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東京を焼きほろぼしし戦火いま イスラムの民にふたたび迫る(イラク反戦の歌人)―「毎日新聞」
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/293.html
投稿者 天木ファン 日時 2007 年 2 月 26 日 22:31:25: 2nLReFHhGZ7P6
 

http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/

特集ワイド:思い託す三十一文字 イラク反戦の歌人・岡野弘彦さん

 ◇1945年 東京空襲、脳裏離れず

 忘れようもない東京の空襲と、はるか遠くイラクの戦火をだぶらせた82歳の戦中派、岡野弘彦さんの歌集「バグダッド燃ゆ」(砂子屋書房)が読まれている。現代短歌大賞も受けた。歌会始の選者でもあるわが国を代表する歌人はなぜ、反戦の思いを三十一文字(みそひともじ)に託すのか?【鈴木琢磨】

 ◇「美しい国」…薄っぺらすぎますよ

 まずは歌集からいくつか。

日本の 黄砂ににごる空のはて むごき戦(いくさ)を人はたたかふ

東京を焼きほろぼしし戦火いま イスラムの民にふたたび迫る

砂あらし 地(つち)を削りてすさぶ野に 爆死せし子を 抱きて立つ母

 ろうろうと宮殿で朗唱されるみやびさはない。生々しく、ごつごつしている。ホテルのラウンジに現れた岡野さんの穏やかな語り口からは、激しくも悲しい言葉のほとばしりがイメージできない。「ハハハ、そうですか」。ゆっくりジュースを飲むと、あの記憶はすぐよみがえった。1945年、東京−−。

 「僕のところにも赤紙が来ましてね。20歳でした。もう勇ましく送ってくれる時期ではありません。大阪の部隊に配属され、4月になると、米軍が上陸してくるなら茨城県の海岸だということで、軍用列車で東京へ向かったんです。夜、品川からいまの山手線に入って、大塚と巣鴨の間あたりでB29の猛爆撃に遭いました。焼夷(しょうい)弾が連なって落ちてくる。一面火の海。銃を忘れて舞い戻った初年兵は火にまかれた。男も女も、老いも若きも逃げまどった。ドラム缶が火を噴いて飛んでくるんですよ」

 阿鼻(あび)叫喚の闇の中、岡野さんはらんまんの桜を見ていた。のちに折口信夫の愛弟子となるだけに歌心があった。もちろん歌になるには歳月がかかった。

ほろびゆく炎中(ほなか)の桜 見てしより、われの心の修羅 しづまらず

焼けこげて 桜の下にならび臥(ふ)す 骸(むくろ)のにほふまでを見とげつ

 「桜並木がぱっと燃え上がったんですよ。火の回りがすごく早くてね。イチョウは焦げただけで、残っていましたが。空襲の夜が明けると、仲間の遺体や軍馬を処置し、黒焦げになった市民の遺体を積み上げ、ガソリンをかけて焼いたんです。忘れられますか、こんな異常な体験を……。そこに5日ほどとどまったあと、宿舎になった茨城の中学へ行きました。その校庭も桜が満開でしてね。花びらがはらはら、はらはら、軍帽や軍服に降りかかってきた。瞬間、ぶ厚い軍服にしみこんでいた死体の脂のにおい、焦げくささがぷーんと鼻をついたんです。はっきり思いました。おれは桜を一生、美しいとは思うまい、と」

       *

 敗戦後、ささくれだった気持ちを鎮めるため、大和から山城、そして近江を歩いた。京都から逢坂の関を越えてしばらく進むと小さな公園があった。そこに立つ石碑に目をやった。いにしえの歌が刻まれていた。

<ささなみや滋賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな>

 「壬申(じんしん)の乱で荒廃した都を悲しむ歌ですよ。魂がこもっているから迫ってくる。僕も浄化されていきました。あのころの日本は、ピース、ピース、デモクラシー、デモクラシー。イヤになっていましてね。そう、桜といえば、吉野でしょ。僕は、足を踏み入れられなかった。のちに山本健吉さんが誘ってくれましてね。歌詠みは桜に偏見を持ってちゃだめだ、素直になりなさい、と。机に西行の『山家集』が置いてあって、いまの歌人はこんな歌はできんだろうなんてはっぱかけられましたよ」

 イラク戦争がぼっ発したのは03年3月、日本は桜の季節がめぐってきていた。岡野さんは30年住み慣れた伊豆を離れ、東京に移り住んだばかりだった。妻が脳梗塞(こうそく)に倒れ、病院で看病が続く。自宅に戻ると、夜通しバグダッドから中継で戦況が伝えられている。まるでテレビゲームの戦争だった。でも、歌人は苦衷の真っただ中にいた。

ふたたびの戦火に 命つひえゆく イラクの民を妻に語らず

今生に 幾たびのこる桜ならむ。思ひしづめて 家ごもりをり

 そのイラクに日本は自衛隊を派遣する。戦後、初めてのことだった。すべてがアメリカに引きずられていく。反対のデモが巨大なうねりにまではならなかった。時流に流されていく。

日本人はもつと怒れと 若者に説きて むなしく 老いに至りぬ

 「まあ、豊かだからねえ。だいたい、負けて、こんなに日本人が太るとは思わなかった。敗戦国として、アメリカの傘の下に身を寄せたり、政治、外交で信頼を得ようとするのは生きていく知恵ですよ。だけど、悠久の歴史を持つ国がすべての面でアメリカナイズすることもないでしょ。美しい国のキャッチフレーズも、あるのは復古調、せいぜい明治ぐらいしか見ていない。せめて源氏物語や古事記まで見通して、日本人が何を理想として真剣に生きたかを知らなければ薄っぺらすぎますよ」

       *

 ホテルの庭を散策した。♪ここはお国を何百里……いまも軍歌が耳の奥底に残っているらしい。「あれで勝てるわけはなかったよ。軍国主義イデオロギーに殺されたんだね。折口先生が言っていました。若くして死んだ彼らの未完成霊を完成霊にするために祈らなければ、と」

 そんな岡野さんは天皇や皇族の歌の指南役を引き受けた。不思議といえば不思議である。

 「侍従長だった入江相政さんに口説かれまして。戦中派ですから、しばらく考えさせてください、ご猶予を、と申し上げたんです。すると、これはしたり、折口先生から国学を習われた岡野さんがためらわれるとは……。参りました。左からも右からも異端児扱いされてね」

 昭和天皇は岡野さんが講師を務めたNHKテレビ「短歌入門」を欠かさず見ていたそうである。この「バグダッド燃ゆ」を読まれたら、どんな感想が返ってきたでしょう? そう水を向けると、歌人は、ちょっと想像をめぐらせた。「岡野は厳しいこと言うね、ですか」

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ファクス03・3212・0279

毎日新聞 2007年2月26日 東京夕刊

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