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(回答先: 従軍慰安婦対日非難決議の採択が決定。日本の保守派は完全敗北 投稿者 鬼畜ユダヤ 日時 2007 年 3 月 13 日 23:13:37)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=372956832&owner_id=5049163
たけ(tk)の日記
2007年03月14日
00:29 安倍さんのオウンゴールでしょう
「日本軍の慰安所政策について【永井 和】」によると
「軍慰安所」が「野戦酒保規程」の1937年9月29日の「改正」によって「野戦酒保に付設された慰安施設」であり、
上海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記には
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」(1937年12月11日)
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)
なんて書いてあったらしい。
上記文章には、軍の依頼を受けて日本国内で慰安婦募集をしていた業者を取り調べた警察が、本当に軍が慰安所を運営し、人身売買まがいの募集で女性を集めていたと知って「軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キ」と困惑している様子も描かれています。
だから、軍や上海総領事館が関与していたことは否定しがたい事実なのだ。その募集方法が「狭義の強制連行」であったかどうかなどは海外では問題にはなっていない。国家として「醜業」に手を染めてしまったこと自体が問題なのだ。
これは一種のセックススキャンダルであって、「他の国もやっているから」とか「強制じゃないもん」とかいっても、弁明すればするほど、真意を疑われる問題なのだ。
だから、率直に「それは良くないことです。だから、河野発言で謝罪して、女性基金も作っております」とかいった(安倍さんのホンネはともあれ)公式論を押し通す必要があった。
安倍ちゃんの「ぼくちゃん悪くないもん」式の弁明が、オウンゴールを決めたのであった。
(まだ、決まったわけではないかな?)。
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http://www.asyura2.com/07/asia7/msg/327.html
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~knagai/works/guniansyo.html
補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設
軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったことはすでに述べた。このことを裏付けてくれる、陸軍の規程を偶然に発見したので、紹介しておきたい。それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という陸軍大臣が制定した軍の内部規則である52)。・・
ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では、酒保において物品を販売することができるだけでなく、軍人軍属のための「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。・・
第一条改正の目的が、酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは、改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で、次のように説明されていることから明らかである。
「改正理由
野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」
このことから、1937年12月の時点での、陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは、この「野戦酒保規程」第一条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと、ほぼ断定できる。・・・
上海派遣軍参謀長飯沼守少将の陣中日記(『南京戦史資料集I』)
「慰安施設の件方面軍より書類来り、実施を取計ふ」(1937年12月11日)
「迅速に女郎屋を設ける件に就き長中佐に依頼す」(1937年12月19日)
同参謀副長上村利通陸軍大佐の陣中日記(『南京戦史資料集II』)
「南京慰安所の開設に就て第二課案を審議す」(1937年12月28日)
これらの記述から、この時上海派遣軍に設置された「慰安施設」は「女郎屋」であり、「南京慰安所」と呼ばれたことがわかる。逆に言えば、上海派遣軍の飯沼参謀長は、「女郎屋」である「南京慰安所」を軍の「慰安施設」と見なしていたことを、上記の史料は示している。
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