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□「従軍慰安婦問題」に関する読売と朝日の社説 [3番目の落書き帳]
http://piazzacapitanato.at.webry.info/200703/article_17.html
「従軍慰安婦問題」に関する読売と朝日の社説
<< 作成日時 : 2007/03/10 17:37
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「従軍慰安婦」問題に関しては、興味がないわけではなかったが、ブログに書くにはあまりにも私は無知なので、書くのを避けてきた。ただ、朝日と読売と「両横綱」からの社説が出揃ったので、それを読んだ感想を書いてみたいと思う。
[慰安婦問題]「核心をそらして議論するな」(読売・3月7日)
慰安婦問題―国家の品格が問われる (朝日・3月10日)
読売社説が3月7日、朝日の社説が3月10日。朝日が3日遅れでこの社説を繰り出したのは、よく言えば「深く考え、万全を期した社説」悪く言えば「後出しじゃんけん」。まあ、要は読者を納得させる内容であればいいのだ。
読売の社説は簡単である。
1.「従軍慰安婦」を民間業者によるものであり、軍隊が関与した「慰安婦狩り」を裏付ける資料がない。
2.日本の首相が謝罪する必要はない
3.むしろ、事実関係をきちんと報告して、アメリカでの決議を阻止しなければならない。
それに対し、朝日社説はこんな感じ
1.「官憲による強制連行があったかどうか」という議論の立て方が問題の本質から外れている。
2 細かな事実にこだわって弁明せずに、人権問題ととらえ、歴史に向き合うことが大事。
3.今回の騒動で広がった不信は、自らで消す努力をすべきである。
うーん。私の感想を簡単に言えば、歴史を考える上で最も大切な「事実関係の確認」において、「朝日社説」ははじめから勝負を投げているような感じだ。だから、「官憲による強制連行があったかどうか」という問題を問題の本質から外さざるを得ないのだろう。
しかし、「焦点となる事実の有無」というファーストステップでこの始末。「細かな事実にこだわって・・・」と書いているが、この問題、「官憲による強制連行の証拠の有無」は「細かな事実」ではないと思うのだが、「ジャーナリズム」としての朝日はそう考えないのだろうか?
私は不勉強な人間なので、2つの社説を見てああだこうだとしか言えない。ただ、「事実関係」に関する論争を避けたという点で、「朝日社説」の説得力が著しく落ちてしまったのが惜しまれる。朝日が自分の主張を通したければ、「軍・官憲による強制連行の証拠」を粘り強く探し続けた方が良いだろう。
それにしても、コアな事実の有無を「細かな事実にこだわって・・」で片付けるのか。信じられないな。ジャーナリズムなんだろう?
▽関連記事
□[慰安婦問題]「核心をそらして議論するな」 [読売新聞・社説]
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070306ig90.htm
3月7日付・読売社説(1)
[慰安婦問題]「核心をそらして議論するな」
いわゆる従軍慰安婦問題の核心は、官憲による「強制連行」があったかどうかだ。
米下院外交委員会で慰安婦問題に関する対日決議案が審議されている。日本の軍隊が若い女性を「強制的に性的奴隷化した」歴史的な責任を明確に認め、日本の首相は謝罪すべきだ、という内容だ。
日本軍が組織的に「慰安婦狩り」をしたかのように決めつけている。だが、日本政府の調査でも、これを裏付ける文書はない。歴史家の間でもこうした事実はなかった、というのが「定説」だ。この決議案を提出した議員らは、これらを覆すだけの確かな資料があるのか。
安倍首相は国会で、決議案は「客観的事実に基づいていない」と語った。麻生外相も、同様の見解を示して「甚だ遺憾だ」と述べた。曲解に満ちた決議案である以上、政府は事実を正確に説明して、採択を阻止しなければならない。
首相は、慰安婦の募集について、「狭義の意味の強制性を裏付ける証言はない」と強調した。「官憲が家に押し入り、人さらいのごとく連れて行く、『慰安婦狩り』のような強制的なもの」、つまり、官憲による強制連行はなかったということを明確にした。
その一方で首相は、民間業者による、本人の意に反した「広義の強制性」があったことを認めた。だが、こうしたケースと、軍による強制連行とは、まったく違うものだ。
「強制性」を拡大解釈し、核心をそらして非をならす一部のマスコミや国会議員らは、今後も内外に誤った認識を広げるだけだ。
それにしても、この問題は、なぜ、何度も蒸し返されるのか。
その最大の理由は、1993年、当時の河野洋平官房長官が発表した談話にある。それには、慰安婦の募集に「官憲等が直接これに加担した」などと、日本軍が強制連行したかのような記述がある。だが、これが裏付けのないまま書かれたことは、元官房副長官らの証言ではっきりしている。
自民党の有志議員らは、談話のあいまいな表現が、誤解を生む原因になっているとして見直しを検討中だ。米下院の決議案は、「談話の内容を薄めたり、撤回したりする」ものとして、こうした動きをけん制している。しかし、不正確な談話を見直すのは当然のことだろう。
河野談話を発表した背景には、韓国側の圧力を前に「強制連行」さえ認めれば問題を決着できるとみた甘さがあった。政府は米下院決議をめぐり、再び、外交上の失策を繰り返してはならない。
(2007年3月7日2時0分 読売新聞)
□慰安婦問題―国家の品格が問われる [朝日新聞・社説]
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#syasetu2
【社説】2007年03月10日(土曜日)付
慰安婦問題―国家の品格が問われる
旧日本軍の慰安婦について、「官憲が家に押し入って連れて行くという強制性はなかった」などと述べた安倍首相の発言の余波が収まらない。
米国のニューヨーク・タイムズ紙は1面で「否認が元慰安婦の古傷を開いた」として、元慰安婦たちの生々しい証言を伝えた。米連邦議会下院では、日本に対して公式謝罪を求める決議案が採択に向けて勢いを増している。
一方、国内では慰安婦への謝罪と反省を表明した93年の河野官房長官談話に対し、自民党の議員らが事実関係の再調査を首相に求めた。メディアの一部にも、これに同調する向きがあり、国内外で炎に油を注ぎ合う事態になっている。
何とも情けないことだ。いま大切なのは、問題は何が幹で何が枝葉なのか、という見極めである。
首相発言の内容は、河野談話が出されて以来、それを批判する人たちが繰り返し持ち出す論理と似ている。業者がやったことで、日本軍がさらっていったわけではない。だから国家の責任はない、というのが批判派の考えだ。
今回、一部のメディアが「問題の核心は、官憲による『強制連行』があったかどうかだ」と主張したのも、それに相通じるものだろう。
しかし、そうした議論の立て方そのものが、問題の本質から目をそらそうとしていないか。
どのようにして慰安婦を集め、戦地に送り、管理したのか。その実態は地域や時代によって異なる。しかし、全体としては、植民地や占領地の女性たちが意思に反して連れて行かれ、日本軍の将兵の相手をさせられたことは間違いない。
河野談話が「軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と結論づけたのは、潔い態度だった。
細かな事実にこだわって弁明ばかりするよりも、民族や女性の人権問題ととらえ、自らの歴史に向き合う。それこそが品格ある国家の姿ではないか。
海外の誤解も指摘しておきたい。たとえば、米下院の決議案は日本政府が謝罪していないという前提に立っている。
だが、政府の主導で国民の募金によるアジア女性基金がつくられ、元慰安婦たちに「償い金」を贈り、首相名で「おわびと反省」を表す手紙を渡した。
補償問題はすでに国家間で決着ずみだとして、政府は女性基金という道を取った。私たちは社説で「国家補償が望ましいが、次善の策としてはやむをえない」と主張してきた。日本として何もしなかったわけではないのだ。
安倍首相は河野談話を受け継ぐと繰り返し、「これ以上の議論は非生産的だ」と語る場面が増えた。だが、首相が火種となった日本への疑問と不信は、自らが消す努力をするしかない。
日本は北朝鮮による拉致を人権侵害と国際社会に訴えている。その一方で、自らの過去の人権侵害に目をふさいでいては説得力も乏しくなろう。
従軍慰安婦問題 読売社説 [SUKIなこと]
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/771.html
投稿者 white 日時 2007 年 3 月 07 日 17:53:55: QYBiAyr6jr5Ac
いわゆる慰安婦問題についての草の根的考察。 [生きた証を刻め。]
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/770.html
投稿者 white 日時 2007 年 3 月 07 日 17:10:45: QYBiAyr6jr5Ac
「背筋寒くなる」朝鮮日報社説 [飯大蔵の言いたい事]
http://www.asyura2.com/07/senkyo31/msg/791.html
投稿者 white 日時 2007 年 3 月 07 日 21:58:30: QYBiAyr6jr5Ac
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