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□勝者なき“ばば抜き”「残業代ゼロ」騒動=佐藤俊樹 [中央公論]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070227-02-0501.html
2007年2月27日
時評2007 勝者なき“ばば抜き”「残業代ゼロ」騒動=佐藤俊樹
最初に聞いた瞬間、つくづく「センスがねえなあ」と思った。
あのホワイトカラー・エグゼンプションである。国会に出すの出さないのと、政界財界官界まきこんで、すったもんだのあげく、とりあえず七月の参議院議員選挙まで棚上げ、でいくらしい。
正直いうと、制度の是非以前に、そのどたばたぶりに私はげんなりした。どうにも筋が悪い。
一応解説しておくと、ホワイトカラー・エグゼンプションというのは、一定以上の条件をみたす非管理職のホワイトカラーに残業手当を出さなくてよいとする制度だ。それで「残業代ゼロ制度」などと逆宣伝されたわけだが、もともと日本のホワイトカラーは残業した分の賃金をちゃんともらえてきたわけではない。部署ごと、職場ごとに「払える残業手当の総額」が決まっていて、職位と実労働時間を勘案しながら分配する。監督官庁の厚生労働省もふくめて、そういうやり方できた職場がほとんどだろう。
「従来の制度だと手抜きをした人間が有利になる」という人もいるが、本気だとしたら、とても太っ腹な、恵まれた会社で働いてきたにちがいない。うらやましい。「払いきれない」「じゃあ、しかたないから払える分はくれ」。それが日本のホワイトカラーの大多数の現実である。
だから旧労働省側も、実際の労働環境がそれほど悪くなるわけではない、という読みがあったのだろう。机の上の計算なら、その通りだ。でも、例えば善意と好意でボランティアしてきたのに、「お前がただ働きするのはあたりまえ」といわれたら、どう思う? たいていの人は、賃金を踏み倒されるより、もっと腹が立つはずだろう。
ホワイトカラー・エグゼンプションとは、そういう話なのだ。机上の計算で帳尻が合えばOKなんて、大学の経済学の先生の発想。学者と同じなら、官僚(第一種公務員)はいらない。それこそ「給料返せ!」といいたくなる。
まあ、これも本当は意地悪な見方である。名は体を表す。身も蓋もなくいえば、この制度、結局のところアメリカ対策なのだろう。もともとアメリカの制度で、アメリカ企業が日本に進出する際に、アメリカと同じやり方だと手間が省ける。そういう絡みで小泉前首相が導入を約束しちゃった、のが真相らしい(経済産業省の『日米投資イニシアティブ報告書』など参照)。
「センスがねえなあ」と思ったのは、そこだ。アメリカから押しつけられて、なぜ必要なのか、国民にまともな説明をできないでいる。
日米関係なんて戦後ずっとそういうもんだが、だからといって、伝言ゲームじゃあるまいし、長ったらしい、おまけに日本人には舌をかみそうな英単語をそのまま並べて、どうすんのよ! それじゃあ、ゲームやおもちゃがほしいお子ちゃまが「みんなもっているからぼくにも買って!」とねだるのと同じでしょうが。
現政権からすれば、小泉前首相がブッシュ大統領に約束した後始末かもしれない。しかし、前首相なら、こんな無様なことはしなかったと思う。日本語に直して説明しただろう。
もちろんイラク派兵以上に、国内的には説明つかない話なので、例によって「一言」で押し通しただろうが、自分の言葉として引き取るか、アメリカからの伝言ゲームをやるか、そのちがいはとても大きい。そこで問われているのは、残業代をどうするかではない。政治家としての、官僚としての、あるいは企業経営者としての統治能力だからである。それがホワイトカラーのなかでも、特に管理職のお仕事なのだから、残業手当どころか、本給に関わる。いや、政治家や官僚や経営者の人たちに統治能力を期待する私が時代遅れなのかもしれないが、ならなんで、高度専門職ですでに残業代ゼロの私より給料が高いのよ……。
一連の騒動は“ばば抜き”みたいなものだった。誰も“ばば”を引き取らず、別の人に押しつけようとした。だから、無様なカタカナ英語が使われ続けた。でも、“ばば”は本当は切り札でもある。それを引き取ることで、はじめて本物の権力をにぎれるのだが、誰もそうしなかった。
そんな人は独裁者にもなっちゃうので、いいのかわるいのか、簡単には割り切れないが、ただの“ばば抜き”なら、素人にだってできる。
無党派がこわければ、玄人芸を見せること。それが宮崎県知事選挙の教訓だと思うのだが。
(さとう としき 東京大学助教授)
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