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(回答先: Re: 物(廃物)のエントロピーは、宇宙空間に捨て去ることができない、モノ的には閉鎖系である 投稿者 短足鰐 日時 2008 年 2 月 01 日 20:18:43)
(槌田敦、引用つづき)
「ウラン鉱石は燃料であるけれども、低エントロピー資源とはいいがたい。…ウラン鉱を掘り出し、加工し、原子炉で燃やし、そして放射能のあと始末をするのに、多量のエントロピーを発生することになる…」(第三章)
「100万キロワットの巨大原発を1年間運転すると、約30トンの使用済核燃料になる(中に放射能約1トンとプルトニューム0.3トン含む)。この外に、ドラム缶につめた固体放射能を年間およし4000本つくり出す。
ウラン鉱山や精錬所ではこの100万キロワットを1年間発電するために、約20万トンの廃鉱石を発生する(ラジウム等の放射能を含む)。これらは野積みされ、環境へ流れ出している。
廃炉の処分も大問題である。建設のために持ち込んだトラック1台分の鉄材は、運び出す時には放射能化している。そのため厳重な容器に少量ずつ入れて運び出さなければならないから、トラックの数は数十台必要になる。つまり、建設よりも、処分に動力がよけいに必要になるのである。これらを総称して核廃物というが、捨てられないので核廃「棄」物ではない。」(第5章 捨て場の枯渇)
「核廃物の毒性は、分裂生成物で1000年程度、超ウラン元素で100万年程度も続く。プルトニューム239は、100万キロワット軽水炉で1年間に約250キログラム生産される。この半減期は2万4000年だ。ヨウ素129の半減期は、17000万年である」(第5章)
「環境へエントロピーを捨てることは、活動を持続して行うために必須のことである。それなのに、環境へ捨てることのできないものを製造することは、間違っている。原子力は、資源物理学の立場からは断じて認めることはできない。」(第5章)
〔短足鰐〕
大量のエントロピーである核廃物は、始末にいけない。原発は決してクリーンなエネルギーではなく、ケタ外れにダーティなそれである。
ヨーロッパのさる国では、核廃物を岩塩鉱跡の地下深くに貯蔵している。数万年から100万年を越す、人類の歴史(50万年)をも凌駕するような期間、誰が責任をとれるのだろう。地殻の大変動や天変地異がないという保障はない。核エネルギー信仰は、「超無責任」が天から地まで貫いている一種の宗教(イデオロギー)であろう。
原発と同様、核兵器もその製造過程と後処理において、大量のエントロピーを発生するだろう。原子力全般をカルト的思考をする習性から脱して、物理学(熱力学)の目で冷厳に思考を積み重ねていくことが必須である。
エネルギー・経済発展という熱病にとり憑かれた世相、警鐘を鳴らす槌田先生は、少数派で埋没しそうだ。鰐の目にも涙。鰐は短い足でもがき続けるほかない。
(「資源物理学入門」の附章は、コンパクトな熱力学の解説書になっていて便利)
(補足−槌田、引用)原子力発電
「石油の消費先は、ほぼ四等分して、電力、移動用動力、工場燃料、原料・その他である。ところで原子力の消費先は電力だけである。
原子力が電力を生産するのだから、それはそれとして意味があるのではないかとするのも、正しくない。原子力がエネルギー源かも知れないと思われていたのは昔の話である。
アメリカのERDA(エネルギー省の前身)は、1976年に原子力発電のエネルギー収支計算をした。それによると電力を100産出するのに石油と電力を計26投入するという。つまり、産出投入比は四というわけだ。
ところがその計算の仮定である原発の稼働率がきわめて非現実的なのである。日本の原発の実態は、最初の三年間はなんとか運転できているのだが、三年目から軒並み休業なのである。…設備利用率も、耐用年数も半分だから、総発電量は1/4以下、100産出するはずの電力は25以下ということになる。26投入して25産出するのでは何をしているのかさっぱりわからない。」(第4章 動力文明と科学技術)
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