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米国占領下の改革や戦後民主主義教育によって、国益という視点を欠落させた「観念的平和愛好」国民が大量生産されてしまった。
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投稿者 TORA 日時 2007 年 1 月 01 日 14:20:31: CP1Vgnax47n1s
 

株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu135.htm
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  謹賀新年 2007年
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米国占領下の改革や戦後民主主義教育によって、国益という視点
を欠落させた「観念的平和愛好」国民が大量生産されてしまった。

2007年1月1日 月曜日

◆大国フランスの戦後外交に学ぶ 中島  健
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg9808-1.htm

■1、はじめに
 東西冷戦の終結後、我が国の外交政策は、引き続き日米安保条約を基幹とする日米同盟による、事実上の米国外交追随路線を継承した。96年の日米安保共同宣言以後突入した日米安保の新時代は、何より我が国の(憲法の制約を含む)自国不信と、アメリカにおける日本「不信」及び「信頼」の、3つの思惑による合作であった。

冷戦時代のような明白な「ソ連の脅威」が消滅した中で、アメリカの世界戦略の一貫を担う米軍基地の継続使用を認め、その影響力が極東に及ぶよう担保することで、東アジアにおける我が国の地位維持を保障する。ロシア、中国といった大国がひしめく東アジアにおいて、我が国の立場を強化するために、太平洋の彼方から世界最強国の支援を仰ぐ、というこの方式は、現実性という面では相応のものがあるにしろ、客観的な我が国の国力ということからすれば、あまりにも自国を矮小化した政策であると言わざるを得ない。

そういった意味で、現在の我が国の外交は、歴史的に朝鮮半島の政府が中国の顔色を伺わねばならなかったのと同様、あたかも我が国が太平洋の彼方の宗主国の顔色を伺うかのようである。そしてそれは、共産主義の防波堤=自由主義の「柵封体制」下にあった冷戦時代ならともかく、冷戦集結後の独立国家、特に(最近では陰りが見えてきているとはいえ)世界第2位の経済大国のとるべき選択としては、必ずしも全てが最適では無いように思えるのである。
(中略)

■4、ド・ゴール主義外交の背景
 フランスがこれらの独自外交路線を歩むことができた背景には、文化的及び経済的、の2つの側面があるように思える。

文化的な側面としては、正にあの偉大なフランス文化ということが挙げられるだろう。啓蒙主義の思想、デカルト以来の合理主義、理性主義の精神風土は、「明晰でないものはフランス的でない」という言葉でも表現される通り、フランス文化の一つの特徴である。そして、このような合理主義的発想が、国益追求に際しての冷徹な計算と、名誉ある現実主義外交に結びついているのである。

また、こうした明晰性の追求の一つの帰結が、責任の所在やリーダーの顔がハッキリとした第5共和制大統領の誕生だったのではないだろうか。その意味で、集団主義と「わび、さび」のあいまいさを文化的特徴とする我が国とは、精神風土上も大きな違いがあるといえるだろう。

更に、フランスの長い歴史と伝統の誇りが、西側の盟主たる新興国家・アメリカに対する「独立自尊」の立場を宿命的にとらせているのも事実である。戦後の西側世界はある意味でアメリカの時代であり、パックス・アングロ・アメリカニズムの時代であったといえるだろう。アメリカは、その強力な軍事力と自由、市場原理、民主主義といった価値観を武器に、西側資本主義諸国の盟主となり、中には我が国のように文化的にもアメリカニズムに席巻された国まであった。

だが、そんな西側諸国の中で、政治から言語に至るまでアメリカニズムを撥ね付けたのが、フランスなのである。例えば、現在フランスには「フランス語使用法」という法律があり、表向きには「フランス語しか理解できない国民の保護」を謳っているが、その根底にはアメリカニズムに対する文化的防衛ということが含まれている。

その点、国籍不明のカタカナ語や、英単語をそのまま音だけ写したカタカナ英語が氾濫し(官庁用語や経済学用語、更にはコンピューター関連用語で特にその傾向が強く、また若者は簡易な英語を、知識人は態と難しい英単語を使う悪しき傾向も散見される)、英語表現(決して仏語や独語は入らない)それ自体、何だか格好いいように思われる風潮がある我が国とは、対照的である。

そもそも、「自由、平等、博愛」というフランス革命の精神や「自由」を大切にするというフランスの国是は、アメリカのそれとよく似ており、それだけに「こっちが老舗だ」という意識が一層強く出てしまうのだろう。加えて、ピューリタニズム的価値観が未だに残存し、あるいはアメリカ支配層の民族的宗教的傾向を示すWASP(白人アングロサクソン新教徒)という言葉が示すように、アメリカはなおプロテスタント(新教)優位の国家である。

これも、宗教的寛容性を特徴とする我が国とは異なり、伝統的にカトリック国家であったフランスにとっては「相容れない」理由の一つになっているのではないだろうか。フランスの宗教的不寛容性は、ユダヤ教に対する偏見からおきた有名なドレフュス事件や、最近では公立学校における、イスラム系移民の師弟のスカーフ着用問題(イスラム教的色彩の強いスカーフの着用と、公立学校の非宗教性とが対立した問題)などでも、見られた現象である。

 経済的な側面に関しては、フランス経済の均衡性ということが指摘できる。フランスは西欧最大の農業国であり、かつ農産物は最大の輸出商品となっている。それでいて、国内資源の存在も手伝って重工業も発達しており、殊に前述のような武器国産政策の結果、航空宇宙産業の発達は注目すべき特質である。独自開発のアリアン・ロケットや欧州共同のエアバス産業などが、その代表格である。

1982年のフォークランド紛争では、アルゼンチン軍に5発販売されたフランス製「エグゾセ」対艦ミサイルが、諸島奪回を目指して南下してきたイギリス海軍の駆逐艦を撃沈し、フランス航空宇宙産業の優秀性を世界にアピールした。こうして見るように、フランスにおいては、自国の国家経済の構造が、自づとフランスに誇りある独自外交路線をとることを担保してくれているのであって、これは、「石油」というたった一種類の資源を切断されただけでたちまち国家存立の危機に陥る、砂上の楼閣的な繁栄をしている我が国の国家経済とは、これ又ずいぶんと異なっている、といえるだろう。

 いずれにせよ、これら2つの側面に支えられていたからこそ、フランスの孤高のド・ゴール主義外交は数々の成功をおさめてきたのである。

■5、日本外交の不甲斐なさ
 翻って、我が国の戦後外交をフランスのそれと比較するとき、我が国外交の独自性の欠如、即ち顕著なる米国追随の傾向(これを対米追随と見るか対米協調と見るかは難しいところだが・・・)には、何とも情けなくなるものがある。あくまで国益の追求という命題の下、現実的な視野に立った外交を実践してきたフランスと、専ら米国外交に追従する形で他の選択肢を失い、「国益」ということに無頓着又は拒絶的だった我が国とでは、やはり大きな違いがあると言わねばなるまい。

勿論、我が国とフランスとでは、その置かれた歴史的、地理的環境が異なるのであり、一概に比較することはできない。例えば、我が国の対米貿易依存度や食糧自給率、更には自衛隊の兵力構成等を鑑みれば、フランスと全く同じ外交を為すのは、やはりむずかしかっただろう。歴史的に見ても、フランスは第2次世界大戦の戦勝国であり、戦後世界の形成に参画できる立場にあったのに対し、我が国は敗戦国であって、当時の我が国の国際的な地位は低かった。

そして、戦後の我が国経済の復活は、東アジアの共産化防止という共通の利害を持った(そして、反共の「柵封体制」への加盟を許した)アメリカ合衆国の強力な支援の下に行われたのであり、例えば我が国の関税と貿易に関する一般協定(GATT)、あるいは経済協力開発機構(OECD)への加盟も、アメリカの助力なくしては有り得なかっただろう。

 しかし、問題は政治や国民の意識の有無である。その点、ド・ゴール的愛国心によって国益追求を為せる健全な体質を持つのがフランスであるのに対し、我が国に於いては、米国占領下の改革や戦後民主主義教育によって、国益という視点を欠落させた「観念的平和愛好」国民が大量生産されてしまった為、政治や国民に多くを期待することができなくなってしまった観がある。その最たる例が、日本国憲法第9条の非武装規定であろう。

太平洋戦争という大きな悲劇の反動で、一時的に非現実的な条文が着想されてしまったのは致し方の無いことだったにせよ、今日なお改正されずにあるこの規定は、国民の無条件的軍事忌避の傾向、ひいては、排他的な主権国家の集合体である国際社会の現実に対する無知を、如実に物語っている。

最近では、湾岸戦争の際、冷戦終結後の世界戦略無き状態で、我が国は「平和憲法」に束縛されて人的貢献を拒否し、多国籍軍への資金提供のみで事を済まそうとして、世界の失笑をかって「湾岸戦争における第2の敗戦国」とまで揶揄されてしまった。

私は何も、戦前の偏狭な民族主義的外交に回帰せよ等と言うつもりは全く無いが、しかし戦後の我が国外交とフランス外交とをくらべて見れば、我が国が如何に毅然とした主権国家としての振る舞いをしばしば忘れ、国際的な失笑と疑念の目を以って見られてきたかということは、一目瞭然である。

■6、おわりに
 冷戦後の混沌とした世界情勢の中で、我々日本人は自国を一体どのように規定するのか、あるいは21世紀に向けて我が国は一体どこへ向かってゆくのか。今、我が国が未曾有の不景気に直面するなかで、根本的に問い直されねばならないこれらの事について、今日の我が国の政治は、何も語ってはいない。その様な状況の中で、フランスが戦後行ってきた、威風堂々とした独自外交路線は、我が国にとっても示唆に富むように思えるのである。

(私のコメント)
新年明けましておめでとうございます。とはいってもコンビニは元日から営業しているし、大手家電販売店も元日から営業している。銀行のATMも今年から元日から利用できるようになり、感じとしては普段と変わらぬようになりました。昔は盆と正月しか一斉に休める時がなかったからでしょうが、生活習慣も変わってきたから正月の風景も変わってくるのだろう。

しかし役所関係とマスコミだけは年末や正月休みがあって、28日の御用納めから3日までの参賀日が休みと言うのは海外との関係でロスがあるのではないかと思う。少なくとも民間は海外と同じように1月1日が正月休みとなっていくのではないかと思う。


株式日記は政治的スタンスとしては親米保守でもなく親中左翼でもなく自主独立の民族主義のスタンスですが、現実主義の見かたも持っている。例えていえばフランスのドゴール主義に近い考え方です。しかしフランスと言う国は人口6000万人で人口もGDPも日本の半分以下であり韓国と比べた方がいいくらいな中規模国家ですが、外交的には大国としての地位を保っている。

それに比べると日本は人口でも経済規模や水準でも、領土領海等を比べてみれば超大国規模の国家なのですが、日本国民にはそのような自覚がない。GDPで言えばアメリカと日本がダントツの超大国であり、人口で見てもトップ10に入る大国であり、国土は狭いように見えるが経済水域の広さは第6位の広さを持つ大国であり、総合的に見ればどう考えても超大国なのだ。

ところが日本人のほとんどが超大国意識は持っていない。日本は国連の常任理事国ではないし、世界からはアメリカの属国扱いであり、中国や北朝鮮や韓国から何か言われるたびに政界やマスコミが右往左往する情けない国だ。 日本は軍事力がないといわれていますが日本の軍事費はイギリスやフランスよりも大きく、日本は軍事でも世界第二位の軍事大国である。

にもかかわらず日本はフランスほどの外交的なプレゼンスがなく、世界に対する存在感が薄い。これは国連の安保理の常任理事国でないとかいう以前の問題であり、日本には外交戦略も国防戦略も経済戦略すらない。そして何かあるとアメリカの政府やシンクタンクにお伺いをたてに行く。

日本がこのようになってしまったのもアメリカに逆らった政治家や官僚たちはスキャンダルを暴露されて失脚する事を繰り返してきた。だからすっかりアメリカ恐怖症にかかり、日本の政治家はアメリカの政府高官の前に出るとおべっかを使うか震え上がってしまって何も言えなくなってしまう。小泉首相のエルビスプレスリーの物真似を見るにつけ日本の誇りはどこに行ったのかと思う。

つまりはそれほどアメリカと言う国は恐ろしい国であり、60年も経つのにいまだに大東亜戦争の敗北の後遺症が残り、それ以上に戦後のアメリカ占領軍による占領統治の後遺症が続いているのだ。自民党の実力者はアメリカ大使館に呼びつけられて総督であるアメリカ大使に小泉内閣を支持しろと命令された。そこまでアメリカは平然と日本の内政に干渉してくる。

このような状況では日本の独自外交はありえず、実質的には日本は独立国ではない。中国との関係ですらアメリカから仲良くしろといわれると素直に安倍総理は村山談話を踏襲して日中会談に踏み切った。クリントン政権時代にはサマーズ財務長官が「日本人は俺が命令すればパンツも脱ぐ」と言ったそうですが、ハーバードでもセクハラ発言で学長をクビになったから本当なのだろう。

それくらいアメリカ政府高官から見ると日本の政治家は従順であり、フランスのドゴール大統領と比べると比較のしようがない。フランスのような中規模国家でも政治家が立派であるならば立派な外交が出来る。そして中規模国家で大国でないからこそ核武装に踏み切りましたが、日本のはそれだけのことをする政治家がいない。

アメリカは結局のところ北朝鮮の核武装を止める力はなかった。インドやパキスタンの核武装も止められなかった。北朝鮮の核は日本に向けられたものですがアメリカの核の傘は破れ傘だ。中国やロシアが日本に核を打ち込んでもアメリカは自国を犠牲にしてまで核の報復はしないだろう。ならば日本としては断固として決断に踏み切るべきなのですが、国会では議論すらまかりならんとかん口令が引かれた。

もし日本にドゴールのような首相が存在したならば、28日紹介したエマニュエル・トッド氏の言うように核武装する事が核戦争を防ぐ切り札なのだ。ところがアメリカは日本への支配力を維持したいがために日本の核武装に反対している。アメリカにとって見れば北朝鮮のような貧弱な核はたいした脅威ではないが、ハイテク国家である日本の核武装は脅威になる。

日本のような超大国はアメリカに頼らずとも自国の防衛は出来るはずだ。とはいってもアメリカと敵対する事は国益ではない。ドゴールにしてもアメリカに逆らいつつもアメリカとは敵対しなかった。現実的な判断力が働いたからですが日本にはそれだけ現実的な判断が出来る政治家がいないのだ。

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