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http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2911043/detailより転載。
この国に愛すべき価値はない!と言いたくなる。
【PJニュース 12月26日】−国を愛する態度とは、歴史や文化、伝統、自然を愛する気持ちを育むことだ。と安倍総理は教育基本法の審議のなかで度々答弁した。歴史・文化・伝統は、この 61年間の歴史の中で大きく変貌を遂げている。例えば「愛」の字義について、「価値あるものを大切にしたいと思う、人間本来の温かい心」と書いた辞書を見つけた(明鏡国語辞典)。確かにそうかも知れない。「そのものの価値を認め、強く引きつけられる気持ち」(岩波国語辞典)や「対象をかけがえのないものと認め、いつくしむ心」(辞林)と比べ、2003年刊行の辞書の定義は現代的なのだ。
大阪の裏金問題が再燃している。東京都知事の公私混同も次々と明らかになってきた。宮崎の立候補予定者は、撤回したが談合容認発言だ。腐りきっている地方自治には、為政者・議員・公務員の救いようのない利権社会がみえてしまう。政党の影も見えない。自浄作用を期待する方が無意味のようだ。
国家といえば、坊ちゃんわがまま内閣の本質が見えてきた。情報能力強化で「特別高等警察」の復活も考えているみたいだ。思想・信条の自由もない「治安維持法」も制定する可能性もあるように感じられる。日の丸・君が代が嫌なものは、消え去るのみ。お上の目に叶わないものや、みんなの支持のない先生は、免許の更新なし、辞めてもらおうとなるかもしれない。
教育基本法に基づく具体的な動きが、来年は始まるのだ。授権法に等しい教育基本法を危ないとして改正することなど難しい話だ。法は法として力を持てば、民主政治の元では従わざるを得ない。美しいと感じる事は、人それぞれの筈だが、自分と異なる考え方は必要ないが当然とされる。「菊」や「桜」は美しいが、「梅」や「槿」(むくげ)は美しく感じてはならない時期が来たのだろう。「蘭」は別として。
日本文化と言っても、着物を誰でもが着る訳ではない。最近ヨルダンの王女が来日して着物着付け教室を訪問した時、王女が着物を着ているのに、案内した総理夫人は一切袖を通さなかった。総理夫人の生活には、きっと着物を着るという必要も、また日本の文化として着るような意識もないのではなかろうか。それは、現代の若者としては当然のことなのだ。あんな身体を締め付けるものなんて「嫌」なのだろう。文化・伝統の変質は、確実だ。
価値観の差は、大きいものがある。昨今の風潮を見てみると、愛する家族を守るために、自らの命をかけて戦えるようにしたいようだ。それが究極には、硫黄島や大和のように国家のために死ねるでしょう。という価値観を押し付けてきているように思えて仕方ない。確かに、愛するもののためには、命をかけて守ることは必要である。否定するつもりはないし、家族が危機や危険にさらされるとするならば、率先して立ち上がることもできる。しかし、それは決して国家のためや天皇陛下のためではない。
どう考えても、今の日本とこれからの日本、国家を愛して命をかけることなど出来ようがない。北から核が飛んできて、ある日突然自らに死が訪れようと、それはそこまでなのだと思う。61年前の広島や長崎のあの時間に、自分はお国の為にと思った人間は居ない筈だ。日常が突然終わったことでしかない。前線で敵と対峙しているのならばともかく、空から落ちてくるものから逃げる方法はないのではないか。
だから、こちらも武装して相手が来る前に守るのだという意見も増えている。はっきり言ってそこまでする必要はないのでは、と私は思う。そのような金があるのならば、もっと大切な価値あることに使わなくてはならない。それ以外どこに、愛すべき価値が、この国にあるというのだ。【了】
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