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http://tizu.cocolog-nifty.com/heiwa/2007/02/247_2c68.html から転載。
第247号 柳沢発言と戦争の時代
日々通信 いまを生きる 第247号 2007年2月22日
発行者 伊豆利彦
ホームページ http://homepage2.nifty.com/tizu/
柳沢発言と戦争の時代
読者から次ようなメールをいただいた。
>私は終戦当時中学生、勤労奉仕の飛行場つくりに動員され、畳一畳にも満たない掘っ立て小屋に全員寝起きし、朝から晩まで土をシャベルで積み込み、積み込んだトロッコの運搬と低地への埋め立て作業に明け暮れておりました。食事は大豆の搾りかすに高粱が混ざった代用食に御代わりは無し、それに申し訳程度のおかずと、ネギの一切れが入ったような透き通った塩味だけの味噌汁だけ。
>重労働の疲労困憊と、空腹に堪えかねていたところ、滑空部員の特別増員募集がかかり、滑空部に応募すると、飛行場建設の土運搬とトロッコ押しの勤労奉仕を免除する。その代わり、将来の飛行士を育成するため、飛行場で朝から晩までグライダーの滑空訓練の特訓を行う、との甘言に吊られて、どうせ戦争で死ぬなら、鉄砲担いでとことこ歩く歩兵より、飛行機に乗って縦横に飛び回って活躍した方がよかろうか、と、今の重労働と空腹から逃れる方法はこれしかないと、即座に応募し、採用されました。・・・翌日、飛行場で見た戦闘機は、隼、雷電、鐘軌、飛燕、司偵、新司偵、・・・・・など、など。
>後に重爆撃機:呑龍の発着陸の勇姿を(当時はこれを万年筆と呼んでいました)目の前で見たときには、鳥肌が立つ思いで少年の胸が湧きました。
私が日立の戸塚工場に動員されたとき、中学生も女学生も動員されていた。
中学生は3年生で、女学生は2年生だった。国民学校の生徒も動員されていた。小学生は集団疎開で親元を遠く離れて暮らしていた。
私は高校2年、18歳で復員して学校に戻ったが、彼らは中学3年、4年で学校に戻った。18歳の私は私なりに戦後の混乱を生きて、そこから新しい人生に出発したわけだが、彼らはまだ思考力も定まらないうちに時代の激変にあい、混乱は私などよりひどかったのではないかと思う。
昨日の是は今日の非であった。昨日の非は今日の是であった。何が善で何が悪であるか。価値観の混乱はまぬがれず、戻ってきた学校の授業は空虚に思われたにちがいない。学校に行かずにうろうろ巷を彷徨する者が多かった。
特攻隊で死を覚悟した若者たちが復員して学生生活をつづけることになったが、学問や社会に対する信頼を回復することは容易ではなかった。特攻隊から闇屋へとか、共産党へとかいうようなことが話題になった。強盗、強姦など、元特攻隊員の犯罪も多かった。
戦争の時代の若者たちは<まともな>教育は受けなかった。しかし、多くの若者は戦争から学び、敗戦の混乱から学んで、独自の個性を形成し、それぞれの特性を生かして戦後日本の再建で活動した。
私は勤労動員で農村の貧しい生活を体験し、日立の工場では日本の各地から集められた徴用工や女子挺身隊員、そして数少なかった工員から、いままで知らなかった世界を知った。
軍隊では農民出身の兵隊や、下町の零細工場の工員、その他さまざまな生活の場から集められた兵隊、台湾や韓国の青年とつきあい、軍隊制度というのを体験して、それが、私の生涯の社会や文学の認識の基礎となった。
私たちは少年の頃から戦争の現実にさらされ、戦争の犠牲になることによって、戦争を知り、人間を知り、社会を知った。いまの子どもたちは現実から切り離され、学校に閉じ込められて、ひたすら知識をつめこまれている。
小学校は中学校の準備であり、中学校は高等学校、高等学校は大学の準備である。学校は受験のためにあり、日本とか世界とかの現実と切り離されている。
ゆとり教育はこうした狭苦しい知識の詰込みから子どもたちを解放し、現実との接触を通じて学ぶことを教えようとするものだったと思う。しかし、教師も親も詰込み教育のほかの教育を知らず、ゆとり教育、総合学習をどう展開していいかわからなかった。
いま、ゆとり教育が否定されて、ふたたびつめこみ教育に戻ろうとする動きが強まっている。戦争中の<まともな>教育は国家主義の教育だった。国家主義の教育は上がきめたものを下が鵜呑みにする<つめこみ>教育だった。教育で国が国民を支配しようとすれば、どうしても<つめこみ>教育になり、子どもの思考力、批判力、創造力を奪うことになる。しかし、いまはそれではやっていけないので、<ゆとり>教育が採用されたのだった。
日本の教育は明治以来ひたすら詰込み教育を推し進めてきたのだった。明治以来の日本には西洋に手本があり、ひたすらそれを追いかけなければならなかった。日本の生活に根づいた伝統は投げ捨てられた。
天皇制も軍隊も、日本の伝統ににはない西洋模倣だった。明治以来の日本の近代化の速度は世界の驚異だった。しかし、その急速な近代化は封建制の土台の上にすすめられ、民主主義的発展の方向は排除された。日本の教育はひたすらこの国家目的に従属させられ、生徒たちの自主性、自発性、創造性は無視された。
国民は人的資源であった。戦争の時代、子どもたちは人的資源の<国民>として育てられ、<人間>としては育てられなかった。<ヨイ子>は<ヨイ国民><ヨイ兵隊><ヨイ生産戦士>にならなければならない。そのための<つめこみ教育>だった。
音楽も、敵機の爆音を聞き分ける<聴音>が重視され、子どものときから<ボクハ軍人ダイスキヨ><アアウツクシヤニホンのハタハ>と歌わされた。戦争の末期になり、国民学校になると、軍歌ばかり歌っていたという。
日本を唯一のすばらしい国と思い、中国人や朝鮮人は卑劣で、臆病な人種とさげすんだ。アメリカ人は米鬼であり、イギリス人は英鬼、ロシア人は赤魔だった。そして日本は万世一系の天皇が統治する万国無比の国体であり、<まつろわぬもの>をうち平らげ<八紘一宇>を実現する<神国>だった。このような<国民>を生み育てるのが<女の役目>だった。<生めよ殖やせよ>というスローガンは戦力増強のスローガンだった。
戦争の時代には国民は<人的資源>であり、人間として尊重されることはなかった。兵隊は戦力であり、員数だった。個人としての生活や個性、その人間的感情は無視された。まさにそれは<戦う機械>だった。
柳沢発言が問題になっているが、それは個人を人間として尊重するのでなく、国のために教育しようとするいまの内閣の閣僚として当然の発言だった。ただ、<機械>というのはあまりに露骨で反撥を買うので失言だったとあやまったのだろう。そして、<女の役目>と言い換えたり、<産んでもらいたいう>と言ったりしたのだ。しかし、何のために<産んでもらいたい>のか。
あの大臣は自分が間違っているとは思っていないだろう。思うことが出来ないのだ。ただ、言葉の問題だと思い、自分は<国語が不得意>などと言う。しかし、女が<産む機械>であるだけではないだろう。労仂者は<生産する機械>だし、教師は<教える機械>なのだ。命令に従ってきまりきったことを機械のようにくりかえし、一人一人の<人間>は無視される。労仂者はひたすら<生産力>であり、<人的資源>である。これは彼をかばう安倍首相以下の政府与党の要人たちに共通する思想なのだ。だから<言葉尻>をとらえていつまでも非難するなというような発言も出てくる。
いま起こっている出来事は相互に関連して一つの流れになっている。そもそも少子化の根源には一人一人の子どもが尊重されないということがある。子どもを育て、大学までやるのが大変だということがある。
一人一人の人間、一人一人の幸福が尊重されない。はげしい生存競争の社会だ。その競争がいっそうあおりたてられている。職場でも競争させられる。競争こそ日本の生産を発展させるとして美化される。それがいまの日本の現実だ。
<戦後体制からの脱却>だとか<美しい国>だとか得意気に主張する安倍首相は、国家を強調して、人間を否定する戦争の時代に復帰しようとしているのだ。過去の日本を批判する者を<自虐的>だどと罵り、あの戦争を美化するのを<愛国的>だと考えるあさはかな<愛国思想>が国の政治の基本になるなら、日本はふたたび世界から孤立し、破滅の道を歩くことになるだろう。
掲示板で憲法をめぐる論争が活発になった。私もあらためて憲法について考えたい。私の生活、日本人一人一人の生活の問題として憲法を考え、ともすれば抽象的になりがちな憲法論、戦争論、平和論を、いまを生きる私たち自身の問題に引き寄せたい。
戦争を知らない世代の議論は抽象的になり、議論のための議論になりがちだ。私たち戦前、戦時、戦後を生きて、いまの歴史的転回点に生きあわせたものは、これを日本人の生活の問題として論じ、いまの現実を批判するとともに、若い世代にいくらかでも役立ちたい。
灰谷健次郎の「太陽の子」について短い原稿を書いた。沖縄には戦争の苦しみが集中している。戦争の時代だけではなく、戦後もながくその苦しみをにないつづけた。この苦しみ、その屈辱的な過去の体験のゆえに、いっそうやさしく思いやりのある人間としておだやかに生きる人間達を灰谷は描いた。その苦しみが沖縄に対する深い愛情を育て、苦しむ人々同士の強い結びつきを生んだ。
人間が人間として生きられない苦しみと悲しみ、それが人間の心を育て、人々の心を結びつけるのだろう。いま、愛国心を言い立てる人にはこの人間の苦しみと悲しみを見うしなっているのではないだろうか。国を愛するものは国を憂え、悲しむものだ。
2月20日は小林多喜二が殺された日だ。あの戦争では戦場だけでなく警察、牢獄でも多くの若者が殺された。兵営では若者から人間らしさをうばい、<殺す機械>をつくるために天皇陛下の名のもとに、<根性を叩き直す>リンチが繰り返された。
もうすっかり春の感じだ。おかげで今年はたいした風邪もひかずに過ごした。6カ国協議も明るい展望が語られている。拉致問題もこの展望の中で前進することを望みたい。みなさんも一日一日を大事にしてお過ごしください。
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