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□川崎、日本勢初のグループリーグ突破の要因 [スポーツナビ]
▽川崎、日本勢初のグループリーグ突破の要因(1/2)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200705/at00013182.html
川崎、日本勢初のグループリーグ突破の要因(1/2)
ACLグループリーグ
2007年05月11日
川崎はアレマ・マラン戦で3−0の勝利を収め、Jクラブでは史上初めてアジアチャンピオンズリーグ(ACL)のグループリーグを突破した。その要因は大きく分けて二つ挙げられる。一つが実際に試合を戦う選手たちを含む戦力的な部分。そしてもう一つが、“戦う環境のサポート”という部分である。ここでは二つ目の、“戦う環境のサポート”に焦点を当てて解説してみようと思う。
■徹底したシミュレーション
昨年末、リーグ戦で2位になり(※1位の浦和が天皇杯優勝ですでに出場権を持っていたため)ACLへの出場権を獲得することが決まってから、川崎は入念に準備を進めてきた。その筆頭としては、すでに報道されているように強化部と運営スタッフを現地へ派遣し、想定されるあらゆる環境をチェックしていたことが挙げられる。
一例を挙げてみる。基本的な話ではあるが、スタッフは事前に、選手たちが移動の際に使うのと同じ時刻の飛行機で実際に移動し、その接続をチェックしていた。また、宿泊先となるホテルや現地での練習場を視察。選手たちが移動するまさに同時刻に同等のルートをたどり、移動の際に想定されるトラブルの洗い出しを行っている。ホテルでは、提供されるすべての料理をチェックし、体を張って安全を確かめたという。細かい話では、試合時にロッカールームに用意するチョコレートやガムといった軽食が現地で調達できるもので口に合うのか、それとも日本から持ち込む必要があるのかという点。また、選手がストレスを感じないように携帯電話のつながり具合を実際に確認する、といった細部に至るまでを、しらみつぶしにチェックしていたという。
またACLでは週末にJリーグをこなし、その後でアウエーへと移動し、到着して中2日で試合が行われる。これをシミュレートするために、川崎はシーズン前の2月に行われた宮崎キャンプ中に予行演習を行った。
例えば川崎は2月10日(土)に専修大学との練習試合を組んだが、この試合を終えた選手たちは、オフの翌11日を挟んで12日(月)に宮崎に移動。その日の午後から練習を開始している。さらに13日に練習を行って14日の水曜日に福岡と練習試合を行ったのである。
これはまさに3月3日(土)の開幕戦の鹿島戦を起点として、3月7日(水)にインドネシア・マランでACL初戦を戦うまでの過程をシミュレートしたものだ。練習の回数やその開始時間も含めて本番とほぼ同時刻で行っている。こうした入念な事前のスケジューリングで、川崎にとっては未知の大会に向かうまでのリズムをつかんでいったのである。
■ACLサポートプロジェクトの存在
“戦う環境のサポート”という点で、外してはならないものがもう一つある。それが今季から立ち上げられた「ACLサポートプロジェクト」である。ACLは現在日本で開催されているクラブワールドカップへと直結する大会であり、その重要性が浸透されるようになってきた。そうした現状に合わせるように、社団法人Jリーグとしても、積極的にサポートすることの必要性が認識されるに至る。そこでJリーグの犬飼基昭専務理事がプロジェクトリーダーとなり、前述の組織が今季から発足したのである。
川崎にとって最もタフな戦いが予想されたアウエーのインドネシアには、技術・アカデミー部の佐藤仁司氏と運営部の川崎濃氏2名のスタッフが同行。芝の刈り具合といった試合に直結する部分はもちろん、当日のメディア対応に至るまでのサポートを取り仕切っていた。ちなみに川崎の選手バスが渋滞する道路を避けるべく、パトカーの先導によって反対車線を逆送した話はすでに報道されて有名かと思われるが、そのパトカーの手配を交渉し実現したのはACLサポートプロジェクトである。
そうしたサポートプロジェクトの活躍は選手たちも認識するに至り、例えばグループリーグ突破を決めた試合後に中村憲剛は「今回はJのスタッフも来てくれて、目に見えないところでサポートしてくれました」と謝意を述べると同時に、クラブスタッフによる事前調査も含めて「アウエーを感じなかったですし、快適でした」と振り返っている。
ちなみに、インドネシアで川崎がストレスを感じなかった理由の一つとして、現地が親日的だったことも上げられるだろう。それはスラバヤでもマランでも、インドネシア人からみじんも敵対的態度を取られなかった筆者自身の実体験からも力説できる。
<続く>
▽川崎、日本勢初のグループリーグ突破の要因(2/2)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/jtoto/column/200705/at00013183.html
川崎、日本勢初のグループリーグ突破の要因(2/2)
ACLグループリーグ
2007年05月11日
■幸運だった組み合わせ
今回のグループリーグ突破には、実はラッキーな要素も含まれていた。例えばアレマ・マランはチーム内で金銭的なトラブルが起きており、複数の主力選手がオフ期に他チームへと移籍した後だった。監督も交代直後で、ACLへの出場権を手にした時のチームとは別物だったといえる。第5節の来日時にも、予定外の脱落者2名を含めて9名がメンバーから外れており、結局12名というギリギリの人数で試合に臨むこととなった。そうしたチームにはさすがに負けるわけにはいかない。
また、F組最大のライバルと目されていた全南ドラゴンズも、けが人が多数発生してベストメンバーを組めないチーム事情があった。組み合わせ抽選会直後から動き出していた全南はかなり本気でACL制覇をもくろんでいたようだが、けが人続出による得点力不足は否めなかった。そういう意味では、今回の川崎は組み合わせにも恵まれていたといえるだろう。
■インドネシアが親日の理由
ところで少々余談になるが、なぜインドネシア人が日本人を親日的感情で迎えてくれるのかを簡単にひも解いておこうと思う。
日本は太平洋戦争中に3年半にわたりインドネシアを支配したが、日本が敗北した翌々日にインドネシアは独立を宣言する。ところが、その宣言に対しイギリスの支援を受けたオランダがやってきたという。そもそも日本が占領する前のインドネシアは300年以上もの間オランダによって植民地支配されており、オランダはインドネシアの再植民地化を意図していたのである。必然的に始まることとなった独立戦争は4年間続いたが、80万人という甚大なインドネシア人犠牲者を出したこの戦争に、旧日本軍兵士約2000人がインドネシア側で参戦して血を流し、約半数が戦死したという。彼ら旧日本軍はインドネシア軍に組織編成面で協力しており、また他国の独立戦争に参加したことがインドネシア人の琴線に触れたのだろう。
ちなみにオランダ軍との独立戦争中に激戦地の一つとなったのがマラン近郊だったという。そうした歴史的背景もあって、少なくとも川崎の遠征時にはマランでは日本人が危険な状況に陥ることは皆無だった。もしかしたらアレマニアが試合前に川崎サポーター向けに歌っていた「インドネシア! アレマ・マラン! アリガトウ!」というコールも、そうした歴史背景が影響していたのかもしれない。いずれにしても2万8000人で埋めつくされたガジャヤナ・スタジアムに殺伐とした空気は流れてはいなかった。そういう意味でも川崎は運を持っていたと言えるだろう。
<了>