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□支持率急落「安倍官邸」機能せず [文藝春秋]
▽支持率急落「安倍官邸」機能せず(1)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070210-01-0701.html
2007年2月10日
支持率急落「安倍官邸」機能せず(1)
早くもチーム安倍は崩壊の危機に。悪いのは誰だ
「今年を“美しい国創り元年”と位置づけ、自ら先頭に立って、様々な改革の実現に向け、全身全霊を傾けて、たじろぐことなく、進んでいく覚悟であります」
一月二十六日、首相・安倍晋三は初の施政方針演説で、声を張り上げた。衆議院本会議場からは大きな拍手があがったが、前首相・小泉純一郎のときに熱狂した、前列を占める一年生議員の拍手は、通り一遍のものにすぎなかった。しかもこうした拍手は、自民党国会対策委員会が、「内閣支持率が下がっているから、盛り上げてくれ」と、内々に要請したものだった。最後列でじっと聞いていた小泉も、時折、思い出したように手を打ったが、力のこもったものではない。
政権発足からわずか四カ月にすぎないのに、安倍政権の支持率は急落し、早くも末期症状などと揶揄する報道も出はじめた。当初目論んでいた官邸主導は、“司令塔不在”で機能不全に陥った。宰相は、常に孤独であるといわれてきたが、こんなにも早く「孤独」を味わうとは、安倍自身も思ってもみなかった。
「みんなで作った政権というのは、意外にもろいものなんですよ」。こうした事態を、安倍政権発足直後に予言していた有力政治家がいる。自民党元幹事長・古賀誠だ。「森政権を作った時がそうだった。五人組で密室で決めたと言われ、けちがついた。みんなで決めたのに、局面が変わって悪いほうに向かうと、潮が引くようにみんな一斉に引いてしまった。そういうものだ。小泉がこれまでにない強みをもったのは、党内の大勢を打ち負かして、勝ち上がったからだ」。
チーム安倍が機能しない理由については、「司令塔となるべき官房長官に、誰もが猛反対した塩崎恭久を起用したことが、すべての元凶」というのがすでに自民党内の定説となっている。塩崎の官房長官就任は、本人が安倍に直接強く希望していた。安倍は「経済政策に明るく、外交にも精通している」、また「個人的にも特別な信頼を寄せている」ことを理由に起用に踏み切った。しかし、周囲が「それだけはやめたほうがいい」と進言したのには相当の理由がある。
「霞が関の評判が悪く、官僚を使いこなせない」、「国会対策の経験もなく、自分で泥をかぶろうとすることは絶対にない」、極め付きは「偉ぶるから記者も敬遠して寄り付かない」というものだった。
ただ、現在の首相官邸を取り巻く状況は、塩崎の力量不足だけでは到底説明できないほどに、深刻さを増している。安倍が起用した官邸スタッフは、みな違うベクトルで動き、まるで一体感がない。
山拓訪朝の衝撃
新年早々、安倍官邸が処理を迫られたのが、自民党前副総裁・山崎拓の単独訪朝問題である。山崎は、一月九日から北朝鮮にわたり、要人と会談する計画が持ち上がっていた。しかも、安倍にとって初の訪欧中の日程であり、官邸内には、「万が一、山崎訪朝で成果があると、安倍の面子は丸つぶれだ」という危機感が広がった。とくに拉致問題の解決は、安倍が一枚看板としてきた外交テーマで、北朝鮮の核実験を受けて、大きく圧力路線に傾斜していったさなかの「対話の模索」は、安倍路線に対する挑戦といってよい。山崎は官邸・外務省には相談せず、一方で非公式な形で米政府側と接触し、肯定的な感触をつかんでいた。訪朝直前には、「拉致被害者を連れ帰る可能性がある」などの情報まで飛び交った。
首相秘書官・井上義行は、昨年末に独自の日朝関係筋や外務省から、山崎訪朝情報を察知した。前首相秘書官・飯島勲は井上に対して「メディアにこれをリークして、“二元外交”の批判を浴びせることにより、訪朝計画そのものを頓挫させるのがよい」と助言したが、井上の動きが鈍く失敗に終わった。安倍は「日本が経済制裁を含めて圧力をかけている。基本的な方針をよく踏まえてほしい」と異例の調子で不快感を示し、塩崎も出発の朝にようやく電話をかけてきた山崎に自粛を求めたが、後の祭りだった。
▽支持率急落「安倍官邸」機能せず(2)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070210-02-0701.html
2007年2月10日
支持率急落「安倍官邸」機能せず(2)
早くもチーム安倍は崩壊の危機に。悪いのは誰だ
山崎は、九日に平壌入りし、北朝鮮外務省で、日朝国交正常化交渉担当大使・宋日【日/天】と会談した後、歓迎晩餐会に臨んだ。経済制裁で日本に入ることがなくなったマツタケが振舞われ、宋は「困っているのは日本のほうではありませんか。経済制裁は、わが国に対しては何の効果もあげていない」と強がってみせた。この晩は、朝鮮焼酎の眞露が四本空いた。宋との五回の会談は十五時間に及んだ。四日後、北京に降り立った山崎は、自民党幹事長・中川秀直にまず電話で報告したが、わずか二分間あまりの会話で、中川は「ご苦労さまです」としか発せず、不快感を隠さなかった。実は、山崎の平壌での行動には空白部分があるのだが、その間、総書記・金正日の側近とも会談したといわれている。その相手について、山崎は「誰にもいうわけにはいかん」と固く口を閉ざすが、「三月になったら、もう一度、北朝鮮に行くことになるかもしれない」と周辺に漏らしている。
山崎帰国後も官邸の誤算は続いた。拉致被害者の家族会の中から、山崎訪朝を評価する声が出たのである。拉致被害者・蓮池薫の兄透は、帰国した山崎に対して、訪朝の内容を詳しく聞きたいと、会談を申し入れた。蓮池透は、山崎に訪朝を「評価する」と伝えたうえで、「また北朝鮮に行くことがあれば、私も連れて行ってほしい」とまで頼んだのである。これには官邸が仰天し、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。そもそも山崎・蓮池会談が首相官邸にほど近いホテルで行われたことさえ、安倍の耳には入っていなかった。安倍は憮然とした表情で、「蓮池さんの話は聞いていないが、北朝鮮が誠実な対応をしない以上、圧力をかけていくのは当然だ」と述べるのが精一杯だった。後手に回った官邸側は、拉致問題担当の首相補佐官・中山恭子が、蓮池薫に電話して、安倍の面子をつぶされては困ると伝え、翌日「兄(透)はあくまで政府として一体となって、一枚岩で対応してほしいと、言った。自分(薫)が喜んでいるという事実はない」とコメントする紙を出させた。
平沼入院に凍りつく
もうひとつ、年明けの永田町に走った衝撃は、元経済産業相・平沼赳夫の脳梗塞による長期入院だった。平沼が体調の異変を訴えたのは、平沼を除く郵政造反組の復党が決まった直後の十二月六日、造反組の打ち上げの会合でのことだ。
「平沼が信濃町の慶応病院に緊急入院」の情報は、昨年末には安倍の耳に達していた。安倍の受けたショックは、他人が感じるよりはるかに大きなものだった。一報を聞きつけ、表情は凍りついた。
「平沼さんも実際は、相当追い込まれていたのかなあ」。安倍は周辺に呟いた。父の晋太郎は竹下登とは、首相になった方を、互いに支えると約束した間柄だったが、晋太郎は病に倒れ帰らぬ人となった。首相になった竹下は「安倍を先にしてやればよかった」と後に述懐する。そんなシーンを、安倍は思い起こしつつ、「万一、平沼先生の政治生命が絶たれるような事態があれば責任は自分にある」と自らの非力と政治の非情さを嘆いた。
平沼は、年齢的には一回り以上も離れるが、もともと安倍の兄貴分的な存在であった。先代の安倍派、三塚派の時代から、政治行動をともにし、思想的にも、我々が保守新時代の中軸を担うとの自負を抱いてきた。復党騒動でも、十二人の中で最後まで郵政民営化に賛成しない平沼だけを除外する結末は、安倍にとっては、まったく本意ではなかった。
そもそも、官邸の機能不全は、この郵政造反組の復党問題から露呈した。安倍は、当初「郵政造反組十二人とは、まず院内統一会派を組み、参院選後に復党してもらえばいい」との考え方だった。しかし、それは十月十日に赤坂プリンスホテルの一室で開かれた四者会談で覆される。元首相・森喜朗、中川秀直を前に、参院議員会長・青木幹雄は安倍に迫った。「郵政造反組を復党させないなら、私は参院選をぶん投げる」。安倍は「具体的手順などは幹事長にお任せすることにします」と、中川に事実上の方針転換を申し渡した。その後、選挙戦に影響を与えないよう、復党への作業は、沖縄県知事選が終わってからという申し合わせができた。県知事選を制した後、「復党願」の書式まで内定して、復党への手続きはスムーズに進むかに見えた。
しかし、広報担当の首相補佐官・世耕弘成や官房副長官・下村博文は安倍に、「下手に復党に動けば、古い自民党に戻ったとみなされて、支持率にも悪い影響を与える」となおも反対を伝えていた。そこに塩崎が「わかりやすい結論をお願いしたい」と記者会見でぶちあげる。塩崎発言は安倍と示しあわせたものではなかったが、「安倍の姿勢に揺れがある」と受け止められた。
これをチャンスとばかりに、中川は、造反組へのハードルを上げていく。「郵政民営化への賛成を明確にせよ」、「先の総選挙での反省と総括を求める」、「復党願のほかに誓約書を提出せよ」。根底には、かつての清和会での主導権争いで、平沼赳夫と激しく火花を散らした過去があった。四者会談の路線から外れていくことに、業を煮やした青木は電話で中川を怒鳴りつけた。「あんたの言っていることは、野党の幹事長の言うことだわね」。返す刀で、塩崎にも「余計なことは口にしないほうがいいわね」。
こうした混乱に終止符を打ったのは、小泉だった。安倍が電話で「郵政民営化賛成を条件として復党させますが、決して古い自民党に戻すことはありません」と、小泉の了承を求めたのは、十一月二十七日昼のこと。小泉は「わかった」とひと言発して、矛を収めた。
▽支持率急落「安倍官邸」機能せず(3)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070210-03-0701.html
2007年2月10日
支持率急落「安倍官邸」機能せず(3)
早くもチーム安倍は崩壊の危機に。悪いのは誰だ
一方、復党問題を通じて、「総理の顔が見えない」という批判が噴出したことに慌てた井上はさらに暴走する。復党が正式に決まった当日、安倍がNHKと民放の夕方のニュースに生出演したいと、ご丁寧に時間割まで組んで申し入れた。しかし、「我々は官邸の広報機関ではない。まず記者会見に応じるのがスジだ」とテレビ局側はこれを相手にせず、テレビ出演は、あっさり頓挫した。井上からの報告に、寝耳に水だった安倍は珍しく顔色を変えて叱責した。「こっちから(出演の話を)持ちかけたのか! そんなことをやってメディアが、はいそうですかと応じるわけがないじゃないか」。
世耕にも、批判の矛先は向けられた。「裏で絵を描いたのは実は世耕ではないか」とマスコミから問い合わせが殺到、「私は何も噛んでいません」と否定に追われることになった。図らずも、広報担当補佐官でありながら、井上と何の連携もないことが浮き彫りとなったのだ。
この直後に内閣支持率は急落する。支持率四十七%(朝日新聞)の衝撃に官邸は揺れた。当時、官邸で安倍と向き合った外相・麻生太郎は苦言を呈した。「復党の判断は正しいが、総理が“私が指示した”と連発するのはよくない。すべて自分にかえってくる。それに二カ月もかけてやるテーマだったでしょうかね」。
急落した内閣支持率に動揺した安倍は道路特定財源の一般財源化、しかも「揮発油税にもメスを入れる」ことを思いつく。小泉さえ手をつけることができなかった聖域に斬り込めば、世論の大きな評価につながるに違いない、そんな思いが込められていた。安倍にこれを進言したのは経済財政担当相・大田弘子だった。「三兆円近い揮発油税の一般財源化ができれば、将来の消費税率の引き上げ幅を圧縮することができます」と説いた。
大田の説明に塩崎がまず「それでいこう」と賛意を示すと、安倍も「自分が生まれた一九五四年から続く道路特定財源の制度を改めれば、戦後の古い体制からの脱却をアピールできる」と乗った。安倍の具体的な指示は、十一月二十八日の閣議後の閣僚懇談会でのことだった。
「とりまとめは、塩崎官房長官を中心にお願いしたい」。塩崎にとっては寝耳に水だった。知恵は出すが、足を使って根回しに動く調整役は、まったく経験がない。安倍は経済財政諮問会議でも「揮発油税も含めて見直しの対象とする」と明言した。退路を断った形であとは塩崎の“調整役”としての力量に委ねられた。
塩崎は、まず、政策集団NAISの会で旧知の間柄の幹事長代理・石原伸晃、旧建設省出身の経済財政担当補佐官・根本匠に相談した。しかし二人は「揮発油税なんてとんでもない。法改正のいらない自動車重量税で、なんとかするしか方策はない」、「党側の意見にも耳を傾けた方がいい」とにべもない。困惑した塩崎は、官房長官室に世耕を呼んだ。
「このままでは収拾がつかない。安倍の使い方も含めてどうしたらよいか」。外堀が埋まった段階で相談をもちかけられた世耕は、「今ごろ言われても策を講ずるのは無理です。こういう話は落とし所をまず確定したうえで、最初から、かませてくれないと……。後手に回っては手の打ちようがないです」と突き放した。
さらに青木幹雄を国会近くの事務所に訪ね、協力を求めたが、「必要な道路は作るというのでなければ、参院選の責任はもてん」とけんもほろろ。参院幹事長・片山虎之助も、塩崎に電話で「一体何をたくらんでいるのか。参院選で負けたら安倍内閣もそこまでだ」とすごんだ。
塩崎が最後の頼みとしたのは、安倍が忌み嫌う財務省出身の官房副長官補・坂篤郎だった。冬柴鐵三(国土交通相)・尾身幸次(財務相)との関係閣僚会議に坂を同席させると、空気を感じ取った坂は「千八百億円の一般財源化」の落とし所を作り、財務省と国交省への根回しもすませた。新聞には「官邸主導腰砕け」の活字が躍った。一段落ついた後で塩崎は、赤坂の料亭「佳境亭」で腹心の衆院議員・西村康稔らに酒を注がれ、「道路財源は、実際にはうまく着地したはずなのに、マスコミは穿った見方ばかりする」と嘆いて見せた。党内では「司令塔の資格なし」のレッテルが説得力を増した。
噴出するスキャンダル
さらに追い討ちをかけるように、スキャンダルが安倍官邸を襲った。安倍が一本釣りして起用した政府税制調査会長・本間正明が、妻ではない知人女性と原宿駅近くの官舎に格安家賃で入居していた問題が報じられた。またも鍵を握るのは塩崎だった。税調会長人事を主導した経緯のある塩崎は、一貫して「ルール上、問題はない。仕事は仕事で、きちっとやってもらわなくてはいけない」と援護を続けた。しかし自民党からは一気に更迭論が吹き上がる。驚いた世耕は、復党問題処理の反省から、問題発覚から三日後に「切るなら早いほうがいいです」と塩崎に進言したが、塩崎は「首をとるような問題ではない。乗り切れる」と突っぱねた。しかし、この問題が、テレビのワイドショーで連日、取り上げられ、一向に批判の嵐が止まない。安倍の信任の厚い総務相・菅義偉は、「もう、もちこたえられない。時間をおいては、また傷口を広げます」と安倍に直言した。
また内閣情報官・三谷秀史のとりまとめで、「本間と妻との別居状態は九年間に及ぶ。知人女性との関係についても、会長就任時にはわかっていた。官舎に入ったのは、小泉前内閣の当時、約四年前だった」ことなどが安倍や塩崎にも報告された。だが、自らに任命責任が及ぶことから、切るに切れない。結局、最後は本間が安倍と縁戚関係にあるウシオ電機会長・牛尾治朗に辞表を預け、安倍に電話で「これ以上、安倍内閣に迷惑をかけるわけにはいきません」と辞任を申し出た。
塩崎らは、本間の進退問題の裏には、「上げ潮派」と「増税派」の路線対立があるとの認識を持ち得なかった。塩崎は「官邸主導の路線に寸分の変更もない」と強がってみせたが、以後、誰もその言葉を額面どおりに受け止めなくなった。
十二月二十五日夜、安倍は、初めての首相としてのクリスマスを、昭恵夫人と連れ立って、友人であるアグネス・チャンの自宅で過ごした。アグネス夫妻と子供たちと、家族全員揃ってのアットホームなクリスマスディナーを堪能した。
▽支持率急落「安倍官邸」機能せず(4)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070210-04-0701.html
2007年2月10日
支持率急落「安倍官邸」機能せず(4)
早くもチーム安倍は崩壊の危機に。悪いのは誰だ
安倍の束の間の安らぎを吹き飛ばしたのが、行革担当相・佐田玄一郎の政治資金団体の不適切な会計処理である。疑惑発覚翌日の二十六日朝、安倍は佐田に「とにかく徹底的に調べてください」と指示するが、大事になるとの発想は、その時点で持っていなかった。しかし、この直後に記者会見で映し出された佐田の目は虚ろで、誰の目にも激しい動揺は明らかだった。それでも官邸の反応は鈍い。世耕も「大丈夫。事務所の実態はあったし、私的な流用もない」。官房副長官・的場順三は「私だったら責任をとりますがねえ。でも大臣のことだから……」などと他人事。一方、公明党などからは、厳しい反応が寄せられた。代表・太田昭宏はこの日の夕方、執務室の安倍を訪ねて「政治とカネの問題には、厳しくなくてはならないと認識している」と申し入れた。数時間後に佐田は辞意を固めて、安倍に伝えた。発覚した疑惑以外にも叩けばいくつも埃が出ることから、本人が早々に白旗をあげたのが実情だ。
その後も、「政治とカネ」をめぐる問題が次々に噴出する。農林水産相・松岡利勝側は、福岡県警が出資法違反容疑で捜査している資産運用コンサルティング会社の関連団体のNPO法人認証をめぐる審査状況を内閣府に照会していた。さらに松岡、文部科学相・伊吹文明らが、家賃ゼロの議員会館を主たる事務所の所在地としながら、「事務所費」として高額の支出を政治資金収支報告書に記載していた問題が浮上した。
すべては閣僚起用の際の「身体検査」の甘さに起因する。組閣において“論功行賞”を最優先したつけがまわってきたのだ。通常国会は「スキャンダル国会」の様相で、万一、佐田に続く閣僚辞任があれば、安倍政権に赤信号が灯る。
リポビタンDの差し入れ
もちろんこうした非常事態に、安倍官邸が手をこまねいていたわけではない。年明け早々から再建策を打ち出すこととなった。その一は、まず「メディアとの関係改善」である。安倍自身が、父の時代からの親しい新聞記者らに「メディア対策はどうしたらよいか」を問う一方、評論家たちとの会合をセットして、自らの発信力を強めようと躍起だ。
塩崎は、副長官、補佐官を集め、「復党も本間も前政権のおみやげだ。ここからは反転攻勢。メディア対策をやるぞ」と気勢を上げた。そのはじめの一歩のつもりなのか、塩崎は、一月十六日の夕方、官邸一階の記者クラブを訪ね、「ご苦労さまです」と各社のデスクに声をかけてまわった。突然の変身ぶりに記者たちは戸惑いつつ顔を見合わせたが、ほどなく大量のリポビタンDが差し入れられる。記者たちは「この栄養剤の効能には、疲労回復ならぬ、“支持率回復”が書いてある」などと、陰口とも冗談ともつかぬセリフを吐く者はいても、手を伸ばす者は少なかったために、冷蔵庫に在庫が眠ることになった。
「黒子に徹しろ」と森に怒られた世耕も塩崎、下村と“安倍晋三を支える3S”として緊密に連携をとるなど、積極的に動きはじめた。昨年末には講演を再開して、広報担当として発信力を強化しようと乗り出した。しかし、むこう一年の安倍政治の大方針を内外に示す「施政方針演説」の検討会議に世耕が加わることはなかった。3Sの三人から、「分をわきまえるよう」とたしなめられた井上が、世耕の仕掛けと逆恨みして呼ばなかったのが原因とされる。世耕は「また外された」と周辺に嘆いた。井上は公然と「世耕さんに任せておくと、みんなワイドショーになっちゃうからな」と言い放つ。
世耕は参院幹部の青木、片山とも関係が悪化したままだ。安倍が主張した参院候補差し替えの動きや、復党問題でのスタンスに、世耕の影を感じ取った片山が「お前の顔は見たくない」と激怒し、事実上、参院自民党には足を踏み入れることができない状態が続いている。
塩崎と日本版NSC構想などをめぐって対立した補佐官・小池百合子は、今もほとんど口をきかない日が続いている。最近でも二月に来日するチェイニー副大統領のカウンターパートをめぐって対米アピール合戦になっているという。
井上の孤立ぶりも深刻だ。最近では相談役だった飯島との関係もよくないようだ。井上には、いつまでも飯島のいいなりでは、いつしか「小泉再登板にむけた動き」に利用されてしまう、という警戒感がある。すべては「主小泉命」だった飯島に比べて、井上は、いずれは政界進出、という夢も追い続ける。官僚サイドが、井上に向ける視線の厳しさも変わっていない。各省庁の次官クラスに対しても、彼らが上げてきた報告書に自らアンダーラインを引きながら講釈を垂れて、あげくに「総理には自分から伝えておくから」と取り次がない。プライドの高いキャリア官僚相手に、「てめえ、この野郎!」と一喝する。見かねた官房副長官の鈴木政二が、「言葉を慎みなさい」と叱ったこともあるという。
安倍は、そうした良くない評判を聞きつけて、かつての首相を支えた秘書官たちに、直々に井上に、「秘書官の心得」を説いてほしいと依頼した。竹下を支えた波多野誠、小渕恵三を支えた古川俊隆らである。いずれも父の時代から、秘書同士の親交のあった人脈である。波多野らは「首席秘書官は、安倍の前に出ることがあってはならない。親父(=安倍)を支えてもらって有難うございます、と三歩下がって、頭を下げて回るくらいでなくては」と説いた。
安倍自身も、首相経験者らに教えを乞うた。一月二十三日、初めて官邸に赴いた森は、「支持率を気にして右往左往する必要はない。安倍カラーを自分の考えで出していけば、おのずと道は開ける」と激励した。翌日には、官邸に大勲位・中曽根康弘を招いて昼食をともにした。中曽根も「私の内閣も支持率三十九%でスタートした。そんなことは気にする必要はなく政治の王道をいけばよい。ただ自らが起用した官邸スタッフが、笛吹けど踊らずで機能していない。早急に立て直さないといけない」と苦言を呈した。
一方で、小泉は何も口出ししないことが、安倍への応援だとこころ得ている。一月十七日の自民党大会にも姿を見せなかった。前総裁が出席しないのは異例のことだ。二十六日の施政方針演説は目を瞑(つむ)って聴いたが、唯一関心を示したのが演説の結びに引用した福沢諭吉の言。
「出来難き事を好んで之を勤るの心」。「出典はどこだ?」と周辺に聞かせた。
安倍の苦闘は続く──。(文中敬称略)
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