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横浜事件
被害を受けた人たちと心の通い合う司法でないと、法の威信は失墜し「法の支配」の基盤が揺らぐ。“人権の最後の砦”としての使命を果たすためには、過去と率直に向き合う姿勢が必要だ。
元被告の無念胸に刻み
戦時下最大の言論弾圧事件とされる横浜事件の再審は、東京高裁でも「無罪」ではなく、「既に治安維持法は廃止されている」との形式論で裁判を打ち切る「免訴」だった。
多くの研究などで拷問による冤罪だったのは明らかなだけに、この結論は残念だ。
雑誌編集者ら数十人が「共産主義を宣伝した」などと治安維持法違反で逮捕され、有罪判決を受けた。4人は特高警察の激しい拷問で獄死した。敗戦後になっても裁判官は有罪の判決を出し続け、被告とされた人たちは長い間、解放されなかった。
事件をでっち上げた警察、容認した検察官だけでなく、司法も加担したとの批判を免れない。
釈放後、元被告たちは無罪判決による名誉回復を求めて何度も再審請求したが請求棄却が繰り返され、やっと再審判決が出たときには全員死亡していた。
昨年2月の横浜地裁判決には事実経過などに対する弁解めいた言及こそあったものの、司法としての真摯な反省は感じ取れなかった。その言及さえ高裁判決は批判しているように読める。
1963年、いわゆる巌窟王事件の再審無罪判決の際、名古屋高裁の裁判長は強盗の濡れ衣を50年間着せられてきた被告に「先輩が犯した過ちをひたすら陳謝する」と頭を下げた。こうした謙虚さこそが信頼を深めるのである。
治安維持法は戦争遂行のための旧憲法下の思想統制法だ。人権を尊重する現憲法下では横浜事件のような弾圧は起こりえないと考えたい。
だが、法体系が変わっても、法の執行者が過去の過ちを見つめていないと人権は大きな影響を受ける。
司法は国家統治機構の一翼とし治安に関する責任の一端を担う一方、「人権の砦」として大きな役割を負うが、現実には捜査当局や行政を十分チェックできないなど厳しい指摘がある。
教育現場で日の丸・君が代に対する敬意を強制され、教育基本法改正で愛国心養成が導入されようとしている。国民の内心に対する公権力の介入が強まりそうなだけに、人権を守る最後の砦としての役割はますます重要だ。
法の運用、執行を担う人たち、とりわけ最終関門である司法の関係者は、冤罪の被害者の無念を胸に刻み込んでほしい。
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