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http://www.okinawatimes.co.jp/day/200701131300_04.html から転載。
辺野古基地反対派 座り込み1000日/着地点見えぬまま
米軍普天間飛行場の移設先として日米が合意した名護市辺野古の海辺で、反対派の住民らが組織的な座り込みを始めた二○○四年四月十九日から、十三日でちょうど千日。普天間移設問題の着地点が依然として見えないまま、運動はさらに長引きそうだ。
座り込みを続けているのは、新たな基地建設を拒み、ジュゴンのすむ海の環境を守ろうと主張する住民や平和運動家ら。辺野古漁港近くのテント小屋に毎日十人ほどが詰める緩やかな交代制を組み、県外の学生らが参加することも。
まとめ役の一人、嘉陽宗義さん(84)は辺野古集落の長老。終戦間際、海軍通信兵として乗っていた艦船がベトナム近海で空爆を受け重傷を負った。左腕と腰に今も生々しい傷あとが残る。「人を殺し、地獄を見てきた。戦争のための基地はいらない」と、月に二回はテントを訪れる。
辺野古の海は嘉陽さんにとって身近で神聖な場所。戦後、貧しさの中で海から生活の糧を得ることも多かった。四十年前には海水でキリスト教の洗礼を受けた。「近くの米軍基地からの汚水で、辺野古の海は死にかけている。殺してはいかん」
座り込みは○四年四月、普天間飛行場を辺野古沖に移設する計画(海上案)で、国がボーリング調査に乗り出した日にスタート。舟やカヌーによる海上の阻止行動も展開され、計画は頓挫した。
事態打開のため日米両政府は昨年五月、キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する計画(沿岸案)で新たに合意。その具体化の動きに嘉陽さんらは神経をとがらせる。
移設に賛成する住民との間にいさかいも生じ、静かだった集落は分断の苦しみを味わった。「賛成か反対かで親しい友人や親類が離れていったことが一番つらい」と嘉陽さん。それでも「今やっていることは正しかったと五十年後、百年後の子孫が認めてくれる」と信じている。
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