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副島「ニュートンの主著「プリンケピア」が、どれほどの真理(真実)を、人類にもたらしたというのか。私たち日本人は、本当に知っているのか? ニュートンが何を主張した人だかを、私たちは知っていない。ガリレオ・ガリレイの思想の剽窃(ひょうせつ)である。ガリレオの「落体の法則」以上のものを、おそらく今も人類は知らないのだ。
ニュートンによる、ロバート・フックの楕円軌道説の、有名な泥棒である。フックの法則と、今日の顕微鏡(けんびきょう)の原型を作ったことで有名な、ロバート・フックの娘が、フックの墓碑銘(エピタフ epitaph)に、「いつか必ず、泥棒を突きとめ、私の父の名誉を回復してくれる人々が現れるだろう」と書いている」(07.5.23)
http://snsi-j.jp/boyakif/wd200705.html#2301
中島秀人「なるほど、ニュートンはフックからある知識を吸収した。しかし、ニュートンが成し遂げたことは、フックよりはるかに大きかった。
フックは、ニュートンが自分から引力の逆二乗の法則を剽窃したと述べた。この主張に理がないことは、本章の議論から明らかであろう。フックが逆二乗則を最初に明確に述べたのは、1979年に始まるニュートンとの文通のときであった。74年の『地球の運動を証明する試み』の段階では、フックはまだ逆二乗の関係を把握していなかった。フックがこの関係に思い至ったのは、…74年以降76年夏以前のことである。
一方、ニュートンが逆二乗の関係をつかんだのは、本人の証言通り、1666年ごろのことだった。それは、ニュートンの「驚異の年」と呼ばれる時期であり、…ニュートンが逆二乗の関係を理解したのは、フックより10年近く早かったことになる。
もう一つ重要な問題として、…フックのいう引力とは、天体相互の場合のように、似たもの同士が引き合う作用のことなのであった。しかも、それは一定の範囲の中でしか作用しない。これに対して、ニュートンの万有引力は、類事物の間だけでなく、すべての物体の間に働く力である。しかも、その作用は、どんなに離れていても及ぶものだった(この考えに及んだのは1985年秋頃である)。
このときニュートンは、ようやくフックより一歩先に進んだのだ。万有引力は、ニュートン自身が、研究の結果として自らつかみとった成果だった。こう考えると、フックの申し立てにニュートンが怒ったのは、まったく正当なことだった。
だが、ニュートンはフックからまったく何も学ばなかったのだろうか。実はそうではなかったのである。ニュートンは、遠心力と重力の均衡関係を考えている。しかし、遠心力は(慣性系の物理学の範囲では)見かけの力に過ぎず、本当の力である重力と釣り合うことはできない。
これに対してフックは、1666年という早い時期に、天体運動を正しい立場から理解していた。フックは79年に送った手紙でニュートンに、「惑星の運動を、接線方向の直線運動と、中心の物体の方向への引力運動の合成」とする自分の仮説に対する見解を求めたのである。
ニュートンが惑星運動の原因を正しく理解するようになったのは、このフックの手紙の直後のことであった。遠心力と引力の釣り合いという誤った考えからニュートンが抜け出せたのは、フックのおかげだった。だからフックは、ニュートンに異議申し立てをするなら、この点を指摘すべきだった。 だが彼は、万有引力の法則の先取権を主張するばかりだった。フックは、戦略を間違えたのだ。
もちろん、惑星の軌道運動の原因を正しく把握していたからといって、フックがそれを詳しく論じることができたわけではない。フック自身が認めたように、このような「規則から生じる曲線の証明は完全にあなた〔ニュートン〕自身のもの」なのであった。そして、ニュートンが主張した通り、惑星の問題を解くための数学的な手段、すなわち微積分法は、フックの守備範囲を完全に越えていた。惑星の問題は、数学者として並外れた才能を持つニュートンにのみ完全に解くことができるものだったのである。」(『ロバート・フック ニュートンに消された男』(朝日選書‘96年)
足の短い鰐です。ニュートンやアインシュタインを「食わせ者」(←別の所で言っている)だと呼ばわる先生の尋常ならざる情念は、どこからくるのだろうか? ニュートンがガリレオやフックを剽窃したのが科学史上の真実ならば、この論文で博士号どころか、世界で誰も成し遂げたことのないパイオニア・ワークとなる。先生にはこの情念をバネとして、ぜひ冊子1冊ぐらいの一大論文を書いてもらいたい。拍手するかどうかは結果を見てからにする。
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