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(回答先: じわり「小泉再登板論」 [産経新聞] 投稿者 white 日時 2007 年 1 月 10 日 13:08:43)
□「小泉再登板」の影におびえる安倍 [文芸春秋]
▽「小泉再登板」の影におびえる安倍(1)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070110-01-0701.html
2007年1月10日
「小泉再登板」の影におびえる安倍(1)
支持率急落に悩む若き後継者の姿に、“政局の天才”は何を思う──。
「本院は安倍内閣を信任せず。右決議する」。民主党代表代行・菅直人の野太い声が衆院本会議場に響いた。
首相・安倍晋三が最重要法案と位置づけた教育基本法改正案が参院本会議採決を迎えた昨年十二月十五日。民主、共産、社民、国民新の野党四党は安倍内閣不信任決議案の共同提出に踏み切った。九月二十六日の安倍内閣発足から三カ月弱。「教基法改正阻止」の大義名分があるとはいえ、米国流で言えば、まだメディアも政権批判を控える百日間のハネムーン期間中である。民主党内でも前日までは「時期尚早」論が主流だった。菅も、代表・小沢一郎、幹事長・鳩山由紀夫も例外ではなかった。
そんな野党第一党の尻を思い切り蹴飛ばしたのが、衆参各四人のミニ政党、国民新党である。「民主党からは歯切れの悪い対応しかなく残念だ。国会対策と選挙は連動している。参院選では私どもなりにやっていくこともあり得る」。十四日午前、緊急記者会見を開いた国民新党幹事長・亀井久興は煮え切らない民主党の態度を非難し、参院選の選挙協力に応じない可能性にも言及した。津和野藩主の血筋をひく旧華族の出で、ふだんは物腰の柔らかい亀井には珍しい気色ばんだ口調だった。国民新党代表代行・亀井静香も小沢に電話し「『剛腕・小沢』の名が泣く」とねじを巻いた。
もっとも、小沢を動かしたのは参院選を睨んだ野党共闘への配慮ばかりではない。迷いを吹っ切らせたもう一つの決め手は、十二月に入りいよいよ顕著になった内閣支持率の急降下だった。マラソンにたとえれば、視界から消えかけた安倍の背中が再び間近に見えてきた、そんな図式だろう。ダブル亀井の叱咤は、選手にスパートを指示する鬼コーチの一喝に似ていた。
衆院本会議は菅の独壇場だった。タウンミーティングの「やらせ」問題から靖国神社参拝をめぐる首相就任前と後の発言のぶれまで、十一項目にわたって安倍不信任の理由を並べたて、与党席からはヤジと怒号を、野党席からは拍手と声援を、交互に引き出した。自民党議員を「恥を知れ!……という言葉がタウンミーティング報告書を読んだ時に頭に浮かんだ」と叱りつけたかと思えば、野党議員を「タウンミーティング開催には十九億九千万円もの税金が投入されている。総理の俸給返納(約百万円)で解決しようとすれば、いったい何年かかると思いますか、皆さん? 五百年ですよ、五百年!」と沸かせる。オーケストラの指揮者を思わせる議場操縦術だった。
顔を紅潮させた小泉
議場がどんなに騒然としても、長老たちが座る最後列の議席は通常別世界の静けさを保っている。議員生活も半世紀近くになれば、ヤジも子守歌に聞こえるのだろう。この日も現職最長、議員在職四十七年の元首相・海部俊樹は深々とお辞儀をしたような姿勢で瞑想にふけっていた。同じ列の最年長八十二歳の中山太郎も腕組みをしたまま彫刻のように動かない。その間に前首相・小泉純一郎の白い顔があった。グレーのスーツに紺のネクタイ。二人の長老とは対照的に、厳しい表情で演壇の菅を視野に捉えていた。「こんな小泉内閣は信任することはできない」と菅が言い間違えた際は、エキサイトしたのか、顔を紅潮させ腰を浮かせかかった。その一点だけ長老席には似つかわしくないエネルギーを放っていた。
首相退陣後、小泉の姿を永田町で見かけることは少ない。国会に出てくるのは週二、三回の本会議開催日だけ。それ以外は神奈川県横須賀市の自宅や高輪議員宿舎で音楽鑑賞を楽しむか、好きな観劇などに出掛ける悠々自適の日々だ。
国会に来ても衆院第一議員会館三階にある事務所に立ち寄ることはまずない。事務所には、手前の秘書部屋に前首席首相秘書官・飯島勲が、奥の議員用の部屋に政策秘書を務める姉・信子が常時詰めているが、ほとんどの用事は電話で済ませ、顔を合わせる事は少ない。小泉が部屋にいると分かれば、議員から陳情団まで、ひっきりなしに来客が押し掛けかねないからだ。
五年半の蓄積疲労が人に会うのを億劫にさせるのか、最近の小泉は以前にも増して気を許す古くからの知人以外会おうとしない。「一年間は一切の取材に応じない。すべて断ってくれ」と飯島に命じ、自身も頑なに沈黙を守っている。国会内で記者団に囲まれても、振り払うようにして足早に立ち去るだけだ。
そんな小泉が空き時間によく立ち寄るのは国会議事堂四階にある国会図書館分館である。小泉は知る人ぞ知る図書館好き。若い頃からこの議員閲覧室を憩いの場にしてきた。「動」のイメージが強い小泉だが、ふだんは「静」を好む。首相就任前の小泉が、一定の時間を隔てて周期的に噴き出す温泉を意味する「間欠泉」のような政治家だと一部で評されたのも、そんな動と静のコントラストからだった。
一昨年八月、郵政民営化法案が参院で否決され、衆院を解散した際の「たとえ殺されてもいい」という鬼気迫る啖呵は、まさに「動の小泉」のクライマックスだろう。
安倍内閣の支持率急落は、ある意味で、その小泉がもたらしたものと言えた。
秋の日のつるべ落としのように内閣支持率の棒グラフが短くなった直接の原因が、郵政造反組の自民党復党への批判にあったのは間違いない。問題は批判の中身だ。
NHK48%(内閣発足直後は65%)
朝日47%(同63%)
毎日46%(同67%)
読売55・9%(同70・3%)
共同48・6%(同65・0%)
昨年十二月の各社の世論調査である。
あの郵政選挙は何だったのか──そうした怒りにも増して「首相の顔が見えない」ことへの不満、安倍個人への批判が根強いことが調査結果から読み取れた。
朝日調査で、安倍に対する評価が一番低かったのは「首相は今回の復党問題について国民に分かりやすく説明したと思うか」という設問だった。「説明した」の一〇%に対して、「そうは思わない」が八〇%。日々の記者団とのやり取りで多くを語らず、「幹事長にお任せしている」と繰り返したツケが回ってきたのである。
〇五年九月の郵政選挙で自民党のメディア戦略を担当した手腕を買われ官邸入りした広報担当首相補佐官・世耕弘成や、前政権でメディア対策を取り仕切った異形の大物秘書官・飯島から手ほどきを受けた首相秘書官・井上義行が、事ここに至るまでに有効な手を打てなかったのは、安倍自身が「党務は幹事長に任せるのが筋。総理の立場であれこれ口出しすべきじゃない」と割り切っていたからだとされる。
▽「小泉再登板」の影におびえる安倍(2)
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20070110-02-0701.html
2007年1月10日
「小泉再登板」の影におびえる安倍(2)
支持率急落に悩む若き後継者の姿に、“政局の天才”は何を思う──。
確かに安倍の判断はかつての自民党の常識だった。橋本内閣時代に自民党出身者を新進党から相次いで引き抜き復党させた際も、今は亡き当時の首相・橋本龍太郎は「党に任せている」とノーコメントを続けたものだ。だが、その常識が五年半の小泉劇場に慣れた国民に通用しなくなっていることに安倍は気付いていなかった。
確かに小泉はありとあらゆる問題にコメントした。党務の最たるものといえる与野党協議に絡む質問にもひるまなかった。
議員年金廃止問題で「与党のメンツとかにこだわらないで自民、公明、民主が合意を得られるように努力した方がいい」と、民主党との合意を急ぐよう促したことも、「国会改革は遅れているね。私がこう言うとまた、行政の長が国会に口出すなと怒られるけど、もっと反省して進めてもらいたいね」と指摘したこともある。
小泉がつくった新たな首相像が、そのまま安倍を評価する物差しになり、「顔が見えない」という批判を買う結果を生んだのだ。パフォーマンスの天才・小泉のつくった首相像は、安倍には重荷だった。
復党問題では、国民からの批判に答えるために、復党が正式に決まった十二月四日、井上秘書官がテレビ各局に夕方のニュース番組への出演を打診した。だが、その日午後になってからの突然の要請であり、テレビ局側から「会見を開くのが筋ではないか」とあっさり断られている。当日夕、自民党ホームページの『総裁メッセージ』で、「古い自民党に戻ることはありません」とカメラに訴える安倍の姿は、小泉と比べるまでもなく、寒々としたものだった。
「総理は王さん」
「顔が見えない」批判を和らげるため、井上らは安倍の露出度を高めようと、「絵になるイベント」を相次いで企画した。
第一弾は十二月三日、東京・北の丸公園の科学技術館で開かれた「たたら製鉄」体験イベントへの参加だった。子どもたちと同じヘルメット姿で登場した安倍は、れんが造りの炉から取り出した鉄の塊をハンマーでたたく作業に加わった。成蹊大卒業後、米国留学を経て神戸製鋼で三年半のサラリーマン生活を送った安倍は「おじさんも鉄をつくる会社に勤めていたんだよ」などと話し掛けた。だが、子どもたちの反応は今ひとつ。安倍が手持ちぶさたに突っ立っている場面が目立った。
浮かない表情の安倍を井上はこう励ましているという。
「小泉さんは長嶋(茂雄)さん、総理は王(貞治)さん。着実に実績を挙げ、長嶋さんにはできなかった世界記録をつくりましょう」
首相として初めて臨んだ臨時国会で、安倍は自民党の年来の課題だった教基法改正案と防衛庁「省」昇格法案を成立させることに成功した。さらに政権基盤を強固にし、悲願の憲法改正に道筋をつけるところまで持っていきましょう。「世界記録」にはそんな意味が込められていた。
安倍側近たちも人気凋落に悩む安倍を「支持率は気にしないでいきましょう。安倍さんは小泉さんと違って、オーソドックスな政治家だ。当面は四〇%のコアな支持層を大切にすべきです」と励ます。
支持率急落にも安倍周辺が比較的冷静でいられたのは、その座を脅かすような有力なライバルが党内に見当たらないからだ。
「ポスト安倍」をうかがうのは、先の総裁選にも出馬した外相・麻生太郎と前財務相・谷垣禎一。かなりとうは立っているが、「津島派のプリンス」の前防衛庁長官・額賀福志郎も派内の体制固めを進めている。だが、いずれにしても安倍サイドから見れば、怖い相手ではない。落ちたといえ、安倍内閣支持率は四〇%台後半。「安倍を上回る支持率を確実に稼げる人は党内にいない」というのが側近たちの認識だった。
ただし、一人だけ例外がいるのだ。ほかでもない、政界の長嶋茂雄、小泉である。NHKと共同の十二月調査の数字は小泉内閣最後の支持率を既に数%下回っていた。
盟友・山崎拓との極秘会談を受けて、三度目の訪朝の可能性も報じられた。後に山拓お得意の“勇み足”だったことが判明したものの、小泉が条件次第では三度目の訪朝に意欲を持っているのは間違いない。
トヨタが中心になって設立されたシンクタンクの顧問にも就任したが、日本橋三井本館内には、小泉が海外からの要人と面会するための部屋も用意されている。
人気回復の特効薬は拉致問題しかないと思い詰めている安倍にとって、こうした小泉の動きが気にならないはずはない。拉致問題担当相でもある官房長官・塩崎恭久は「小泉再々訪朝報道」を受けて、「安倍政権ですから、安倍総理の戦略、戦術のもとにやっていただきたい」と牽制している。
今後、「小泉劇場」の幕が再びあがることはあるのか。
小泉自身は退陣直前のマスコミ関係者との懇談で、再登板の可能性を「それはない」と言下に否定している。「参院選に負けたら負けたなりの国会運営というのが自ずと生まれてくる。過半数割れしても、その時は通る法案を出せばいいんだ」と、参院選の結果次第で安倍退陣があり得るとの見方も打ち消した。後継者・安倍の応援団長が小泉の表の顔だ。
十一月二十九日夜、赤坂プリンスホテルで開催された自民党新人衆院議員の親睦会「83会」主催の「小泉・安倍を囲む会」における小泉スピーチも安倍に理解を示すものだった。
「信念を曲げ、白旗を掲げて復党願を出した十一人に関しては、これ以上政治家として屈辱的なことはないのだから、受け入れるべきだ。『天は自ら助くる者を助く』。自らを律する精神がどの組織でも大事。あれをしてください、これをしてください、では駄目。安倍総理を批判するのはとんでもないことだ」。復党問題で安倍にくぎを刺し、小泉の前座を務めたつもりだった武部勤は目を白黒させ、安倍は感激の表情を隠さなかった。会合の後、安倍は親しい永田町関係者に「やっぱり小泉さんは僕を応援してくれている」と電話したという。
ただ、小泉は安倍にとって、決して甘い保護者ではない。「総理の仕事は自分で感じて、身体で覚えるものだ。彼にも何も指導したことはない」。小泉は先に触れたマスコミ関係者との懇談の席でも、突き放すように自助の哲学を説いている。
政府税調会長・本間正明の「愛人官舎問題」も苦い薬となった。本音では一刻も早く辞めてもらいたいと思いながらも、「官邸主導」人事で起用したことから、任命責任が我が身に及ぶのを避けるため、表向きは本間擁護の姿勢を通すほかなかった。
さらに安倍政権の失速で勢いづく民主党が、四月の都知事選で強力な候補を立て、スキャンダルに見舞われ続ける石原都政に終止符を打つようなことがあれば、参院選に向け、政局は一気に流動化する。
そうなれば、小泉の存在感はいやがうえにも高まる。選挙に不安を抱える議員は常に「観客を呼べる監督」を求めるからだ。
小泉の再登板。本人の意思はさておき、待望論を巻き起こすエネルギーを六十五歳の前首相は秘めている。(文中敬称略)
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