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http://www.sankei.co.jp/culture/enterme/070801/ent070801001.htm
「また逢う日まで」「勝手にしやがれ」など5000曲以上を作詞し、戦後の歌謡曲の黄金時代を牽引(けんいん)した作詞家、阿久悠(あく・ゆう=本名・深田公之=ふかだ・ひろゆき)氏が1日午前5時29分、尿管癌のため慈恵会医大病院で死去した。70歳。兵庫県出身。自宅は非公表。後日、送る会を行う予定。喪主は妻、深田雄子さん。
昭和34年に明治大学文学部日本文学専攻卒業後、広告代理店の宣弘社に入社。広告マンと放送作家の二足のワラジを履くが、40年にフリーとなり、作詞を中心に小説、エッセーなどの執筆活動に入る。同年、ザ・スパイダースのデビュー曲「フリフリ」のB面「モンキー・ダンス」で作詞家デビューした。
昭和40年代後半から50年代にかけてヒットチャートを独占する勢いで、日本レコード大賞は「また逢う日まで」(46年)、「北の宿から」(51年)、「勝手にしやがれ」(52年)、「UFO」(53年)、「雨の慕情」(55年)と5回受賞。
また46年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生」に企画から参加し、審査員として森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美ら数多くのスターを生み出した。
53年には小説「ゴリラの首の懸賞金」で作家デビュー。直木賞候補作「瀬戸内少年野球団」(54年)、「殺人狂時代 ユリエ」(57年、横溝正史賞受賞)、「家族元年」「詩小説」「ラヂオ」「もどのり春」「転がる石」「歌謡曲の時代〜歌もよう人もよう」ほか多数の著作がある。
平成9年に菊地寛賞、11年には紫綬褒章を受章。産経新聞「正論」メンバー、産経新聞生活面にコラム「阿久悠 書く言う」を長期連載していた。