても杜撰になりがちです。その一方では、講演者としてはウケない恐怖というものはやっぱりありますから、聴衆の知的レベルに迎合して下らない事も言ってしまう。ところでどうしてウケないのが恐いのかというと、聴衆があらかじめ「同質化」されているわけですから、話し手と聴衆との「同質性」が崩壊するのが恐ろしいのではないか。話し手と聴衆との「同質性」が失われると、会場がシラーッとしたり、悪くすると質問攻め、聴衆による演台の乗っ取り、吊るし上げ、拷問、リンチ、などと言う事態も起こりかねません。
そこで伊吹さんは聴衆との「同質性」をアピールしようと思いました。こういう場合何らかの要素の「同質性」を云々するよりも、話し手と聴衆が共に属する上位集団の概念に依拠したほうが簡単です。それが「民族」だったんですね。なにしろ「民族」というのは何らかの「同質性」を持ってることになってますから、あなた方も「大和民族」、私も「大和民族」、同じですよ、ということになります。しかも「大和民族」を日本における支配的な「民族」であると指摘することによって、聴衆のエリート意識をくすぐることも出来ました。「民族」の「同質性」を「国家」の「同質性」に拡大することで、エリート意識は絶頂に達します。日本には明らかに「大和民族」以外の「民族」が存在するにもかかわらず、存在するからこそ、そいつらの「異質性」を踏みにじる「民族的快感」に酔いしれ、それを共有して大いに盛り上がります。
ところが残念なことに、「大和民族」の「同質性」は講演会場の壁を乗り越えることは出来ませんでした。外側からは「お前ら言ってることおかしい」という声が聞こえてきます。会場の外の「大和民族」の皆さんは全然「同質」でなかったのです。ここで問題発生。文化的「同質性」を保持していない会場の外の連中は、はたして会場内の人々と同じ「民族」を構成すると言えるのでしょうか。むしろ「日本は同質的な国である」という信念を共有する「大和民族」は伊吹さんと会場の聴衆の皆さんだけなのであって、外の連中は「大和民族」ではないのではないか。「大和民族」も随分スリム化しまして、メタボリックシンドロームも恐くない。僕としても伊吹さん達と「同質」呼ばわりをされるよりはそのほうがいいな。僕は「ヤマト民族」ってことにしよう。松本零士に怒られるかも知れませんが。「山と民族」とか「山と傾国」とか。「トマト民族」でも構わないけど。
ところでこの「民族」てもんは一体何か、こいつがよくわからない。まあ、言語とか宗教とか生活習慣とか何らかの要素を共有する集団であるらしい、しかもその「何らかの要素」というのが古いものであるか古いものに起源を持っていて、それがどのくらい古いかというとこれはもう全然わからないくらい古いということになっているようです。しかしどういう要素の共有が必須の条件なのか不明ですし、そのうちのいくつがあればいいのかもわからん。英語を話すキリスト教徒がみな同じ「民族」ということにはならないようだし。
そこへいくとさすがは文部科学大臣、定義の困難な「民族」概念のとてもわかりやすい説明を提示してくれました。「民族」は何よりもまず「統治」に関わる政治的な概念であるということ、「悠久の」、すなわち非歴史的な概念であるということ、「民族」はその内部に何らかの「同質性」を有するものとされており、「統治」にあたってはこの「同質性」をはた迷惑にも「民族」の外部にまで及ぼすとともに、「民族」内の諸集団や個人間に存在する差異を抑圧すること、特に異質なものの存在を許容する「人権」概念とは鋭く対立することなどがよく理解できます。
なにしろ「人権」が「内臓脂肪」と同じなんですからよく理解できるのはいいのですが、「日本は日本人がずっと治めてきた」と言っているのは極めて難解です。「日本人が治めてきた」から「日本」なんで、中国人が治めてたら中国だよ。アメリカ人が治めてても「日本」ですって?ナルホド。「ずっと」っていつからだかわかんないですが、「日本人」が支配下に置いた場所を「日本」って呼んだのではないか。ところで「日本人」と「大和民族」は同じなんですかね。ウチナンチュやアイヌは「日本人」じゃないわけだ。「トマト民族」もダメでしょうな。どうせ僕は「日本の国を統治」してないし。伊吹さんの講演会場にいなかった「大和民族」でない人、つまり「非国民」の中には僕と「同質」ではない人もたくさんいるでしょうから、各々で面白い名前の「民族」を立ち上げるのもよいでしょう。「1人1民族」でいいじゃないのさ。
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