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「日本の警察」 西尾漠(著)より引用です
CRは役割を終えた
1980年7月、警察庁総合検討委員会のレポート『80年代の警察』が発表された。レポートは、第1部「80年代の社会情勢と警察の課題」、第2部「警察運営」、第3部「警察管理」の3部構成。第1部が総論、残り2部が各論である。この構成は、72年6月にまとめた『70年代の警察』(警察庁総合対策委員会)を踏襲したもので、個々の内容もほぼ前回の記述を下敷にしていると言ってよい。『80年代の警察』でもっとも特徴的なことぼ、『70年代の警察』のキー・ワードであった「CR」という言葉が一度も使われていないことだろう。CRというのは、少数民族差別などについての一定の反省の上に立って導き出されたアメリカの「黒人暴動」防止の手法であり、警視庁警備部の説明によれば次のようなものである。
CR「コミュニティ・リレーションズCommunity Relationsの略称」。「コミュニティ」とは、生活共同体と訳される。ひとつの共同意志または共感を持った集団をいう。たとえば、家庭・職場・商店連合会・町会・PTA・母の会・クラプ活動等すべてコミュニティである。これらコミュニティに対する働きかけ、話しかけがコミュニティ・リレーションズであり、警察活動としてのCRは、対話活動を通じて、警察に対する不満や要望を吸い上げ、また警察の意図や要望事項を地元住人に知らせて協カを呼びかける運動である。
このキレイゴトの説明のもとに、アメリカのCRから瑣末な技術対応のみを輸入し、日本の近代警察の創始者といわれる川路利良大警視以来の伝稀的考え(人民の保護・教育者としての警察官)とむすびつけたのが、日本警察独自のCRということになる。CRの教科書ともいうべきR・モンボイス著『CRと暴動の予防』を翻訳、『市民と警察』と改題して立花書房から出版した際、肝心の少数民族差別を論じた箇所で、北米先住民=「インディアン」を「インド人」と訳しているところからも、日本警察の関心が別のところにしかなかったことがよく理解できる。
そのことは、より本質的には、次の例から明らかだろう。アメリカの人類学者W・L・エイムズさんが岡山県警の高官の証言として博士論文および著書唱本の警察と社会』に記しているところによれぱ、警察は警察官応募者の家庭的背景を調査するが、被差別部落出身者を排除するのが溺査の一つの理由だというのである。
日本的CRの実態については、拙著『現代日本の警察―CR戦略とは何か』(たいまつ新書)を参照していただきたいが、いずれにせよ60年代末から70年代はじめにかけて、きわめてハードな時代であり、陰の存在である警備公安警察が素顔をさらさざるを得ない時代だったからこそ、ソフトな対応を非常に意識的に行なうことが実行されていた。それによってマスコミなどを警察の味方につけ、デモ隊の背後の群衆を「自警団」に組織しなおすことができた。「警察の意図や要望への国民の協カ」の取りつけとその具体化としミての市民社会の管理強化に、ひとまず”成功”したのである。本来CRが対処すべきものとした社会構多造の変化には、後述のように、結局、指もふれられなかったにしても、だ。
そこで、キー・ワードとしてのCRは、役割を終えた。『70年代の警察』と『80年代の警察』の目次を比べて言えば、CR的なものは、「警察の姿勢」の問題から現実の「警察の課題」へと、変化しつつ受け継がれたのである。
警察が都市を改造する
『80年代の警察』において、CR的なものは、「安全な社会のための基盤づくり」と名を変えて、CRより大きく踏み出す。『70年代の警察』は、都市化の進展が住民相互の連帯感を弱め、「規範意識」を希薄にしているとの認識から、「伝統的な地域社会共同体のもつ社会統制機能」(そこでは、「身内で悪いことをすれば、親戚まで非常に不名誉な思いをする」といった「わが国の家族制度」が犯罪の抑制力として評価される)を再構築することを目指した。が、CRの一応の成果にも関わらず、なお「70年代において十分な解決をみることができなかった」。そこで、80年代には、都市工学などの協力を得て、都市の改造をも含む、より大胆な戦略を打ち出そうというわけだ。
都市構造と犯罪発生のかかわりを明らかにし、環境を改造することで犯罪を防止しようという考えは、かなり以前からアメリカなどで実際の警察活動にも取り入れられてきている。日本では1980年に、当時の山本鎮彦警察長官(のちベルギー大使)の指示で「都市における防犯基準査定のための基礎調査」が行われた。
調査は、財団法人・日本地域開発センターに委任され、東京大学都市工学科の伊藤滋助教授を委員長とし、ほかに5人の委員と9人の幹事、さらに警視庁からの4人の協力幹事で構成する「都市防犯対策委員会」がつくられている。調査結果がまとめられたのは81年3月のことで、この報告書を受けて、愛知県警は同年10月、名古屋市守山区にさっそく「防犯モデル道路」を設けた。
このモデル道路とは、「約70メートルごとに防犯連絡所が設置され、地域住人が防犯情報の交換や、自主パトロール等にあたっている」(82年版『警察白書』)というものであること、また、既に東京都内4ヶ所に建設されている住宅・都市整備公団の「防犯モデル団地」があらゆる角度から防犯カメラが監視するものであることから、彼らがどのような「安全な都市を作ろうとしているかは容易に知れる。
地域・職場と警備業のネットワーク
ともあれ、はたしてそれで「健全な都市人」が育てられるかどうかは別として、物理的にも心理的にも、都市の”死角”をなくし、警察情報の”死角”をなくすために、「社会全体の防犯機能を構造的に強化していく」ことを『80年代の警察』はめざす。そのカギは「地域社会、職場・職域、警備業の三者の有機的なネットワークを形成すること」だ。むろん、ネットワークの中枢は警察が握ることになる。地域にあっては、全国のすみずみまで、1983年末現在で約1万5000ヵ所の派出所駐在所(シンガポールにまで輸出された”KOBAN=交番”である)が管理の網の目を形づくっている。派出所・駐在所はともに統合がつづき、1955年当時は2万ヵ所以上あったものが徐々に減少しているとはいえ、監視・管理の能カはむしろ向上しているといってよいだろう。
82年からは交番と地域住民をむすぶ組織として派出所・駐在所連絡協議会が設置されるようになり、その数は83年末現在、46都道府県1735ヵ所とされている。また、全国各地に、おおむね各警察署ごとに防犯協会が組織されており、その実践活動の中心である防犯連絡所は、83年末現在で約68万9000力所(54世帯に1ヵ所)に達している。さらに宮城県や福井県など13の県では、警察と協カしてパトロールなどに当たる防犯指導隊まで設置されている。
一方、いまや人と人をむすぷ媒介者は土地から仕事に変わったとするコミュニティ観に立って、より重視されているのが職場・職域だ。「愛国労働運動」とでもいうべきものに向けた労働運動の再編が急ピッチですすめられているのは周知のとおりだが、ここではより直接に警察がかかわっているところをみるとしよう。少年警察の一環としてある職場警察連絡協議会には83年4月15日現在、全国で約1000組織が加入、事業所数にすれぱ2万9000事業所である(ちなみに学校警察連絡協議会は約2300組織で3万8000校)。金融機関や遊興施設などの業種ごと、あるいは商店街ごとにつくられた職域防犯団体は、83年末現在、1万234団体を数える。また、全国の企業2964社が、地域単位に企業防衛協会を結成している(直接には総会屋対策)。
とはいえ、上のような数字だけで、質量ともに警察の意向を満足させているとは、とうてい考えられない。わざわざ「国民の生活の場の中心となっている職場、職域に着目し」(『80年代の警察』)という以上、労働運動への強圧的介入や上記各団体の育成強化のほかにも、さらにさまざまなことが進行しているにちがいない。警備業者は83年末現在、業者数が3550、警備員数では14万4177人と、一貫して増加傾向にある。82年7月には警備業法の改正が成立、83年1月から施行となった。これにより、警備業は届出制から認定制(5年ごとに認定証を更新)に変わり、規制も厳しくなったが、しかし同時に、警察にとっての警備業の位置づけは、「取り締まり」の対象から「健全育成」の対象に、はっきりと変えられている。
そのようにして警備業への、これまで以上に積極的な警察の介入が図られているまことは注目を要するだろう(「風俗営業等取締法」を「風俗営業等規制及び業務適正化法」へと全面改訂する法改正が、84年8月8日、成立した。この法改正も、かつての臨検の再現ともいうべき立入り権の強化などを伴いつつ、警察当局の大幅な裁量のもとに「風俗営業及び風俗関連営業」を管理していこうとするものだ。「取り締まり」の対象でなくなることは、警察の考えでは、全面的な指導の対象となることを意味しているのである)。
ガードマンは何を守るか
警備業界最大手のセコム(日本警備保障を改名)の数年前の社員募集資料には「卓から面へ、面から域へといった具合に拡大展開して、社会を安全のネットで包み込む」との意気込みが語られていた(84年6月現在、同社の中央コントロールセンターは全国に208ヵ所。常時7〜8人が駐在する基地は603ヵ所)。都市づくりから青少年の「健全育成」まで、あらゆる領域を警察の色で塗りつぷ二そうとする警察の戦略と、確かにそれは、よく響き合っているようだ。そもそも日本に警備保障業なるものが誕生したとき、それは、財産の防衛ではなく、生産性の防衛を至上任務とする企業防衛をうたいあげていた。
1962年に日本警備保障を設立した飯田亮現セコム会長は、警備保障業の意義を次のように語っている。「損保だけでは生産が止まったりするリスクまでは背負いきれない。ベルト・コンペアに乗る商品は絶えず流れていなけれぱならない。それを守るために警備会社が発生したのだ」。この企業防衛の論理を、個別企業の防衛から企業社会の防衛へとひろげることを、警備業法の改正すなわち警察の警備業界への介入の拡大は狙った。警察の管理下に置かれることへの反発を別にすれば、企業防衛から企業社会の防衛への転換は、警備業自身の考えでもある。そして、土光敏夫経団連名誉会長が説くように、「日本経済を支える企業活動も日本の治安を支える警察の役割を抜きにしては成り立たない」とするなら、その警察の治安管理を補完することは、十分に企業防衛の論理と合致する。
セコムでは、反原発などの住民運動や消費者運動による”企業リスク”ヘの対処も商品化しようとしているという。また、「核戦争に備える市民防衛隊の組織化」を訴える日本市民防衛協会(会長:三原朝雄衆院議員・元防衛庁長官)の事務所は、セコムと並んで二大警備保障会社と称される綜合警備保障の子会社内に置かれている。綜合警備保障の村井順会長=日本市民防衛協会副会長は「戦後におけるわが国警備警察制度の創始者」で、また「内閣調査室の創始者」だ(業務案内パンフレットより)。そうした警備業への警察の介入の企図は、警察庁が発行する『警察白書・のなかに露骨に書かれている。「警察が行なう警戒活動と警備業者が行なう警備業務との間に有機的な連携を確保し、全体として最も効率的な警戒システムの形式についても検討を行なう必要がある」。
東京都練馬区の防災無線システムは、地域住民組織と警備会社と警察との、そんな連携と役割分担の実験のひとつ、だろうか。同区では、区役所に設けた基地局と出張所、消防署、警察署、区幹部宅、自動車、土木出張所、防犯組織など200ヵ所を音声・デジタルの無線ネットワークでむすび、地域社会を24時間、コンピュータで監視・管理する。この監視・管理を基地局(通常は無人)と有線でむすんで行なうのが、セコムの中央管理室=SDセンターだ。
こうして「地域社会、職場・職域、警備業の三者の有機的なネットワークを形成することにより、社会全体の防犯機能を構造的に強化していく」ことを、『80年代の警察』はめざしている。そこでの基本戦略は、「国民の要望に即応した警察運営」という名目での、警察の関与する領域のいっそうの拡大である。
新・内務省の復活
いま、警察は、じわじわと関与領域をひろげ、新しい形での内務省復活を狙っている。84年7月1日の総務庁発足に伴い初代長官となった後藤田正晴元警察庁長官は、かつて内務省がGHQによって解体されたとき、「もう一度内務省をつくらなければ、死んでも死にきれない」と語ったという。いま、宿願の内務省復活は一歩を踏み出した。後藤田長官は言う。「大地震が起こったらどうなりますか。早急に国としての安全体制を確立しなければなりません」。警備心理研究会が、もっとも精カ的に研究・分析を重ねていたのが"大地震対策"であったことが思い出される。『警察学論集』の81年5月号に掲載された国際問題研究会の「市民防護への戦略」という論文から、大地震と内務省のつながりを説明しよう。この論文は、大地肥や核戦争にたいする民間防衛の努カが、日本では不足していると嘆き、その理由を「内務省の解体」に求める。
〈戦前の内務省は、建築、衛生、労働等の広範な内務行政を警察力による担保を背景として、効率的に実施していた。ところが、戦後、内務省の権限が細分化されたおかげで、国民の生命、身体、財産を保護するための総合的施策の円滑な立案と遂行が困難となり、またこれを支援するはずの警察が刑事司法に過半の精カを奪われる余り、行政警察の計画と実施は手薄になってしまった、〉都市住民の安全と防護という見地から、都市政策が真剣に議論されたことは戦後一度もないし、そのような発想は内務省の解体とともにどこかに消失してしまったといってよい。
先に見た「安全な都市づくり」がここにいう「都市政策」に見合うものとすれば、その行きつく先はどこか。「市民防護への戦略」は言う。大地震時の危機管理システムは、他の危機に際しても汎用性をもつ。従って、当面は、地震対策としての市民防護システムのプランニングとプログラミングに全カを傾けるべきであろう。地震対策特別措置法の制定は、対策の終了ではなく入口にすぎないのである。次に急務とされるのは、食糧と戦略物資の政府、民間備蓄である。危機事態が発生したあと、これに敏速に対処するには教育訓練を受けた多数の民間人の層が不可欠である。
公共備蓄施設及び公共退避施設(シェルター)についても、多種多様な危機に対処できるよう建設を促進しなければならない。法制に関して…整備すべきものがまだ多く残されている。災害対策基本法の中に、予測される近未来の危機事態をすべて盛りこみ、これを人為的災害及び自然災害の基本法として位置づけること、また、個別法として食糧の不足に対処する経済安定法、希少金属等重要物質の戦略備蓄を促進するための特別措置法、戦争時における壁難、疎開、企業分散等の強制措置に関する法律等を適時に整備、制定することが必要である。
なるほど、これは文字どおりの「内務省の復活」であり、さらには国家総動員の有事立法だ。ただし、これをストレートに実施に移したのでは、復活した「新内務省」のなかで警察が主役の座を確保できるかどうかは心もとない。それよりは、少しずつ関与領域をひろげていくほうが、いまのところ得策だろう。原子カ発電所建設反対の運動をしている筆者にかかわりの深いところで一例を挙げれば、原子力関連の事業を始めるについては国家公安委員会への報告が必要とされている。
次々に拡大する権益
また、核燃料やラジオ・アイソトープなどの輸送については、78年、80年の関連法改正で、都道府県公安委員会が届け出を受け、必要な指示や報告の徴収をすることができるようになり、あわせて立入検査、運搬車両の停止、検査、措置命令の権限が警察官に与えられた。警察庁ではこれを「警察の危険物行政における権限が一段と拡大された」ものと評価し、さらに「核物質の輸送のみならず、原子力施設に関しても同種の権限を新設する必要がある」と考えている。青少年の「保護育成」でも、警察は、関与の幅をどんどんひろげてきている。82年度からは、少年の規範意識の啓発のため、次のような活動もすすめられることになった。
@少年の社会参加活動:明るい街作り活動・奉仕活動・生産体験活動など。A少年柔剣道活動などB少年を非行からまもるパイロット地区活動:全国292ヵ所を指定、非行防止のための教室(83年には、延べ約84万人の少年の参加のもとに約5600回)など。先に触れた風俗営業等取締法の改訂も、少年の「補導」を警察の権限として確定する側面をもつ。そうした関与領域のひろがりは、警察官僚たちの出向・天下り先のからも読みとれよう。同時に、あらゆるところに張りめぐらされた警察官僚の監視・情報収集のネットワークをも意味するものだ。高級官僚たちの出向・天下り先の中には、県警の若手幹部が県の交通対策や青少年保護などの担当課に出向する例もあり、最近では市町村レペルにまで警察官の出向が行なわれるようになリてきた。
国の治安機構には、警察のほかに公安調査庁、入国管理局、海上保安庁、厚生省の麻薬取締り部門などがあるが、「これを可能な限り整理して一般警察に統合する」ことも、警察の懸案のひとつである。
スパイを作って捕まえよう
〈公安調査庁と内閣調査室〉
※公安調査庁は、破壊活動防止法にもとづき、「暴力主義的破壌活動を行なった団体」を調査するため、1952年に設けられた。法務省の外局だが、実質は検察庁の下部機関。組織は総務部と調査一、二部からなり、調査第一部は日本共産党およぴ新左翼、調査第二部は朝鮮総連とソ導・中国情報、右翼を調査対象としている。全国に8つの公安調査局、43の地方公安調査局をもち、職員は約2000人。その9割が調査活動に従事し、調査対象の団体に潜りこむ「潜入」やスパイづくりによって情報の収集を行なっている。84年度予算は120億3300万円で、8割が人件費。
調査活動費18億2800万円のほとんどは情報提供者に対する「協力費」に使われる。警察と違って強制捜査権はないので、金で情報を買うしかないのだ。調査の主な対象である日本共産党と朝鮮総連が「暴力主義的破壊活動」から路線変更し、公安調査庁の存続の意義はなくなったとして、元警視総監の奏野章参院護員から解体案が出ており、内部の動揺が職員の不祥事として噴き出している。「公調」と略される公安調査庁にたいし、「内調」と略される内閣調査室は、公調と同じく1952年に内閣官房におかれ、内外情勢、とくにマスコミ論調の分析と工作を行なう。室員は約100名で84年度予算は16億7700万円。この7割近い11億3400万円は調査委託団体への委託費にまわる。
調査委託団体は、内外情勢調査会、世界政経調査会、東南アジア調査会、国民出版協会、民主主義研究会など。警察庁からの出向者が歴代つとめる内調の室長は、日本のClA=JClAと呼ばれる睦上自衛隊幕僚監部調査部別室の室長(同じく警察庁から出向)を指揮し、ソ連、中国、北朝鮮、韓国の軍事情報などを収集している。内調の分析にもとづいて政府広報・マスコミ工作の戦略づくりに当たるのが内広(内閣広報室)で、内広の室長も代々ほとんどが警察庁からの出向である。
新しい形での内務省復活路線とは、述べたようなことだ。具体的な内務省復活案としては、1964年、池田内閣のに、内閣の強化案や自治省と警察庁体化案が構想されたこともあるが、とは別に、警察独自の動きが進行している。
中央集権化の徹底
これともうひとつ、『80年代の警察』が狙うのは、中央集権化のいっそうの徹底である。
〈都道府県警察の処理能力を超えるような広域、大規模な事案に対して、これを指導し、その相互間の調整を行うため、管区警察局及び警察庁において組織の改編整備を検討する一方、事件によっては、単に都道府県警察に対する指導、調整にとどまらず、警察庁自らが処理する体制についても検討する必要が出てくるものと思われる。〉
これは、警察法の抜本的改正を準備していることの表明だろう。84年1月3日付の日本経済新聞は、「ハイテク警察に変身」という見出しのもとに、コンピュータを駆使した”ハイテクノロジー警察”の出現をうたいあげ、次のように書いている。
〈情報処理の一元化が進むにつれて・警察庁の調整機能も実質的な捜査指揮の意味合いを帯びてくる。このため同庁は中央、地方における公安委員会制度を維持するなかで、警察法の改正も検討課題にしている。〉と同時に、ドキュメンタリー作家の田原総一朗さんが『新・内務官僚の時代』(醐談社)で指摘するように、また、先に警職法改正について見たように、「ありものの法律を意のままに操作して、”運用”によって道なき道を走る」のが警察官僚の得意なやり口であることも、忘れてはならないだろう。
「警察の行動は法律主義、合法主義ではダメだ」と、新井裕元警察庁長官も言う。警察法そのものはいじらずに、実質的な「抜本的改正」を行なうことも十分に可能だというのだ。
コンピュータ警察のいま
かつて自治体警察がまがりなりにも誕生したとき、「治安の健保は大丈夫か」という国会での質問に、時の内務次官は「通信施設の根幹は国家地方警察がもっております」と答えた。通信・情報こそ国家警察の根本、とする考えは、”道路がつけられる前に警察電話がつけられた”といわれる内務省以来の伝統を継ぐものだ。とするなら、警察制度そのものが中央集権化し、コンピュータの導入で通信・情報の集中化がすすんだいま、”ハイテク警察”たる国家警察は、盤石の体制として目に映る。
83年2月15日から18日まで、日経産業新聞のシリーズ記事「ドキュメント新・産業革命」は、「こちら110番電子化の威カ」と題して警察の情報管理を紹介した。その見出しをひろっていくと、こんな具合だ。
〈ひき逃げスピード逮捕/微量分析器で犯人浮上/金属片から職業を割り出す〉
〈指紋照合たったの半日/600万人分、フルイ分け/声紋も自動識別システム試作〉
〈交通事敬ピタリと抑える/人と車、全国の”流れ”管理/違反者ナンバー自動読取り〉
〈パトカーはミ動く端末機ミ/通信衛星ネットワーク/箇き込み捜査に強い助つ人〉
同記事は言う。〈着々と進んでいるPA(ポリスオートメーション)の最大の課題は捜査活ロカ、交通管制などのための各種システムを「どのように統合するか」(警察庁情報管理課)ということ。いまのところ行種システムはそれぞれ独立して研究・開発→実用化される予定だが、これらを一つの「警察オンラインシステム」(仮称)にまとめあげれぱ警察活動は飛躍的に効率化できると考えられる。〉
都道府県警察がそれぞれに管理してきた情報の集中管理が、74年以来、「犯罪情報管理システム」としてすすめられてきた(警察庁情報処理センターと各都迫府"警察本部との間で送受された82年における1日平均のデータ量は、指名手配照会・車両照会などの照会業務で約12万件、運転者管理業務などで約54万件という)。
今度はヨコの統合で、いっそう情報の高度化をはかろうというものだが、さらにその先には、民間の警備会社のコンピュータや各省庁のコンピュータとの連動などが考えられている(旧行政管理庁の調べによれば、各省庁と特殊法人が所有する個人データは、84年1月現在、総計で8億8000万件である。〈いずれにせよ最も中央集権的な官僚組織とされる警察の世界で”情報管理のシステム”が真っ先に確立されようとしていることはある意味で当然ともいえよう。〉(前掲紙)
しかし、一方で、警察組織というのは、自己の縄張りをはみ出した犯罪の捜査にはきわめて弱い体質をもっている。広域犯罪への対処にやっきになっているにもかかわらず、なかなか実効があがらないことが、それを証し立てているだろう。コンピュータの”ヨコの統合”によっても、この体質を変えうるかどうかは大いに疑わしい。とはいえ、日本全国の津々浦々までを網の目に分けて掌握・管理する警察は、かつてもいまも、国家の情報センターの役一割をもって任じている。
そのことは、いくら重視してもしすぎることはないと思う。ただし、ここでも大事なことをひとつつけ加えておけば、その情報は、実はかならずしも正確なものではない。土屋正三警察大学校名誉教授いわく〈警察というのは妙なところで、知らないことはないですね。なにか聞いてみると必ず返事をよこすのです。しかし、それを全部信用すると危ないのですね。しくじることがありますね。〉
露木まさひろ著『興信所』(朝日新聞社)によれば、公安資料を横流ししてもらっている採用調査専門の興信所の話でも、公安資料の信用度は三割だという。そう聞いて、管理の網の破れ具合にホッとするべきか、とんでもない情報が自分の身にまつわりついているかもしれないおそれに戦慄すべきか。
【参照】
日本の警察の裏事情:警察官1万人が暴力団体企業に天下り?!
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/563.html
日本の警察の裏事情:60年代末の新左翼による街頭闘争で先頭に立って火炎びんを投げ煽動していたのが公安の刑事だった!
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/595.html
日本の警察の裏事情:警察の大義名分”革命政権の転覆こそが警察のめざすところ”
http://www.asyura2.com/07/senkyo29/msg/632.html
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