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□【あの人は今こうしている】オスマン・サンコン [日刊ゲンダイ]
http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=22901
【あの人は今こうしている】
2007年6月5日 掲載
オスマン・サンコン(「笑っていいとも!」で人気が出た)
「50歳を過ぎて子供ができるとは思わなかったよ!」
22年前、「笑っていいとも!」(フジテレビ)に出演し、人気者になった外国人タレントがいた。オスマン・サンコンさんだ。れっきとしたギニア共和国の外交官なのに、笑顔で下ネタを連発していた。最近はほとんど見ない。今どうしているのか。
会ったのは地下鉄東陽町駅に近いホテル2階のロビーラウンジ。
「テレビは出たいけど、講演会のスケジュールとぶつかることが多いの。講演会は日本全国の学校とか商工会で、年60回くらいやってるよ」
白い歯が印象的なサンコンさん、まずはこう言った。
「あとは、ボランティアね。講演先でお願いしたり、全国の友人とか、いろんな会社から寄付をもらって、それをギニアに運んでるの。文房具、衣類、車イス、生活物資なんかを年2回、長さ40フィートのコンテナに積んで送って、サンコンが車を運転して、現地の人たちに直接あげる。もう15年続けてるよ。最初は自分のポケットマネーだったのを、5、6年前、NPO法人日本ギニア交流協会を立ち上げて、その顧問としてやってるの」「去年、故郷のボッファに“サンコン小学校”を建てて、井戸も掘った。サンコン、国のおカネでいい教育を受けさせてもらって、恵まれてる。その恩返しね」
そういえば、国費で仏ソルボンヌ大学に入学したのだった。
「大学を出た後、外交官としてすぐ日本に来た。このまま日本に骨を埋めるかなーって考えてるの」
そうはいっても、故郷が恋しくはならないか。
「大宮の老人ホームの園長と友人だから、お母さんが恋しくなると遊びに行くの。お年寄りはシワとかがお母さんと同じで慰められる。4年半前、ホームヘルパー2級の資格を取って、ちゃんと介助もできるようになったんだよ。去年、『ボケは神さまがくれたプレゼント』という本も出した。本はもう11冊目になるね」
さて、サンコンさんは72年、ギニア共和国の大使館員として来日。8年間勤務したあと、アメリカへ。84年、日本人の喜美子夫人の希望で、休職して再来日。翌85年、「笑っていいとも!」でタレント活動を始めた。
「ボビー・オロゴンとかゾマホンくん、ムルアカさん……アフリカ出身の芸能人はみんな知り合い。仲いいよ、すごく。去年、ボビーにいろいろあった(所属事務所とギャラをめぐってモメた)ときは、ガマンして穏便にした方がいい、とアドバイスした。芸能人は人気商売、ニコニコしていないと」
残念ながら喜美子夫人とは離婚し、8年前、10歳年下のギニア人の大使館員と結婚。2歳7カ月の息子と、江東区内のマンションで3人暮らし。
「50歳を過ぎて子供ができるとは思わなかったよ! 実は喜美子と別れた後、ギニアでも奥さんをもらって、子供は全部で5人いる。ハハハ。喜美子との間にできた長男は23歳で、もうサラリーマンをしているよ」