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龍馬ゆかりの「寺田屋」、鳥羽伏見の戦いで焼けていた(読売新聞)
鳥羽伏見の戦いによる焼失範囲を朱色で示した当時のかわら版。京都市によると中央の黒印に寺田屋があったという(京都市提供) 幕末の歴史の舞台となった旅館「寺田屋」(京都市伏見区)が当時の建物でない可能性があるとされた問題で、京都市は25日、鳥羽伏見の戦い(1868年)で焼失した後、現在の建物が再建されたと考えられると発表した。
市は、観光案内のホームページに記載すると共に、旅館側には案内テープを修正するように求めた。
市は、市歴史資料館の文献資料などを調査。その結果、当時の瓦版に描かれた鳥羽伏見の戦いによる焼失地域に寺田屋が含まれることがわかった。さらに、女将(おかみ)・お登勢が、寺田屋で襲撃された坂本龍馬の妻・お龍にあてた手紙に、焼失後に建てたとみられる仮屋を意味する「かり屋」の文言があったことを確認した。
旅館を運営する会社の津幡学社長(35)は案内テープに「市の調査結果をつけ加える」とする一方、「鳥羽伏見の戦いで一部を被災したが、修理するなどして現在に至っている」などと反論。暗殺未遂事件で龍馬が放ったピストルの弾の跡や刀傷が柱などに残っていることについて、「刀傷や弾痕は、当時ついたものだ」と語った。
(2008年9月25日22時35分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20080925-OYT1T00731.htm