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民意を聴かない「地方公聴会」(教育基本法)の茶番の茶番 2006/12/24
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新教育基本法や政府主催の教育改革タウンミーティング(TM)の「やらせ質問」の問題点などについては、マスメディア、『JanJan』紙上、あるいは一般のブログ等でも、それなりに多角的な視点からとりあげられているのですが、同法案採決の前提となった(といわれている)衆・参の教基法に関する特別委員会の中央公聴会、地方公聴会の「開催」のあり方については、これまであまり問題視されることはありませんでした。
しかし、今回の教基法「改正」に関して、衆議院、参議院あわせて12回開かれた(注1)地方公聴会の開催について、「傍聴したいのに傍聴できない」という不満の声が11月6日にはじめて開かれた地方公聴会の当初から少なからずありました。
「傍聴したいのに傍聴できない」地方公聴会とはなにか? 同公聴会はなんのために開かれるのか? 当然、そうした疑問が出てきます。ここでは、地方公聴会の「開催」のあり方に焦点をあてて、その問題点を探ってみようと思います。
はじめに地方公聴会を傍聴できなかった、傍聴はしても、あまりに「トンデモ」な会議運営に呆れ果てた人の慨嘆の声と見聞録から。
■例1:地方公聴会の傍聴を希望する人のメールから(11月9日)
「今日「アサヒ・コム」をのぞきましたら、8日に4箇所で地方公聴会が開かれたようですが、13日に大分でも開かれると書いてありました。(略)一般のものでも傍聴できるのでしょうか?(略)時間が許せば行きたいと思っています」
■例2:名古屋市の地方公聴会を傍聴した人のメールから(11月10日)
「空席だらけの傍聴席。傍聴したい人はたくさん居(て)会場の前にあふれているのに、そういう人には傍聴券が回らない。(略)また空席だらけの広い記者席を設け、おかげで傍聴者は、遠いところからの傍聴でした。顔もロクに見えない。傍聴者には、意見陳述者の氏名を書いた紙さえ渡さないという扱いでした。(略)『傍聴者全員に配るべき』と言いましたが『用意していない』で終わり。後から聞いたのですが、高橋哲哉さんは、50部も資料を用意して渡したそうです。傍聴者にも渡っていると信じて話をしたとか。実際は資料どころか……でした」
■例3:Kさんの投稿から(朝日新聞「声」欄、12月10日)
「長野市で参議院教育基本法特別委員会の地方公聴会が開かれることを知り、4日会場に出かけました。ところが、会場で係の方から、傍聴入場券50枚は参議院会派の勢力に応じて各党に配分され、一般の私には渡すことができないと説明されました。『予備が3枚あると聞いて来たのですが』」と粘ってみたのですが、『議員の紹介がないから駄目」と、結局傍聴させてもらえませんでした。4人の公述人も政党推薦だそうです。公聴会は名ばかりで政党懇談会のようなものだと知って、ただただ驚きました。国民の中には政党に関係していない人がかなりいるのではないでしょうか。その人たちを蚊帳の外に置いて物事を決めているのではないかと心配でなりません。教育基本法の改正問題は国民すべてに関係があることです。各方面から広く意見を聴いて決めていくことが必要だと思うのです(略)」
上記の例からもわかるように、市民の多くははじめ、教育基本法案に関する地方公聴会が開かれると聞いて、当然、その公聴会には傍聴制度があって、市民の傍聴も許されるものと思っています。各地方自治体にはそれぞれ有識者、専門家、地元住民等の意見を聴く審議会制度が設けられており、傍聴規則を併設しているところがほとんどだからです。公聴会もおよそそういうものであろう、と考えたわけです。実際、たとえば都市計画法にいう「公聴会」は、住民の意見を聞くことを意味しています(注2)。
しかし、教育基本法案に関する地方公聴会には、もともと一般市民は傍聴できない仕掛けになっていたのです。その原因は国会法にあります。
国会法51条の「公聴会」に関する規定は次のようになっています。
第51条【公聴会】
(1)委員会は、一般的関心及び目的を有する重要な案件について、公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験者等から意見を聴くことができる。
(2)総予算及び重要な歳入法案については、前項の公聴会を開かなければならない。但し、すでに公聴会を開いた案件と同一の内容ものについては、この限りではない。
また、同52条には「委員会の傍聴、秘密会」に関して次のような規定があります。
第52条【委員会の傍聴、秘密会】
(1)委員会は、議員の外傍聴をゆるさない。但し、報道の任務にあたる者その他の者で委員長の許可を得たものについては、この限りではない。
(2)委員会は、その決議により秘密会とすることができる。
(3)委員長は、秩序保持のため、傍聴人の退場を命ずることができる。
公聴会は国会の機関としての委員会が開くものであるから、52条の規定は公聴会にも適用される。したがって、公聴会は原則的に「議員の外傍聴をゆるさない」というのが上記両2条の法律的な解釈のようです。
「傍聴したいのに傍聴できない」という市民の嘆きの原因は国会法にあったのです。現行の国会法を前提とする限り、地方公聴会を一般市民が傍聴することはできません。傍聴券は議会事務局からあらかじめ政党・会派の勢力に応じて配分されます。傍聴できるのは、議員および政党やその所属議員から傍聴券を割り当てられた市民だけ(上記条文の「その他の者で委員長の許可を得たもの」とみなされるようです)。「公聴会は名ばかりで政党懇談会のようなもの」というKさんの嘆きには、市民として正当すぎる理由があるというべきでしょう。
はじめの問いに戻ります。地方公聴会はなんのために開かれるのか? 地方に住む市民の声を掬い上げない地方公聴会なるものにどういう意味があるのか?
単に地方の識者の意見を聴くだけなら、国会議員や議会事務局の関係者が地方にぞろぞろと出向くよりも、その地方の識者なるものを中央に呼んだ方が税金の消費も少なくて済み、合理的というべきではないか? ただちにそうした疑問が次々に沸き出でてきます。
公聴会を委員会審議の延長と考えるならば、不必要な審議妨害を避けるためにも一般傍聴を禁止する措置もやむをえないとする論も成り立つかもしれません。一般の傍聴を無制限に許可すれば政党の動員合戦になりかねない、という可能性も考えられなくはないからです。
しかし、国民主権を前提にして考えれば、国会審議を傍聴するのは、国民の当然の権利といえます。憲法57条にも両議院の会議(本会議)の公開は明確に規定されています。そうした観点から見れば、国会法52条の規定には問題があるといわなければなりません。政党の動員合戦になりかねないという危惧も、傍聴人員に制限を設けるとか、傍聴者を抽選で選ぶ(実際、地方自治体ではそうしています)とかの工夫をこらしさえすればいくらでも対応できる課題です。議会、そして地方公聴会から一般市民を排除する理由にはとうていなりえません。
政府主催の「やらせタウンミーティング」(TM)を茶番というのならば、「公聴会」という名称を用いて国民の声を聞くかのように装い、かつ、その公聴会を法案採決の前提とする民意を聴かない地方公聴会は、茶番の茶番というべきではないか。「公聴会やタウンミーティングは民主主義の手続きの1つだ。ただ、時間も手間もかけなければ、本当に国民の声を聴いたことにはならない」(信濃毎日新聞、12月10日付社説)。教基法に限らず、他の法案についても、国会が行う地方公聴会には、一般市民も参加できるよう国会法は改正されてしかるべきでしょう。
注1:衆議院の地方公聴会開催地(仙台市、宇都宮市、津市、名古屋市、大分市、札幌市)。参議院の地方公聴会開催地(新潟市、長野市、神戸市、徳島市、甲府市、静岡市)。
注2:都市計画法16条1項(公聴会の開催等)「都道府県又は市町村は、(略)都市計画の案を作成しようとする場合において必要があると認めるときは、公聴会の開催等住民の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする」
(東本高志)
http://www.janjan.jp/government/0612/0612226950/1.php
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