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2007年12月06日 [書評]
世界文学全集がはやらなくなって久しい。なに、どうせ怠惰になっただけである。もう舶来物は信奉しない、と大見得を切るならいいが、情けなや、相変わらずハリウッド拝跪ではないか。ミステリーはやっぱり洋物と相場が決まっている。書斎のスノビズムに縁なき衆生は、薄型テレビと携帯の液晶画面に涎を垂らすだけになっただけのことだ。
出版業界はいにしえの「円本」の夢が忘れられない。売れなくなった翻訳の在庫を抱えて、ひとひねり工夫を加え、古典新訳文庫なるシリーズを売り出した。店ざらしの品の埃を払うばかりでは芸がないので、ちょいと甘く味付けして包装を替え、新品同然と売り出したにひとしい。
そうして出た亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟」が飛ぶような売れゆきだという。ああ、まことに慶賀に耐えない。光文社の努力がようやく実って、隠れた需要を掘り当てたというべきだろう。だが、毒舌家の山本夏彦が生きていたら、「何を今さら」と嗤ったに違いない。
いい年をした人間が、カラマーゾフすら読んだことがないなんて、昔は恥ずかしくて言えなかったことだからだ。いや、正直言って、ドストエフスキーを旧訳で読めなかったような人間が今さら平易な新訳で読めたところで、何が分かるというのだろう。「新訳」を口実にようやくカラマーゾフに手をのばしたような人は、もとからドストエフスキーなど読む資格もなければ、必然性もない御仁である。
ドミトリー、イワン、アリョーシャ、スメルジャコフ、ゾシマ長老……その呪縛に囚われる青春のなかった人、苦悩や失意や暗澹を大時代と蔑んできた人が、スノビズムの胃袋でカラマーゾフを消化し始めたのだ。さあ、どんどん召し上がれと、舌にやさしい味付けにした訳者は恥ずかしく思わないのだろうか。
米川正夫、原卓也、江川卓……ほかにも訳者はいた。翻訳の語彙は時代の制約を受けるから陳腐化したのは当然としても、能天気な口語体の新訳が流行するのは納得がいかない。それに悪ノリしたようなNHKの教養番組を運悪く目にした。東京外国語大学学長になったこの訳者が出演していたが、そのドストエフスキー理解は、素人向けなのか、正直、唖然とするような浅さだった。
カラマーゾフがもう読まれないなら、それでいいではないか。私は再読しようと思わない。徹夜して読み明かし、自分がロシアを彷徨しているような異様な熱狂に捕われた。あの愚をもう繰り返したいとは思わない。ドストエフスキーは毒なのだ。毒を糖衣でくるんだ新訳は、私にはいたたまれない。
ロシア語は私の領分でないから言うが、日本のロシア文学者はそもそも怠惰ではないか。ずっと待っているが、いまだに翻訳されない大著がある。ワシーリー・グロスマンの「人生と運命」(Zhizn i Subda)。軍史家のアントニー・ビーバーが英訳した「赤軍記者グロースマン 独ソ戦取材ノート1941−45」のほうが先に邦訳が出てしまったのは皮肉で、ロシア文学者にとっては恥ずべき事態でないのか。
グロスマンの何たるかを日本に紹介していないから、アマゾンの同書コメントに「赤軍に味方しすぎている」などと寝とぼけたことを書かれてしまうのだ。スターリングランド攻防戦を描いてナチズムとスターリニズムの同質性を暴いたために、この大著は発禁となり、原稿は没収されて著者も陋巷に死したのである。
マイクロフィルムが奇跡のように国外に持ち出されて、海外で出版されたのは1980年代である。それから四半世紀を経た。いまや20世紀の「戦争と平和」と評価が定まり、ソルジェニツィンよりも優れているという評判の「人生と運命」が邦訳されないのは、いったい何ごとかと思う。
ついに我慢できなくなって、Harvill版の英訳を読み始めた。表現は古めかしい。が、その収容所の描写は、グロスマンの体験を経て、リアリズムのもつ透徹した哀しみを湛えている。無理を承知で、その冒頭を英訳から重訳しよう。
低い霧が漂っていた。道路沿いの高圧電線に反射する前照灯の光茫が見える。
雨は降っていなかったが、地面は露で濡れていた。信号がアスファルトにぼんやりと赤い光点を投じている。何マイルも先の収容所の息づかいを感じる。道路も線路も電線も、すべてがそこに収斂していく。ここは直線の世界だ。矩形と平行四辺形の格子が、秋空と霧と大地そのものを劃していた。
この一端だけで「人生と運命」の美しさがわかる。ドストエフスキーは流刑を体験し「死の家の記録」を書いた。だが、20世紀の「死の家」を書いたのはグロスマンである。誰か訳してくれないか。