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□<近聞遠見>角栄が残した「いいもの」=岩見隆夫 [毎日新聞]
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20061223-01-0301.html
2006年12月25日
<近聞遠見>角栄が残した「いいもの」=岩見隆夫
「角栄DNAが三十数年続いて、ついに終わったということだな」
と慨嘆して、後藤田正晴元副総理が世を去ったのは昨年9月である。自民党の派閥の衰弱、とりわけ後藤田を重用した田中角栄元首相の流れをくむ橋本派(当時、現津島派)の凋落(ちょうらく)をみたからだった。
だが、派閥はともあれ、<角栄の話題>はいまも、功罪両面で減らない。年末、命日(93年12月16日死去)がやってきたせいとも思ってみたが、そうでもなさそうだ。角栄人気の息の長さである。
最近も、自民党の論客、加藤紘一元幹事長は新著で、
「言葉には、おそろしいほどその政治家の地金がでる」
と大物政治家たちの印象的な一言をまとめているが、最先に角栄語録をそ上にあげた。(「テロルの真犯人」講談社刊)
72年7月、田中が福田赳夫との激しい総裁選を制した直後の記者会見である。記者の一人が、
「佐藤政権で幹事長などを務めたあなたは、佐藤栄作前総理とどこが違うのか」
と質問すると、田中は一瞬キッとなって、
「いいですか、一軒の家でも財布が親父(おやじ)から息子に移ると、やり方も変わってくるんだよ」
と答えたという。加藤は書いている。
<さすがにうまいことを言うもんだな、と私は心底感心した。彼の言葉のなかには、庶民の生活の勢いのようなものが脈々と息づいていたような気がする。だからこその角栄人気であり、あれだけ庶民のことをわかってくれている人なのだから、少々の金銭スキャンダルくらいはあってもいいじゃないか――国民の間にそんな暗黙の了解がしばらく続いたのではないだろうか>
過去形でなく、いまこそ、かもしれない。シティーボーイの小泉純一郎前首相の時代に薄れていた庶民的、土着的なものへのなつかしさが、カリスマ角栄への思い入れにつながるのだ。
また、前回も紹介したが、民主党の藤井裕久前代表代行(元蔵相)は、田中政権の官房長官秘書官を務めていたとき、田中が、
「戦争を知っているやつが世の中の中心である限り、日本は安全だ。戦争を知らないやつが出てきて、日本の中核になったとき、怖いなあ」
と言ったのを思い出すという。藤井は、
<初の戦後生まれの安倍晋三首相が誕生したいま、私も同じように感じています。ただし、田中さんはその後に、「しかし、勉強してもらえばいいやな」と言われたんです>
と書いた。(藤井・仙谷由人監修「歴史をつくるもの」中央公論新社刊)
加藤、藤井の両長老が、30年以上も昔の角栄語録を同じように想起するのは興味深い。
先の道路特定財源の見直しをめぐって、塩崎恭久官房長官は、
「田中角栄代議士が中心に作られた制度を50年以上も続けてきた。この仕組みを変えることが一番大きな問題だった」
と改革の意義を訴えた。道路財源が田中による利権政治の温床、という意味が込められている。安倍首相が、
「私が総裁である限り、<古い自民党>に戻ることはない」
と繰り返すことにもつながる。利権構造にはメスを入れなければならない。小泉による郵政改革も同じ狙いがあった。
田中に象徴される<古い自民党>の負の部分は当然、切除したほうがいい。だが、田中が残した庶民感覚、非戦への執念までひっくるめて、<古い>と片づけるのだとすれば、政治はおかしくなる。
古いものがすべて時代遅れではない。(敬称略)
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