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http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20070215/mng_____kakushin000.shtml
「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。生存権を明記した憲法25条が、半世紀を経て再び法廷で争われる。1957年に提訴された「朝日訴訟」は人間らしく生きる権利とは何かを世の中に問いかけ、「人間裁判」と呼ばれた。格差の広がりが社会に影を落とす今、再び起こされた人間裁判は何を問うのか。朝日訴訟で原告側代理人を務め、今回も裁判に臨む新井章弁護士(76)に、訴訟の意義などを聞いた。 (社会部・佐藤直子)
「財政難を理由に、国は今、社会保障費をどんどんと削っている。『人間らしく生きるための最低限度の保障』を範囲をあいまいにしたまま、国民の生きる権利を脅かしている。直接の被告は自治体だが、真の狙いは老齢加算の廃止を決めた『国の方針』の是正。世界のトップクラスの先進国になった日本で、最低限度の文化的生活の保障とは何かを問い直したい」
――生活保護を受けていた「朝日訴訟」原告、結核患者朝日茂さん=当時(44)=の日用品をまかなう生活扶助基準額は当時、月額六百円。兄が苦しい生活の中から月千五百円の送金を始めたとたん、福祉事務所は保護費を打ち切り、さらに医療費の自己負担分として九百円を国庫に納めるよう保護処分を変更した。
「当時は戦後復興期。保守政権の超緊縮財政で社会保障費が削られ、朝日さんのような犠牲が出た点は現在の状況と似ている。今回争う老齢加算の廃止も、生活保護費削減を前面に打ち出した小泉前内閣の『骨太方針』の産物。国の方針ありきで、削減・廃止したことは明らかだ」
――生活保護世帯よりも生活水準の低い所得層が急増している。平成の「人間裁判」は世論の支持を得るのか。
「朝日訴訟はある意味で幸せな裁判だった。二審では敗訴したが、高度成長を背景に、国は裁判の成り行きとは別に生活保護基準を引き上げていったから。今は『格差』という壁が立ちはだかる。生活保護基準はこれまで、勤労者の生活水準の約60%に設定され、勤労者の生活レベル向上を追いかけるように保護費も充実してきたが、今は働いても生活保護世帯より貧しい『ワーキング・プア』と呼ばれる層が増えている」
「だから、この裁判が朝日訴訟のような共感を広げるのは至難だろう。でも、そんな状況に置かれている勤労者に政治が無為無策でいるのが本来、おかしい。社会的弱者同士が互いの足を引っ張り合わないように、政府の無策も真正面から問いかけたい」
――安倍首相は七月の参院選で憲法改正を争点にしようとしている。今、再び憲法を問う意義は。
「朝日訴訟を提起した半世紀前とは、確かに時代状況は違う。国は豊かになり、日本の生活保護法は実は、世界的に見ても高いレベルにある。しかし、当時も今も、資本主義の下で貧困者が再生産されている事実は変わらない。レベルの高い制度にも欠陥があるということも変わりはない」
「老齢加算廃止をめぐる訴訟は、全国で起こされている。憲法の存在理由が問われている今だからこそ、今日的な生存権の具体的な内容や保障条件とは何かを問題提起したい。朝日訴訟の時は二十五歳の駆け出し。たった二人の弁護団だったが、総評などの労組が一丸となって応援してくれた。戦後の新しい人権意識も味方してくれた。労働運動が衰退した今、どうやって支援を広げ、世論を盛り上げていくか。大きな課題になる」
<メモ>朝日訴訟 1957年8月、岡山県の国立療養所に入院していた重症結核患者朝日茂さん(44)が国を相手取り、生活保護の内容を争った行政訴訟。朝日さんは「月600円の日常品費では療養に必要な栄養がとれず、憲法25条に定めた『健康で文化的な最低限度の生活』などに反する」と主張した。一審東京地裁は、朝日さんの主張を全面的に認める画期的判決を言い渡した。国側が控訴し、二審東京高裁は朝日さんの逆転敗訴の判決を出した。朝日さんは上告後の64年に死亡、養子夫妻が訴訟を継承したが、最高裁大法廷は67年、訴訟の継承を認めず上告を棄却した。
老齢加算 1960年、原則70歳以上を対象に生活費相当の生活扶助費に上乗せする形で支給が始まった。大都市部では2003年度まで月額1万7930円。04年度は9670円、05年度3760円と減額され、同年度末に廃止された。厚労省によると、廃止前の05年7月時点で、70歳以上の生活保護受給者は約31万4000人。
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