★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK30 > 756.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://plaza.rakuten.co.jp/31sakura/diary/200702060000/
2007/02/06国民の力が社会を作る [ パワーポリティックス非公式情報 ]
自民党に逆風が吹いている。厚生労働省の柳沢伯夫大臣が女性を「子供を産む機械」と表現したことが最大の原因だという。国民が怒れば、政府は揺らぐというわけだ。有権者は決して無力ではない。有りもしない「大量破壊兵器」を口実に、「キノコ雲」で脅しながらイラクを攻撃し、市民を殺戮しているアメリカ政府を非難する声が日本でわき起こらないのは、多くの日本国民がそうした行為を黙認しているからだろう。そう言えば、イラク開戦の障害になりそうな日本人がリンチのように攻撃されていたことを思い出す。リンチには政治家もマスコミも参加していた。「残留日本人孤児」を見捨てるような判決を裁判官が安心して出せるのも、多くの日本人がこの問題に関心を持っていないからだろう。
こうした雰囲気を作り出している最大の要因は教育と報道、つまり洗脳とプロパガンダである。振り返ってみると、教育勅語が出てきたのは1890年。この年に生まれた子供が成人するのは1910年。40歳代から50歳代、つまり社会の中心的な位置に達するのは1930年代から40年代にかけてのこと。このころ日本人が何をやっていたのかを考えれば、明治政府が行った教育の結果が自ずと分かる。「大本営発表」を垂れ流すマスコミ人もそうした教育を受けていた。
日本のマスコミは今でも「大本営発表」的な報道を続けている。どの国でも政府や大企業から圧力はかかるが、そうした力にどの程度抵抗できるかでメディアの「民主化度」が計測できる。そうした意味で「NHK番組改変訴訟」は日本のマスコミにも若干の希望があることを教えてくれた。
正直言って、「政治的圧力」を受ける番組を制作するようなNHK社員がいたことは驚きだった。訴訟の控訴審で局側が政治家の発言に過剰反応して自主規制したことが認められたというのだが、マスコミの現状は「政治家が発言する前に過剰反応して自主規制する」段階に達している。権力システムが動かない限り、政治家だけでなく、大企業や官僚の不正についても沈黙しているのが日本のマスコミ。遅くとも1990年代からはアメリカのネオコン(ストラウス主義者とキリスト教原理主義者)の顔色を伺いながら番組を作り、また記事を書いてきた。
NHKに限らず、マスコミはトラブルを嫌う。裁判にでもなれば費用もバカにならない。権力犯罪をスクープしても褒められるのは一時だけで、抗議でも受ければ左遷されかねないと話す記者もいた。「国策」に逆らえば、必ずトラブルに巻き込まれる。ならば、権力者と仲良くし、情報を貰いながら安穏に生活する方が得だということになる。
フジテレビの「納豆ダイエット」に関する捏造事件を聞いても驚きはしなかった。このような話はしばしば耳にする。「安く仕入れ、高く売る」というビジネスの鉄則を実践しているにすぎない。マスコミで最もコストがかかるのは取材である。事実を掘り起こしていく地道な作業の積み重ねで、見通したような結果が得られることは多くない。だから面白いとも言えるのだが、効率を求める人間にとっては許せないことなのだろう。まじめに取材した番組、あるいは記事が手抜きのものより高く評価されるとは限らない。視聴者や読者は講談調の面白い話、自分たちの聞きたい話を喜ぶ。そうした人間を作り出しているのが日本の教育だ。そして、ますます悪い方向へ導かれようとしている。
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK30掲示板
フォローアップ: