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坂本弁護士一家襲撃事件から18年   西岡昌紀
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投稿者 西岡昌紀 日時 2007 年 11 月 03 日 16:32:24: of0poCGGoydL.
 

  

    坂本弁護士一家襲撃事件から18年が経ちました。
    真相は、いまだに闇の中です。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(以下引用)

   誰も物音を聞いていない?


   坂本事件の第一の疑問は、犯行計画があまりにも杜撰な点である。
   冒頭陳述によれば、実行犯の六人は事件の二日前の夜、麻原に突然
   呼びつけられ、坂本殺害を命じられたという。
   六人は翌日、手袋や地図など犯行に必要と思われる物を購入しなが
   ら坂本宅付近に赴いたが、事前に下見をした者もいなければ、
   途中で犯行計画を練った形跡もない。
    それどころか、96年9月の岡崎の法廷証言によれば、早川と
   新実以外の幹部は坂本の顔さえ知らず、車内で村井が「いいもの
   があるんです」と言って差し出した小冊子を回し読みして、坂本
   の特徴を覚えたという。当然、メンバーから「間違えたら、大変
   だな」といった“笑い話”のような問答が起きたほどだ。・・・
   ・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    その杜撰さを示す端的な例が、犯行当日が祝日(文化の日)に
   当たっていたうえ、ちょうど金曜日と重なり、大半の企業が五日
   の日曜日まで三連休だったことであろう。
    このことは当然、テレビや新聞でも取り上げられており、教団
   幹部たちがいくら浮世離れした生活を送っていたとしても、全く
   知らなかったとは思えないし、途中で気がつくはずである。人間
   一人を拉致・殺害しようというのだから、なおさら相手の動向に
   は気を止めなければならないはずだが、そうした動きは全く見え
   ない。
    現に、坂本一家はこの日から揃って四国旅行に行くはずだった。
   たまたま、坂本と龍彦が風邪気味だったため、旅行は直前になっ
   てキャンセルされた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    坂本は当時、労働事件などで多忙を極めており、休日返上で働
   くことも珍しくなかった。仮に、実行犯がそのことや、四国旅行
   を直前になってキャンセルしたことも知っていて、三日は仕事を
   すると判断しても、夕方から監視に入ったり、本人の所在をハッ
   キリと確かめずに犯行に及んでいるのは、いかにも不自然である。
    少なくとも、当日朝から標的の動向を監視し、どこにいるかぐ
   らいは掴んでおかなければ、とても拉致とか殺害とかはできない
   はずだ。
    もし、日程に余裕があるなら、確実に外出する平日を選べばい
   いし、実際、坂本は毎日、街灯も人通りも少ない道路を帰宅して
   おり、チャンスはいくらでもあった。
    それい、誰がドアを開けるのとか、どの順番で襲いかかるのか、
   といった役割分担がハッキリしていたとも思えない。そんなメン
   バーに果して、人を殺すことができるのかという素朴な疑問が出
   てくる。
    これらの点から言えるのは、教祖から言われて、とにかく現場
   まで来たが、たまたま一家が在宅していて、鍵も開いていたとい
   う、全くの偶然が重なった奇跡的な場合と、実行犯は坂本一家の
   在宅やドアが開いているのを知っていて、最初から自宅に押し入
   るつもりだった場合しか考えられない。
    次に、現場付近での見張りについてだが、実行犯の供述によれ
   ば、岡崎ら四人は坂本宅付近に長時間駐車していたことになって
   いる。だが、坂本宅付近の道路は幅が狭く、一方通行が多いうえ、
   生活道路に使われており、意外と交通量が多い。
    しかも、祝日とは言え、夕方四時から夜の九時という車の交通
   量が多い時間帯に、大の男が四人も乗った大型の四輪駆動車がず
   っと停まっていれば、かなり目立つはずだし、通行妨害をめぐる
   トラブルさえ起きるだろう。だが、近くに駐車していた京都ナン
   バーのワゴン車を目撃した人は多かったのに、問題の四輪駆動車
   の目撃情報は皆無なのだ。

   (一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社・2000年)241
    〜244ページより引用)

  
    続いて、事件現場の状況であるが、坂本宅はJR洋光台駅から
   徒歩十分の住宅街の一角に建つ二階建てプレハブアパートの二階
   で、六畳の居間と寝室、四畳半の書斎、キッチンの3Kタイプ。
   一、二階の同じ構造の各二世帯ずつが入ったアパートが計三棟、
   並ぶように建っている。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    プレハブのアパートに暮らした経験者はよくご存じだと思うが、
   ドアの開閉や子供が部屋の中を走り回る音でさえ、うるさく感じ
   るものである。まして夜中の三時に、狭い部屋に大人が被害者を
   含めて八人も集まり、早川に至っては坂本に蹴飛ばされ、鏡台に
   ぶつかり、襖が外れる騒ぎまで起こしているのだ。  
    特に、階下に住む主婦は、三か月の赤ん坊がいて、「あの日は
   ウトウトしただけで、午前三時ごろには起きてミルクを与えてい
   たが、何の物音も聞こえなかった」と証言している。
    アパートの場合、隣より階下の住人の方が音や振動に敏感なも
   のだが、普段から階段の昇降音や赤ん坊の泣き声はよく聞こえる
   と話している主婦たちが、誰も物音一つ聞いていないのだ。住人
   が口裏を合わせてでもいれば別だが、何とも不可解である。
   

   (一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社・2000年)244
    〜246ページより引用)

鍵はなぜ開いていたのか?

  次は、この事件で最大の謎とされる坂本宅玄関のドアの
 鍵について検証してみよう。坂本宅が無施錠であることを
 発見したのは、岡崎だった。岡崎の法廷証言によると、午
 後九時過ぎになっても、坂本が帰宅しないため、岡崎が歩
 いて玄関まで行き、部屋の様子を窺った。最初はドアスコ
 ープを覗くと、室内から明かりが漏れていたし、ドアポス
 トを指でゆっくりと開けて確認したところ、生活音がして、
 人の気配も感じた。右手でドアノブを回すと、約1.5セ
 ンチ開いたため、そのままにして車に戻ったという。
  このことを早川を通じて麻原に報告し、午前三時の襲撃
 となるのだが、午前零時すぎにもう一度、確認に行くと、
 やはりドアが開いていたという。
  この鍵についてはどの公判を見ても、「玄関ドアの鍵は
 施錠されていなかった」というだけでハッキリせず、実行
 犯たちからも「本当に鍵が開いていた。よく開いていたも
 のだと驚いた」といった証言が出てくるだけであった。
  ただ、そう言う以上、実行犯たちが鍵をこじ開けたので
 はないのだろう。現場検証の結果、ドアの鍵穴にこじ開け
 た跡はなく、ほかの場所から侵入した形跡もなかった。さ
 らに、五個の台鍵の所在も確認された以上、ドアは開いて
 いたが、犯人がドアを開けてもらって入ったと考えるしか
 ない。
  鍵が開いていたとすれば、考えられるケースは@坂本夫
 妻がうっかりと鍵を掛け忘れた。A鍵を開けるための別動
 隊がいて、何らかの方法で犯行前に開けておいた。B実行
 犯の供述そのものが嘘である−−−の三つであろう。
  @は坂本が身の危険を感じて、日ごろから都子に施錠だ
 けは忘れないように注意していたし、同僚にわざわざ電話
 して、「鍵をしっかりとかけた方がいい」と言っていたこ
 とや、都子の几帳面な性格からしても、まず考えられない。
 が、捜査当局の主張通り、龍彦に添い寝してうたた寝する
 可能性もゼロとは言えない。
  ただ、当時は確かに、几帳面できれい好きな都子が流し
 台に洗い物をそのままにしていたことから、うたた寝の可
 能性を指摘されたが、同じ冒陳で、都子がネグリジェ姿で
 絞殺されたことが明らかになり、うたた寝説は消えた。
  百歩譲って。仮に坂本がついうっかり、鍵をかけ忘れて
 就寝したとしよう。そうなると、実行犯グループは、坂本
 一家がたまたま風邪のために旅行を中止して在宅し、たま
 たま鍵をかけ忘れて寝た日に襲撃したことになる。
  しかも、岡崎がたまたま、その事実を発見したのだから、
 計画性云々のレベルではなく、三重の偶然が重なった“奇
 跡的な犯行”としか言いようがあるまい。
  実行犯は、坂本一家が旅行に出掛けていたとしたら、何
 日も坂本宅の前で待機するつもりだったのか。もし、ドア
 が施錠してあったら、ドアや窓を叩き割って侵入したので
 あろうか。そうなると、周囲に気ずかれずに犯行に及ぶこ
 とは不可能だが、どうするつもりだったのか。
  実行犯たちはそういうことを全く考えずに、犯行に臨ん
 だとしか思えない。


   普通は無施錠と聞けば、家族は在宅していても坂本は
  帰宅していないとか、外出時にかけ忘れたと考えるはず
  である。仮に午後九時段階では鍵が開いていたとしても、
  その後で施錠されてしまう可能性は高い。
   実際、早川は、
  「やるなら今だと言ったら、麻原に『三時を待って侵入
  しろ』と言われた。鍵がかかっていたらどうしたらいい
  かを尋ねると、麻原は『大丈夫だ。玄関のドアは開いて
  いる』と答えた。」と供述している。さらに、
  「そんな馬鹿なことはないだろう。どうせ、夜遅くなれ
  ば鍵がかかっているから、今夜は中止だとタカをくくっ
  て、村井とともに手袋をつけずに行った」
  とも供述しており、これらの供述内容の方がよほど自然
  であり、説得力がある。
  その点については、岡崎も初期の段階では、こう証言し
  ている。
  「犯行にかかわりたくなかったから、自宅近くまで下見
  に行ったものの、何もせずに帰り、何食わぬ顔で『ドア
  の鍵はかかっていた』と早川に報告した。早川が麻原に
  そう言うと、麻原は『午前三時には鍵は開いている』と
  答えた。」
   もっとも、これらの興味深い供述は、捜査の後半から
  全く姿を消し、真相はうやむやになってしまった。
   そうなると、浮かんで来るのがAである。
   捜査当局に一時、「林泰男がかつて都内の錠前店に勤
  め、錠前技術を学んでいた」との情報が寄せられたこと
  がある。林が関与したとされる新宿駅青酸ガス事件で、
  トイレの用具入れの鍵が開けられていたことに加え、坂
  本事件の準備段階で顔を出していることから疑いが持た
  れたが、私の取材でも、捜査結果でも、解錠技術を習得
  したという事実は出て来なかった。
   捜査当局は、都子が鍵を掛け忘れたとの見方を採って
  いるが、そこで引っ掛かるのは、岡崎が「犯行後、部屋
  の鍵をかけずに出た」と供述したのに対し、坂本の父親
  が事件後最初に自宅を訪ねた際、「鍵は掛かっていたと
  思う」と証言していることだ。もし、これが事実だとす
  れば、誰が鍵を閉めたのだろうか。
   Bは複数の実行犯が「鍵が開いていたので、ビックリ
  した」と供述しているうえ、嘘をつく理由があるとすれ
  ば、Aの別働隊の存在を隠す以外には考えられないので
  除外しよう。

   次に犯行時刻だが、捜査当局は四日午前三時から三時半
  までの三十分間と断定している。侵入時に、実行犯の一人
  が車の時計を見て覚えていたし、殺害後、部屋から遠くを
  通る救急車のサイレンを聞いており、調べたところ、四日
  午前三時二十五分ごろ、港南区で交通事故があり、けが人
  が磯子区内の病院に搬送されていたことが確認されたから
  だ。
   だが、その根拠はうろ覚えの記憶に基ずく供述だけであ
  り、実際の犯行はもっと早い三日夜の可能性もある。
   まず、台所の流しに夕食に使った食器などが洗わずに置
  いてあり、都子の几帳面な性格からはとても考えられない
  点が挙げられる。都子が毎日、必ずつけているという家計
  簿が三日の分から空白になっていたし、居間には読みかけ
  の本が放置されていた。
   さらに重要なのは、夫妻が大切にしていた来客用の五個
  の湯飲み茶碗のうち、三つがなくなっていたことである。
   また、母親のさちよが七日に坂本宅を訪れた際、玄関の
  たたきには夫婦の外出用の靴、ジョギングシューズ、サン
  ダルがそれぞれ二足ずつと、龍彦の靴二足の計八足がきち
  んと揃えて置いてあった。玄関のたたきは約60センチ四
  方と狭く、六人が押し入ったとすれば、計十四足の靴が折
  り重なったと見られるが、どの靴にも踏まれた跡はなく、
  ま、土足で踏み込んだ形跡もないのである。
   しかも、電話の呼び出し音がオフの状態になっており、
  一家が長時間、電話に出ないことを不審に思われないため
  に、犯人が切ったと見られている。だが、深夜なら電話が
  掛かってくる可能性は低いし、実行犯の供述にも電話を切
  ったくだりは全く出てこない。
   これらの事実は何を指すのであろうか。
   三日夜に誰か来客があったことはもちろんだが、犯行が
  もっと早い時刻に行われ、少なくとも都子は起きていた可
  能性がある、ということだ。実行犯の人数がもっと少ない、
  とも言えるかも知れない。
   最後に一家の生存が確認されているのは、三日午後七時
  過ぎ。都子が山梨県の親類に電話をかけたという事実であ
  る。午後九時過ぎ、階下の住民が浴室で水を使う音を聞い
  ているが、それは坂本夫婦のものだとは特定できないから
  だ。
   もっと重大な事実は、捜査当局が事件後ずっと、坂本宅
  階下に住んでいた家族を保護下い置いていたことだろう。
  ちょうど四日午前三時ごろに起きていたが、何の物音も聞
  かなかったという住人である。
   捜査関係者がこう明かす。
  「捜査員を警護や監視のために派遣していたのは確かだ。
  極めて重要な証言者だからで、詳細は言えないが、三日午
  後八時過ぎ、坂本さんが自宅に訪ねて来た三人の男女と話
  しているのを聞いていた。断片的に聞こえただけだが、会
  話の中身が事件に関係している可能性があったからね」
   もし、その証言通りの時間帯に、犯行が行われたとした
  ら、食器も、家計簿も、靴も、電話もすべて合点がいく。  
   ただ、その時も室内から争うような音は聞こえておらず、
  例えば、麻酔薬で眠らせただけとか、予め鍵を開けておく
  など何らかの細工をして帰っただけなのかも知れない。
   因みに、合い鍵を作るのは素人には難しいが、暴力団関
  係の金融、債権取立業者らは皆、独自に鍵師を抱えている
  ことを付記しておこう。

  (一橋文哉『オウム帝国の正体』(新潮社・2000年)
   246〜251ページより引用)


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