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□問題発言 [国会TV]
▽問題発言(1)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070213-01-0601.html
2007年2月13日
問題発言(1)
「アメリカ人は怠け者だと日本の総理大臣が国会で発言した」とアメリカのメディアが報道して大問題になったことがある。
1992年の通常国会のことで、発言したのは宮沢喜一総理大臣である。宮沢総理は、当時のアメリカ社会が「ものづくり」よりも「マネーゲーム」に力が入っていることを、「アメリカの労働の倫理観に疑問を感じる」と予算委員会で発言したが、それが「怠け者発言」と報道された。
当時は日本製の自動車や電気製品が集中豪雨的にアメリカに輸出され、貿易摩擦が日米間の最大の問題であったことや日本経済がバブルの最盛期であったのに対してアメリカ経済は不況のどん底だったことから、発言はアメリカ人の怒りに火をつけた。
ジャパン・バッシングが起こり、「戦争に勝ったのはどっちだ」、「世界最新鋭の兵器を作れる労働者が怠け者なのか」といった発言から、「もう一度原爆を投下しないと日本人は反省しない」と恐ろしいことを言い出す上院議員まで現れて、アメリカ社会の怒りはなかなか収まらなかった。
もともとこの報道はアメリカのメディアが国会を傍聴して記事を書いた訳ではない。日本のメディアが宮沢発言を「アメリカ人は怠け者」と表現したのにアメリカのメディアが飛びついたもので、私は発言の全てをそのままアメリカ社会に発信すれば誤解が解けるのではないかと思ったが、現実には「怠け者」という言葉だけが一人歩きしていた。
ちょうど私がアメリカの議会専門チャンネルC−SPANの配給権を取得した直後の出来事だったので、私はC−SPANに呼びかけて日米双方向の衛星討論番組を企画し、その中に宮沢総理の発言の全容を挿入して全米に放送しようと考えた。衛星会社JSATが協力してくれて2時間の衛星討論番組が実現した。東京にある伊藤忠商事の社内スタジオとワシントンDCのC−SPANスタジオに日米の政治家を招き、両者の討論を全米1000のケーブルテレビ局と日本の80のケーブルテレビ局に生中継して、日米それぞれの視聴者から電話で意見を受け付けることになった。
日本側の出演者である加藤紘一官房長官(当時)は、アメリカ国民の怒りを鎮めようと冒頭から弁解に努める一方、アメリカ社会のすばらしさを賛美し続けたが、アメリカの視聴者からかかってきた電話はどれもこれも怒りどころか極めて冷静で、身構えていたこちらが拍子抜けするものだった。
「騒いでいるのはメディアと政治家だけ。メディアと政治家の言うことをそのまま信じるのは危険です。彼らは商売でやっているだけですから。我々の地域には日本人が住んでいて、日本人がどういう人たちかは分かっています。こんなことで関係が悪くならないようにする事の方が大事です。それより小錦(KONISHIKI)が横綱になれるかどうかの方に関心があります。外国人だからと言って差別はしないで下さい」
概ね以上のような内容の電話がアメリカ各地の視聴者からかかってきた。メディアに乗せられるのが大衆だと思っていた私は大衆に対する考えを改めなければならないと思った。
今年1月に「女は産む機械」という柳沢発言が報道されたとき、「何をバカなことを」とまず思った。次に「柳沢大臣を罷免したくとも今の安倍政権にそんな余裕はない。それは出来ないだろうが、辞めさせないと火種を抱え込むことになってこれも苦しいなあ」と政局の行方に思いを巡らした。その後で「何故そんなことを言ったのか」を考えた。
すぐに思ったのは人口調査をしている専門家の中に人を無機化して考える習性があるのではないかという想像である。遺族にとってはかけがえのない遺体も毎日扱っている葬儀屋にとってはただの物体でしかないように、日々出生率の統計を扱っている専門家には出産可能な女性たちを「装置」に例える事が日常化していて、説明を受けた柳沢大臣の頭の中にその言葉が残っていたのではないかと思ったのである。だから許されるという訳ではないし、想像は当たっていないかもしれないが、すぐにはそう思った。
その後の新聞報道によると、過去10年間の国会の答弁議事録を調べた結果、柳沢氏の発言には「機械」や「装置」に例える例が多いという。
2月7日に国会TVに出演した評論家の金子仁洋氏は、「唯物史観教育のせいだ」と言った。「人は死ねばゴミになる。人は働く機械」という思想はマルクス・レーニン主義の唯物史観だというのである。戦後の大蔵省にはマルクス・レーニン主義の影響が色濃くあり、だから金持ちを作らない税制、平等社会を作ることに力点が置かれた。そのことが格差のない一億総中流の国を作り、旧ソ連や中国から「日本はマルクスの理想を実現した国家だ」と賞賛されたが、一方では官僚支配の規制だらけの社会を実現させた。現在の日本政治に課せられた最大の課題は官僚支配からの脱却である。柳沢氏は大蔵省の官僚出身だから唯物史観の影響を受けていたというのが金子氏の見方だった。
ところで報道された柳沢発言の問題のくだりを読むと、年金の将来を考えると少子化の解消のために女性に頑張ってもらわないといけないという文脈で、その中で女性を「産む機械」に例えている。「女性は産む機械だ」と言った訳ではないが、問題なのはむしろ少子化を解消する役割を女性だけに負わせるようにとれるところにある。
少子化の原因の根本的な部分は経済にあって、子供を産まなくさせた大きな契機として日本では石油ショックとバブル経済後のリストラの影響が指摘されている。柳沢大臣もそれを知らないはずはなく、政治の責任も大きいわけだが、柳沢大臣の講演の全容が分からないので真意については何とも判断が出来ない。
ところがそのうちに「産む機械」が一人歩きを始めた。
▽問題発言(2)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070213-02-0601.html
2007年2月13日
問題発言(2)
テレビのコメンテーターが口々に「こんなひどい大臣は辞任すべきだ」と言い、街頭でインタビューされる大衆も同様の意見を述べていたが、そのうち「国民はみな怒っている」という話になった。野党は予算委員会冒頭から審議拒否に入るという。愛知県知事選挙と北九州市長選挙は柳沢発言の影響で野党に有利になると言う話まで出てきた。そうなるとちょっと待てよと言う気になる。
「メディアや政治家の言うことをそのまま信用はしない。自分の頭で考える」と言ったアメリカの視聴者とは違って、納豆ダイエットが放送されれば、翌日には全国の店頭から納豆が消えてしまうという国の国民だから、自分の頭で考える前にメディアと政治家に乗せられてしまうのではないか。それが気になって知り合いの普通のオバさんたちに聞いてみた。みんな「バカな事言ったよねえ」とは言うが、すごく怒っているかと言えばそれほどでもない。国会TVにかかってくる視聴者からの電話も、「怒っている」、「それほどでもない」の両方だった。
テレビでは在日外国人にインタビューして「欧米ならばあり得ない発言で辞任は当たり前だ」と発言させる。それはそうだと私も思うが、「欧米なら審議拒否などあり得ない」とは言わせない。私は「女性は産む機械」発言が海外に伝えられることも恥ずかしいが、野党が審議拒否をしている事が伝えられればそちらの方も恥ずかしい。日本が議会制民主主義の国かどうかが疑わしいと思われるからだ。
先進民主主義の国で与党が選挙公約に掲げたことを実行するのに野党が議会で物理的に抵抗して阻止しようとする国などない。与党には思う存分にやらせる。国民が支持したのだから当然の話だ。その結果国民にまずいことが起きてくればそれを批判し、次の選挙で勝利を狙う。それが野党のやるべき事である。物理的抵抗をして法案の成立を阻止しようというのは政権を取ろうとする野党のやることではない。
かつての社会党は過半数の候補者を立てることをしない政党だった。つまり政権交代を狙ってはいないわけで、労働組合のようにストライキをして修正を勝ち取る事だけを目標にしていた。与党に代わって国家の経営に当たろうという気はなく、難しいことは与党に任せ、その与党と取引をする事だけをやってきた。だから国会が開かれる度に審議拒否を行ってきたのである。審議拒否によってほとんどの法案は議論のないまま成立することになり、そのうち審議復帰を促すために与党の国対から金が流れるようになった。それが55年体制末期の国会の姿である。社会党を野党と呼んできたメディアもお粗末だが、それを信じてきた国民も愚かだったと言うことになる。
90年代に入って政治改革が急務となり、やっとこの国にも政権交代を目指す野党が現れた。ところがその野党が今度の問題では国会冒頭から審議拒否に入ってしまったのである。おそらく国民がみな怒っていると読み違えて勝負に出たのだろう。後になって民主党の小沢代表は「もっと女性が怒ると思ったのに」と国民の方に不満をぶつけたが、むしろ世の中の空気が読めていなかったことを反省すべきではないか。政権を取るためには自分たちの周辺だけでなく、全国津々浦々の空気を読めなければならないのだから。
審議拒否以上に驚いたのは、この問題で愛知県知事選挙と北九州市長選挙が著しく影響を受けるという話である。一体、地方政治と柳沢発言がどう関係するというのだろうか。
政党にとって選挙は党利党略そのものだから、政党が柳沢発言を利用しようとするのは理解できる。しかしメディアがそれで大騒ぎするのは、何を考えているのだろうと思ってしまう。地方選挙に柳沢発言を利用しようとする党利党略をやんわり批判するとか、茶化してみせるなら分かるが、地方政治のことは全く触れずに、ひたすら柳沢大臣の首が飛ぶか飛ばないかの一点での報道振りにはあきれ返るしかなかった。
選挙の結果は与野党1勝1敗に終わった。柳沢発言が発覚する以前に予想されていた通りで、形の上での影響はなかったが、野党は予想以上に票を伸ばした。
メディアの大騒ぎの結果、仮に与党が愛知県知事選挙を落としていたら、おそらく柳沢大臣は責任をとって自ら辞表を出したと思う。それを機に安倍総理は小幅な改造人事を行い体制固めを図っただろう。選挙の敗北と主要閣僚の辞任は安倍政権にとって絶体絶命の危機となり、自民党内には安倍降ろしの風が吹き荒れることになったかもしれないが、それは安倍政権が総主流体制のぬるま湯から抜け出て背水の陣をしく事を意味し、逆に政権の緊張感と強さを高めたかもしれない。
しかそうはならずに安倍政権はこれまで通りの体制で通常国会と統一地方選挙、参議院選挙に突き進むことになった。諸々の火種と不安材料を抱えたままの政権運営である。こちらの方が苦労の道といえるかもしれない。
一方の小沢代表は、柳沢大臣が辞任しなかったことで、内心にんまりしているかもしれない。辞任していれば一過性で終わった話が、これから何度も使えることになる。
国会冒頭で審議拒否という第一波の揺さぶりをかけ、野党に不利になる直前にそれを終わらせ、今度は次の揺さぶりのタイミングを見計らっているに違いない。ボディ・ブローのような戦法だ。
しかし小沢代表のなりふり構わぬ選挙至上主義は、ともすると党内や国民の批判を招きかねない。審議拒否など「普通の国」ではありえない異常な手段なのだから、あまり策を弄しすぎると、策士策に溺れることにもなる。
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