★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK31 > 1135.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
□都知事選は“後出し”の大物立候補者が有利!? [JANJAN]
http://www.janjan.jp/election/0703/0703071236/1.php
都知事選は“後出し”の大物立候補者が有利!? 2007/03/10
3月6日、浅野史郎・前宮城県知事(59)は、東京都知事選挙に立候補を表明した。同日、民主党は浅野氏支援を確認した。これにより、既に3選の出馬表明している石原慎太郎現知事(74)、建築家の黒川紀章氏(72)、元足立区長の吉田万三氏(59/共産推薦)など都知事選挙の立候補者が出そろった。
浅野氏と石原知事の両者は、ともに政党推薦を受けず、無党派で戦うが、浅野氏には民主党と社民党が、石原知事には自民党が実質的に支援することになる。ちなみに、石原知事が初当選した東京都知事選挙のときは、自民党が分裂した。
浅野氏が立候補表明した3月6日は、3月22日の告示まで残すところ、2週間あまりの時期。しかし、浅野氏は、初当選した1993年の宮城県知事選挙の際、立候補を表明したのは、告示日の3日前だった。
立候補表明の時期について、考えてみた。
東京都知事選挙では、8年前の1999年、現職知事である石原氏(元運輸大臣)が立候補表明したのは、3月10日。さらに、その4年前の1995年の東京都知事選挙で青島幸男参議院議員が立候補表明したのは、3月10日。
つまり、石原氏、青島氏ともに、立候補表明したのは、偶然にも3月10日だったのだ。このタイミングで立候補したことが、当選した1つの大きな要因となった、といえなくもない。
1995年と1999年の都知事選挙は、市民不在で既成政党が立候補者を決定したという経緯があり、知名度の高い人物が相次いで立候補したことで、保守陣営が分裂した。
このような既成政党に対する反発、乱立気味の保守系候補が、いずれも無党派層の支持を十分に得ていないと判断し、最後に立候補を表明することで有権者に対して、強烈なイメージを与えることに成功、石原氏、青島氏は、選挙に勝利した。
1999年の都知事選挙では、当初、再選を目指すとみられていた青島知事が辞職し、19人の立候補者が乱立、知名度の高い立候補者が多かった。自民党は、明石康元国連事務次長を推薦、これに反発して柿沢弘治元外務大臣が自民党を除名されながら立候補。民主党は、鳩山邦夫元民主党副代表(現自民党衆議院議員)を推薦。その他に、舛添要一元東大助教授(現自民党参議院議員)らが、既に、立候補を表明していた。
そして、石原氏は最後に立候補を表明した。選挙結果は、石原氏が1,664,558票(得票率30.5%)を獲得し、次点の鳩山氏にダブルスコアの大差をつけた勝利となった。一方、自民党の推薦を受けた明石氏は、690,308票(同12.6%)にとどまり、4位であった。
1995年の都知事選挙には、8人の立候補者が名乗りを上げた。4期16年務めた鈴木知事の後継として、石原信雄氏(元官房副長官)を自民、社会、さきがけ、公明が推薦した。岩國哲人出雲市長(現民主党衆議院議員)、大前研一氏(平成維新の会代表)、上田哲氏(元衆議院議員)など知名度の高い候補者が、既に、立候補を表明していた。そして、最後に立候補を表明したのが青島氏だった。
選挙結果は、青島氏が1,700,993票(得票率36.6%)を獲得し、政党の推薦を受けた石原信雄氏は、次点で、1,235,498票(同26.6%)。
一方、浅野氏が初当選した1993年の宮城県知事選挙は、ゼネコン汚職事件に伴う出直し選挙。当初、自民、社会、民社推薦の前副知事の立候補者の当選が有力視されており、事実上の信任投票になるとみられていた。
しかし、浅野氏が告示日の3日前である11月1日に立候補を表明、新生、日本新、さきがけ、社民連の推薦を受け、291,812票を獲得。前副知事の立候補者に約9万票の差をつけて当選した。
1993年には、6月に政治改革を巡って、衆議院が解散となり、その際、新党が結成された。浅野氏には、3つの新党が推薦したため、新党対旧党の構図に加え、刷新を強く訴えたことが功を奏して、勝利につながった。
浅野氏は、2月には都知事選挙の立候補を否定し、この時期になって立候補を表明した。タイミングがよかったのか否か。4月8日の投票で、その答えが出る。
(井上理)
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK31掲示板
フォローアップ: