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我ら言葉のほかに失うものなし
天木・筆坂熱血インターネット対談
2006/12/23(Sat)
ネオコンと決別したフランシス・フクヤマ(天木)
ネオコンと決別したフランシス・フクヤマ
天木直人
米国の日系学者であるフランシス・フクヤマが、その著書「歴史の終わり」(三笠書房)で共産主義の敗退と西側民主主義の優位性を説いたのは1992年であった。
そのフクヤマが最近「アメリカの終わり」(講談社)という本を出版した。一瞥した限りでは「イラク政策は誤りだった」と批判し、みずからの思想的機軸であった新保守主義との決別を宣言しているようだ。もっともそのタイトル「アメリカの終わり」は、原題では「岐路に立つアメリカ」であったところを日本向けに講談社が対米批判を強める題にしたらしい。詳しく読めばそれほど激しい対米批判ではないという気もする。
このフランシス・フクヤマの「転向ぶり」を見て、私はかつて小田実が新聞で書いていた言葉を思い出した。生涯の市民抵抗者である小田実は、街頭デモこそ本来の政治行動であると主張する人物の一人である。彼によれば街頭デモの本来の姿は、前も後ろも横も、まったく見ず知らずの人達と、言葉を交わす事もなければ名刺を交換する事も無く、ただ黙々と一つのテーマに向かって反対のシュプレヒコールを挙げともに歩いていくことだという。
その小田が決して信用しない人間として、後になって、「実は私も同じ意見だったのですよ」と小さな声で近づいてくる人間だという。
米国がイラク攻撃を始めてから3年9ヶ月が過ぎ、いまや世界がその誤りに気づいている。ブッシュ大統領は米国の国民にさえ見放されて、それでいてなお解決策を見出せていない。そんな今になって「アメリカの終わり」などという本を出しても何を今更ということだろう。
しかしそれでも私はこのような本を出版したフクヤマに一定の評価を与える。いみじくも彼が自らを「背教者」と呼ぶように、彼はネオコンに別れを告げ、米国の仲間との絶交を覚悟したに違いない。おそらく彼は米国での学者としての地位を捨てたのだと思う。その覚悟をした上での「アメリカの終わり」の出版であったと思う。
イラク攻撃はそれほどまでの誤りであったのだ。そして今の米国は彼にとっては決別に値する程の国になってしまったということであると私は考えている。
http://www.tembosha.com/kd_diary/kd_diary.cgi?20061223
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