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2007年02月08日
閑話休題 外務省OBの言論がつまらない理由
外務次官や駐米大使を経験したいわゆる外交のプロたちが、外務省を離れた後にろくな言論活動ができないのはなぜだろう。自由になった今こそ外交官として培った知見を国民に還元して世のために貢献できる鋭い発言をすればよいのに。そう考える人は多いと思う。しかし現実には世間に評価される発言が出来るOBは皆無といってよい。政府が主催するセミナーやシンポジウムに出席してみたり、政府関係の審議会や委員会に名を連ねたりはするが、一般国民に訴え、共感を得るような解説者や評論家に転身した外務省OBを私は知らない。
なぜか。それは一つには彼ら自身に内容がないからであり、もう一つは彼らがいつまでたっても政府や外務省と決別できないからである。
彼らが外務省で要職につけたのは立派な外交を行ったからではない。時の政権に擦り寄って出世競争を勝ち抜いたためである。そんな彼らに語るべき外交論はない。しかも権力組織の中枢にいる官僚にとって仕事は向こうからやってくる。その仕事は権力を擁護するという単純かつ受動的なものだ。そしてその仕事に必要な情報や予算は自らの努力なしに国家予算の分捕り合戦で転がり込んでくる。こんな状況下に甘やかされて何十年も過ごしていれば人間がだめになるのは当たり前だ。
外務省を辞めた後も外務省の庇護をうけて外務省の代弁者に甘んじたり、政府から与えられる審議会や御用ポストに名誉職を得て発言するOBが何人かいる。彼らは時々NHKなどのメディアに呼ばれ、おためごかしの話しをしてお茶を濁す。しかしやがて彼らは忘れ去られていく。まったく話しに内容がないからだ。面白くないからだ。
かつての同期であった田中均が時々マスコミにでるようになった。私は彼の言動に注目している。彼は私と違って外務省の中で要職を歩きマスコミの注目を集めてきた男だ。最後は小泉訪朝のお膳立てをし、その後は拉致問題で連日メディアに追われた。その田中は、しかし同期の谷内正太郎との次官競争に破れ自らの意思で外務省を飛び出して評論活動を始めた。果たして彼は第二の人生を外務省と決別し、本音で勝負しようとしているのだろうか。
残念ながらまだ田中はその覚悟が出来ていないようだ。日本国際交流センターのシニアフェローとか東大客員教授の肩書きは聞こえはよい。しかし彼がこれまでに行ってきた論評はあまりにも空疎である。すべてに中途半端なのである。私のように政府や外務省と対決している訳ではないから、その言動は政府や外務省に批判的になりきれない。ましてや仕事や情報は今でも政府や外務省に頼らざるを得ないとみえて彼らに厳しい言論はできないようだ。しかしこれからも政府や外務省の代弁をするような言動を続けるとやがて行き詰まるであろう。
外交評論家田中均に期待をかけたのか、あるいは気の毒に思ったのか、朝日新聞がコラム「時流自論」で彼をレギュラーの執筆者の一人として今年に入って使っている。しかしその言説は相変わらず中途半端だ。2月5日のコラムで田中均は「東アジア・日本・説明責任」というタイトルで書いていた。いくら読んでも言いたいことが伝わってこないのだ。東アジアの協力は重要だが体制がさまざまで容易ではないとか、最近の日本は説明責任がなくなりつつあると嘆く一方で、地方を訪れると日本の自然の美しさに感動するとほめる。安倍政権の「戦後体制の終焉」に賛同してみせるがそれを構築していく為には説明責任が求められると批判的な事を言ってみたりする。要するに何が言いたいのかさっぱりわからないのだ。田中君、政府や外務省から決別し、思う存分自分の考えをぶつけて生きてみよ。第二の人生を自分ひとりの力で切り開いてみろ。そんな君に私は心からエールを送りたい。
http://www.amakiblog.com/archives/2007/02/08/#000248
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