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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080719-00000048-mai-soci
かつて日本のプロレスファンを沸かせた覆面レスラー、ザ・デストロイヤー=本名・リチャード・ベイヤー=さん(78)。15年前に引退し、その後はどうしているのだろう。元チャンプは、米国の故郷で水泳を教えながら、青少年の日米交流に人生の後半戦をかけていた。
【ニューヨーク州北部アクロンで小倉孝保】
ニューヨーク市から飛行機で約1時間20分。ナイアガラの滝に近いバファロー空港につくと、腰をややかがめた白髪の老人がつえを右手に待っていた。「ザ・デストロイヤー」と書いたトレーナー。デストロイヤーさんは素顔だった。
「9・11(米同時多発テロ)で、覆面のまま空港に入ることはできなくなった。へたすると逮捕だからね」。しかし、日本に行けば今でも白マスク。歯医者でも脱がない。「空港でもマスクOK。みんな『あっ、デストロイヤーさん』ってあいさつしてくれる」。今回の撮影もマスク姿で、が条件だった。
空港から車で約30分。老マスクマンは今、人口3000人の小さな町アクロンに妻ウィルマさん(75)と暮らす。5月2日に左ひざを手術、つえが手放せない。「悪いけど、きょうは4の字固めは無理だよ」。つえにはニック・ボックウィンクルやリック・フレアーといった昔のレスラー仲間のサインがあった。
初来日は1963年。故力道山、故ジャイアント馬場、アントニオ猪木の3氏と戦った珍しい外国人レスラーだ。「リキは(自分が戦った中で)最もタフなレスラーだった。ババは最も賢いレスラー。そして、トニー(猪木)は最高のテクニックを持っていたね」
15年前に日本で引退。今は公立アクロン中央学校(小学〜高校)でレスリングや水泳を教えている。そのため、地元ではスポーツ指導者として有名だ。取材中、あちこちから、「コーチ、コーチ」と声がかかった。
旧日本軍による真珠湾攻撃が11歳の時。「子どものころ、日本はひきょうな敵国だった」。しかし、日本人と出会ってそのイメージは変わった。「力道山と戦う悪役だったのに、日本人はみんな私に敬意を示してくれた。すぐに日本が好きになった」。全日本プロレスの日本陣営に参加していた6年間、2男1女を日本で育てた。本人は日本語を話さないが子どもたちはぺらぺらだ。
デストロイヤーさんは今年11〜12月に水泳部の高校生22人を日本に連れて行き、日本人スイマーと交流させる計画だ。必要な旅費、宿泊費計5万ドル(約530万円)を集めるため、高校生と一緒にホットドッグを売ったり、バーベキューパーティーを開いている。「アクロンの子どもたちは世界を知らない。自分たちと違う文化があることを子どもに教えたい」
約20年前、自宅のある土地(34万4000平方メートル)周辺にサクラを植えた。「春にはきれいな花が咲きます」と話すウィルマさんの横でデストロイヤーさんは歌った。「♪サクラ〜、サクラ〜」。元レスラーによる青少年の日米交流もいずれ、大きな花をつけるはずだ。