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(私の視点ウイークエンド)ライブドア強制捜査 錬金術を政治が後押し 内橋克人
2006.01.21 東京朝刊 15頁 オピニオン1 (写真は省略 紙面から転載)
東京地検特捜部がライブドアの強制捜査に手をつけたことは、いま社会を覆う「怪しげなる時代」の鍍金(めっき)が剥(は)げ落ちる幕開けの表象となろう。
堀江貴文氏と小泉政治はウリ二つの「合わせ鏡」だ。「努力したものが報われる社会を」と叫び続けた怪しげな政治スローガンの真意が、実は、一獲千金の成り金や富裕層優遇を正当化するレトリックに過ぎなかったことが、ケタ違いの「報われ方」を享受したホリエモン錬金術によって暴露された。
「グローバル・スタンダード」なる和製英語が、社会規範や節度、倫理を足蹴(あしげ)にする免罪符として使われた。法の不備を突く魂なき知略に「時代のヒーロー」の称号を与えたメディアに恥じるところはないのだろうか。
問題の根源は、小泉政治にある。昨年の総選挙で、一国の総理がホリエモン流儀を「若者の模範」といい、武部幹事長、竹中現総務相らは選挙区で「刺客」に声を限りの熱狂的声援を送り続けた。
「ひとの心もカネで買える」「社会保障など不要」と政策を競う重大な選挙戦のさなかに公言する「怪しげな錬金術師」に、自民党は破格の「市民権」を与え、ホリエモン流儀を見習うべきモデルとして社会化するのに一役買った。小泉政権の標榜(ひょうぼう)する「格差ある社会は活力ある社会」との政治スローガンを、1人の世俗的成功者の実践例で立証し、「誰でも努力さえすればホリエモンになれる」と喧伝(けんでん)したに等しい。新自由主義改革の本性もそこにある。
いま一世を風靡(ふうび)する市場至上主義の行き着くところ、「ウィナー・テイクス・オール」が待っている。1人の勝者が残りの敗者のすべてを奪う社会の到来だ。敗者復活の社会システムを育てず、敗北マジョリティー(多数派)を「努力しなかったからだ」と見捨てる市場競争至上主義が「改革」を擬装している。
堀江氏はプロ野球の近鉄とオリックスの合併話が出た際、買収に名乗りをあげ、時代の寵児(ちょうじ)として躍り出た。手当て済みと自称した買収資金はどう調達されたのか。
「堀江流錬金術」の妙が途方もない前代未聞の株式細分化にあり、大衆資金総動員に長(た)けた手法にあったことは、当時からよく知られていたところだ。買い注文と大量の株券印刷との間の時間差を突いて株価を引き上げる。さらにファンド(投資事業組合)を利用することで、同じ株式大量取得時にも、一企業の場合に比べて情報開示の時期を遅らせることができる。
90年代初頭、米国においてさえ、「血に飢えた鮫(さめ)」「紙くずを札束に変えた狐(きつね)」とウォール街でも蔑称(べっしょう)されたレバレッジド・バイアウト(LBO)の発明者、マイケル・ミルケンを彷彿(ほうふつ)とさせる。
堀江氏を指して「旧体制の破壊者」と呼ぶマスコミもあるが、真に破壊を必要としているのは、企業の都合、価値観が社会全体を支配し、個人を圧殺してきた「企業一元支配社会」の構造であり、巨大企業の政治献金に象徴される民主政治のねじ曲げ、いまも続く資本の大小による企業間差別などだ。働いているのに、生活保護世帯の給付水準を下回る「働く貧困者」が激増し、「限界過疎地」は国土の53%にも達している。
マネー・ゲームのつかの間の勝者に国民の敬意を凝集させるような政治でなく、労働の正統な報酬とは何かを明示できる政治こそ、21世紀日本のものでなければならない。
(うちはし・かつと 経済評論家)
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