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http://www.nikkei-bookdirect.com/science/page/magazine/0709/200709_080.html
以下の文章は記事本文8ページのうちの最初の1ページ目です。
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太平洋の島への旅から戻ってきたルーシーとピートは,2人がそれぞれみやげ物として買った同じ骨董品が飛行機で輸送中に壊れてしまったことに気づく。航空会社の責任者は,当然損害を補償することになるが,見たこともないこれらの品物の価値については皆目見当がつかない不利な立場にある。旅行者にただ値段を聞いても,どうせ高くふっかけるから無駄だろうと責任者は考えた。
代わりに責任者は,もっと複雑な手を考案する。旅行者それぞれに,たがいに相談せず2から100までの整数のドル額として骨董品の値段を書いてもらう。2人が揃って同じ数字を書けば,それを本当の値段とし,それぞれにその金額を支払う。
しかし,2人が違う数字を書いた場合は,小さいほうの数字が実際の値段であり,大きい数字を書いた人は値段をごまかしていると考える。その場合,小さいほうの数字の金額を2人に支払うとともに,褒美と罰金をつける。小さいほうの数字を書いた人には正直に書いた褒美として2ドルがプラスされ,大きいほうの数字を書いた人は罰として2ドル差し引かれる。例えばルーシーが46と書き,ピートが100と書いた場合,ルーシーは48ドル,ピートは44ドルを受け取ることになる。
果たしてルーシーとピートはどんな数字を書くだろう。あなたならどうするだろうか。
1人または複数の人が選択を行い,その選択に沿って報酬を受け取るというこの種のシナリオは,研究者の間では「ゲーム」と呼ばれる。私は1994年に,いくつかの目的を念頭に置いてこのゲーム「旅行者のジレンマ」を考案した。その目的は,人間の行動と認知過程が合理的だとする,経済学者や多くの政治学者の視野の狭いとらえ方に異議を唱え,伝統的な経済学の自由主義的な仮定を問い直すこと,合理性がはらむ論理的なパラドックスを浮き彫りにすることだ。
「旅行者のジレンマ」の場合,論理に従うなら「2」と答えるのが最良の選択肢であるにもかかわらず,ほとんどの人が100かそれに近い数字を選択する(論理的に考えなかった人も,自分が「合理的」な選択から著しく逸脱していると十分わかっている人も)。しかもそのように合理的推論に従わないことで,より大きな報酬が得られる。つまり,旅行者のジレンマのゲームでは,合理的でない選択をすることに何らかの合理的な点があるわけだ。
著者
Kaushik Basu
コーネル大学の経済学教授,国際研究カール・マルクス記念教授,分析的経済学研究所所長。開発経済学,厚生経済学,ゲーム理論,産業組織論に関する論文を学術雑誌に多数発表してきた。BBCニュース・オンラインでの毎月のコラムをはじめ,一般向けメディアにも執筆している。米国計量経済学会会員。
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