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□谷垣の密約バラスメント [AERA]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070129-02-0101.html
2007年1月29日
谷垣の密約バラスメント
これもまた、熾烈なポスト安倍レースの一現象ではあるのだろうか?
サブカル外相と慎重居士、季節外れの喧嘩で宏池会再結集は、はるか遠く……。
「サシで話した中身を外に漏らさないのがこの娑婆のならい。しかもあの話をなあ……」
麻生太郎外相がそのニュースを知っての最初の反応は、怒り心頭というよりも呆れ果てたといったものだったらしい。
ニュースというのは、昨秋の自民党総裁選で安倍晋三首相を相手に共に闘った谷垣禎一前財務相が1月15日、京都市の立命館大学で行った講演での「告白」だ。
「あまり単純化すると麻生さんに怒られるかもしれないが、『俺と一緒に組んでやろうぜ』というのが麻生さんの議論。ただ条件はひとつ。『俺に先にやらせろ』が麻生さんの条件」
「先にやらせろ」の意味
かつて岸信介元首相が大野伴睦元自民党副総裁に念書で後継を約したとされる故事を持ち出すまでもなく、国のトップリーダー争いを巡る密室の協議の中身を漏らしてしまうのは、いまなお仁義を旨とし情報を糧とする永田町の住人にとってタブー中のタブーである。すぐさま森喜朗元首相が講演で、
「みんな谷垣さんに本当の話をしなくなってしまう」
と忠告したのも無理はない。
ただ「あの話をなあ……」と麻生氏が慨嘆したのはそれだけではない。実はそのサシの会談は昨年2回あったのだが、ともに極めて微妙な政治状況下で行われたものだったからだ。
関係者によれば、1回目は昨年6月の通常国会閉会の直前、2回目は安倍政権発足後の11月末だったという。場所は、東京・内幸町の帝国ホテルのバーだった。
つまり1回目は、麻生、谷垣両氏が総裁選に立候補を表明する1カ月以上前の出来事で、さらに当時は、麻生氏の河野グループ、谷垣氏の谷垣派に加え、丹羽・古賀派も含めた同じ旧宮沢派(宏池会)の枠組みで「対安倍」の統一候補擁立の道が模索されていた時期なのだ。
もちろんサシの話なので中身は各説あるのだが、これまた関係者によれば、麻生氏がまず、福田康夫元官房長官は結局立候補は出来ず、森派は安倍氏擁立で固まるだろうと展望を語り、安倍氏に対抗するために「保守本流」、つまり分裂した旧宮沢派の大同団結を説いた。そしてその筋論にはおおむね谷垣氏も賛同したという。
当時、丹羽・古賀派の丹羽雄哉代表と気脈を通じていた麻生氏にすれば、後は谷垣氏が立候補を見送りさえすれば、一気に対安倍の統一候補に駆け上がることができるとの計算があったろう。微妙にすきま風の吹く丹羽・古賀派の古賀誠氏とて、麻生氏に対抗する候補者がいなければ敵対はすまいとの見通しもあったはずだ。
そんなわけで、谷垣氏が漏らした通り「俺に先にやらせろ」と麻生氏がその席で語ったとすればそれはとりもなおさず、「大宏池会の統一候補は俺でいいだろう」という意味になる。
お株奪う「失言」
それに比べると2回目は安倍政権発足後2カ月の時期であり、内閣支持率も急落する前で、「ポスト安倍」話などまだまだ絵空事の時期だった。従って「俺に先にやらせろ」というのも、「大宏池会の会長は俺でいいだろう」という意味になるのである。
麻生氏にすれば、河野グループを自前の派閥に衣替えする目算も立ち始め、将来の総裁選に備える上で多数派工作を仕掛けようとしたに違いない。
さて谷垣氏の告白、薄れるばかりの存在感を何とか示そうとしたとか、大宏池会構想の主導権争いで麻生氏を牽制したとか、解説は多々あれど、残ったのは覆水盆に返らずのたとえ通り、恩讐を超えて派閥が再団結する難しさを改めて浮き彫りにしただけである。慎重居士でなる谷垣氏の、かつての麻生氏のお株を奪う「失言」だったと言うよりほかない。
ライター 永田十三
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http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/1068.html
投稿者 white 日時 2007 年 1 月 16 日 17:55:19: QYBiAyr6jr5Ac
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