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2007年1月18日 (木)
受信料義務化問題を考える
スーパーモーニングに生出演して
3日前、テレビ朝日のスーパーモーニングの制作スタッフから連絡があり、17日の番組枠の中でNHK受信料義務化問題を取り上げるが、この問題をどう考えるか?という取材を受けた。ひととおり意見を述べると、ビデオ出演をという依頼になった。ところが、前夜になって急遽、生出演をという依頼に変わり、結局、9時15分ごろから約15分間、義務化支持の松原聡さん(東洋大学教授)と対論することになった。
局入りしてスタートまでの間に、番組チーフ・ディレクターのMさんから台本の説明を聞いた。しかし、一つ前の遺体バラバラ殺人事件の放送が延びた分、受信料義務化問題の放送枠が削られ、スタッフが用意したパネルは半分ほどしか使わず、進行案の6割程度で時間切れとなった。そのためか、放送後、多くの友人から「時間不足だった」という感想メールをもらった。
そこで、このブログで松原さんとの対論で浮かび上がった論点を整理し、補足をしておきたい。
義務化を法律で定めるのか? 契約に委ねるのか?
松原さんは義務化賛成の理由として、「当然の義務が守られていない状態を改めるため」とさりげなく発言した。これに対して、私は、「義務といっても、それを法律で定めるのか、契約で定めるのかはまったく異質」と発言した。なぜなら、受信契約は視聴者とNHKが交わす双務契約(権利と義務を分かち合う契約)である以上、NHKが公共放送としての責務、とりわけ、昨年3月にNHKが発表した新放送ガイドラインで、NHK自らが「生命線」と言い切った政治からの自立、が履行されないなら、視聴者はそれに対して、自らの義務(受信料支払い義務)の履行を停止するという抗弁が当然可能だからである。
この点は戦後、放送法制定に関わった当事者や放送法の沿革史を研究した文献で早くから指摘されてきた。たとえば、放送法制定にかかわった元郵政省電波監理局次長の荘宏氏は、放送法に受信料の支払い義務制ではなく、契約義務制を盛り込んだ理由を次のように解説している。
「(支払い義務制ではなく、契約義務制にしないと)受信者は・・・・・自由な契約によって金も払うがサービスについて注文もつけるという心理状態からは遠く離れ・・・・・・NHKを国民の総意によって設立し、国民の総体的支援によって維持し、NHKはその支持にこたえて公共奉仕に務めるようにしたいという放送法の基本方針にそわない」。
(荘宏『放送制度論のために』1963年、日本放送出版協会)
また、契約法の研究者も次のように記している。
「国民的支援に支えられた番組編成、経営基盤(財源)の自主独立性を堅持し、国民の総意に沿ったサービスの提供に努めうる諸環境を存続させるためにも、NHKに完全な特権的、徴税的な心理を育成する方向には絶対に進むべきではなく、そのためにもNHKと受信者が受信契約の締結という行為を介して形成され、育成された相互信頼関係はその範囲で価値あるものであり、現行放送法32条は、それなりに評価に価(ママ)する規定である。」
(河野弘矩「NHK受信契約」遠藤浩・林良平・水本浩監修『現代契約法大系』第7巻、サービス・労務供給契約、1984年、有斐閣)
不払い問題と未契約問題の混同
放送中、松原さんは何度か発言したが、彼が支払い義務化を支持する理由は、「今のままでは払っている人と払っていない人の不公平が続く」という議論に尽きていた。NHKや一部の与党政治家が言っていることのおうむ返しである。「これで識者なのか」というのが横で聞いていた私の率直な感想だった。
松原さんの議論の問題点は一言でいえば、受信契約を結んだうえで支払いをしていない視聴者と、そもそも受信契約を結んでいない(したがって支払いもしていない)視聴者を意識的にか無意識的にか混同している点にある。NHKが発表したところでは、それぞれの概数は、前者が110〜130万件、後者が1000万件である。
ここで確認しておかなければいけないのは、受信料の支払い義務を法定することで対処しようとするのは前者であって、その約8倍に達する未契約者の問題は義務化を法定しただけでは解決しないということである。なぜなら、受信料の支払い義務は契約を締結していることを前提にしており、未契約者にその効力が及ぶわけではないからである。
もっとも、受信機を置いていながら、受信契約を結んでいない視聴者を相手どってNHKが放送法32条を根拠に民事裁判を起こし、受信機のみなし設置日にさかのぼって受信料の支払い義務を適用するという手続きも考えられないではない。
しかし、未契約者が受信機を設置しているかどうかの立証責任はNHKが負う以上、それを確認するために家屋に立ち入る権限をNHKが持ち合わせるのかとなると法的にも物理的にも実現の見込みは乏しい。また、それ以前に、受信機を置いただけでNHKを視る視ないに関係なく、NHKと受信契約の締結を義務付ける現行放送法の32条は思想・信条の自由を定めた憲法19条に反しないのかという根源的な議論が浮上するのは必至である。
このように見てくると、受信料の支払い義務の法定で、受信料を払っている人と払っていない人の不公平が解消するかのように語るNHKや与党の一部政治家、そしてそれを受け売りする松原さんの議論がいかに実態無視のナイーブな議論であるかは、たちどころに判明するのである。この点で受信料の「不払い問題」と「未契約問題」を丸めて、不公平感の解消を喧伝する松原さんの議論は複雑な問題を単純化する一種のレトリックといってよい。
今、必要なことは視聴者の義務の強化ではなく、権利の強化
このように見てくると、受信料不払い問題、未契約問題の解決のためには、迂遠できれいごとのように聞こえても、受信料でNHKを支えようという視聴者の意識を培うNHKの努力をおいてほかに方策はないというのが私の結論である。
そんな悠長な議論をする時期はとっくに過ぎているという反論があるかも知れない。しかし、NHKが強制法を後ろ盾にして、不払い者、未契約者をぎりぎり追い詰めるとしても(執行コストの点から言って、くまなく追い詰められるものではないが)、視聴者が甘んじてそれに従い、そっくり増収になると考えるのは甘い皮算用である。私が見るところ、そのような強行措置に対して、相当数の不払い者は、不払い→支払い再開ではなく、不払い→契約解除という行動を選択するのではないかと思われる。特に、若年層では、いまやテレビは視聴の一手段でしかなく、携帯やパソコンでテレビに代わりうる状況にある。
もっとも、現行法を遵守してNHKと解約するには受信機を撤去しなければならないとなれば、
@本当に撤去したうえでの解約通知なのかどうかをNHKは確認するすべがあるのか? そうした作業を実行するコストは果たして支払い再開の増収とペイするのかどうか?
ANHKと解約しても民放は視る意思がある視聴者に、それでも受信機の撤去を迫るとなれば、「受信料を量り売り制にしてほしい」という声が噴出するだろう。また、上記の憲法論争に火がつく可能性も多分にある。
このように予見すると、「双務契約の規律に依拠した受信料制度」という原則は理想論で終わるものではなく、現実論としても唯一可能な制度と思われる。問題はむしろ、受信料でNHKを支えようという視聴者の意識をいかにして醸成するのかという点である。これに関して私は、「権利行使の機会あっての義務の履行」という双務契約の原点を再認識する以外ないように思う。具体的には、
@経営委員の公選制、公募制の採用
ANHK会長を選任する際、当面、数名の候補者を視聴者から自薦・他薦で募り、そのなかから経営委員会が決定するといった間接的公選制を採用する。
B番組審議会委員を公募制にし、NHKではなく経営委員会が応募者のなかから選出する仕組みに変える。
C韓国の公共放送KBSが「開かれたチャンネル」という名称で採用しているような、放送時間枠の一部を市民に開放し、市民が企画・制作した番組をその枠内で放送するという制度を採用する。
D視聴者が参加する番組批評懇談会(仮称)を定期的に編成し放送する。
食べてはいけない毒入り饅頭
総務省は近く開会される通常国会に受信料義務化を盛り込んだ放送法改訂法案を提出する予定と伝えられている。しかし、義務化だけでは視聴者は納得しないとして、受信料の2割程度の値下げをNHKに要請するとも伝えられている。
しかし、受信料の支払い義務を法律で定めるのか、受信契約で定めるのかは、NHKと視聴者のあるべき関係という視点から判断されるべき公共放送の本質的な問題である。他方、受信料の水準の適否は番組編成の全体像、NHKの財務の観点、関連会社への投資とその見返りのあり方等も含め、別途検討されるべき問題である。両者を絡め、値下げをまぶして義務化を通そうとする総務省の目論見は、「食べてはいけない毒入り饅頭」である。
また、その「饅頭」自体も、不払いから契約解消へと流れる視聴者の趨勢、義務化や契約締結強制に要する執行コスト次第で空手形に終わる可能性が小さくない。視聴者の見識が問われる時である。
http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_d936.html
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