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樽を知る?  ディオゲネス
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投稿者 きすぐれ真一 日時 2008 年 1 月 12 日 01:28:57: HyQF24IvCTDS6
 


・・・
あゝ、誰か来て僕を助けて呉れ
ヂオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
けふびは雀も啼いてはをらぬ

         中原中也(「秋日狂乱」)

とはいえ、先日、ウグイスとメジロとシジュウカラがあいついで庭に来た。仲良きことはうつくしき哉


愉快痛快さん、ちょっと失礼しますよ。


http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/diogenesu.htm

1.樽の聖者
 高校時代に英語の教科書で「ディオゲネス」というギリシャの哲人のことを知った。以来、この風変わりなギリシャの哲人は私の心の中に住み続けている。これまでもディオゲネスについては何度も書いているのだが、すぐにまた書いてみたくなる。それだけ好きだと言うことだろう。

 ディオゲネス(BC410〜BC323))はアテネ郊外に住んでいた。樽の中に住んでいて、その樽を転がして好きな場所に移動した。樽の他に彼はこれという持ち物は何もなかった。いわばシンプルライフ、スローライフの先駆者のような存在である。

 彼は「美しい人」と呼ばれた。外貌ではなく「魂において美しい人」という意味である。彼はただ樽の中に住んでいただけで、何事かを為したわけではない。天気のよい日は樽から抜け出して、河原でひなたぼっこをしていたという。

 まったくの無為徒食である。説教をするでもない。著作をするでもない。書物はひとつも残さなかったが、しかし彼ほど多くの逸話を後世に残したの人はいない。それだけ彼は当時の人々からも一目置かれ、尊敬されていたということだろう。

 説教はしなかったが、彼は自分の生き方を通して、人々に大きな感化を与えた。そして二千数百年を経た現在でも、彼の名前はその数々の逸話とともに伝えられ、デオゲネスは「哲学者」の代名詞のようにさえなっている。それでは彼の逸話をいくつか紹介しよう。

 ある晴れた気持のよい日に、彼が貧しい農夫からもらったキャベツをいとおしむように河原で洗っていると、アテネに住む友人の哲学者が近くを通りかかって、「君も私のように金持ちの友人とつきあいたまえ。そうすればもっとすばらしい邸宅に招待され、もっとおいしいご馳走がもらえるよ」と忠告をした。その友人に対して、ディオゲネスはこう答えたという。

「私にはこのキャベツが最高のごちそうなのさ。なぜなら、このキャベツは私にこれをくれた人の善意で味付けされているからね。君の金持ちの友人の食卓のどんな調味料よりもこれがおいしいんだよ。君もここへきてキャベツを洗ってごらん。川でひなたぼっこをしながらキャベツを食べるのが、どんなに楽しいことかわかれば、金持ちの友人なんか必要でなくなるだろうよ。そしてご機嫌取りの退屈な会話からも解放されるわけだ」

 いくらシンプルライフだとはいえ、「食べる」ことはしなければならない。良寛に「焚くほどは風が持てくる落ち葉かな」という句があるが、おそらく彼もそのように人の善意にすがって、最低限の食料を得ていたのだろう。そして、彼にとってはそうして得た野菜の切れ端こそが、どんな贅沢な食事にも勝る最高のごちそうだったわけだ。

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2.天下の住人
 ディオゲネスが住んでいた樽は、半分壊れてもうだれも使わなくなったような代物だった。そこに彼は野良犬のように棲みついていたので、彼は「犬の哲学者」と呼ばれ、彼の一派は「犬儒派」と呼ばれた。

 彼と同時代の哲学者にはプラトンやアリストテレスがいる。すこし時代が下がればストア派のゼノンや快楽主義のエピキュロスがいる。いずれも大勢の門人をかかえていた。おなじ禁欲主義のゼノンでさえ、それなりの家に暮らして、世の尊敬を受けていた。

 そうした権勢のある哲学者とその門人から見れば、ディオゲネスは「犬の哲学者」と呼ぶに相応しかったのだろう。彼は自分がそう呼ばれるのをいやがらず、すすんで自分を「野良犬」と自称さえしていた。

 彼は樽の中にランプと水を入れる革袋を持っていた。彼は真昼からランプに灯をともして、アテネの町を歩いたことがある。アテネの人々がいぶかしがって声をかけると、「私はイヌと呼ばれている。そうかもしれない。それでは人間はどこにいるのか。私は人間をさがしているのだよ」と答え、相手の方にランプをかざし、じっと見つめるので、相手はうろたえて逃げ出した。

 デオゲネスは「アテネに人がいなくなった」と言っていた。ディオゲネスにすればプラトンでさえ「人間」ではなかった。ましてや「哲学者」ではなかった。彼はソクラテスを尊敬していたが、プラトンの小説の中に出てくるソクラテスは嫌いだった。

 ディオゲネスが尊敬するソクラテスは貧しい家に住み、誰彼となく議論を吹っかけて人々から嫌われていたソクラテスだった。ソクラテスはその辛辣な皮肉で人を刺した。そして名声を求めず、独り毅然として生きていた。ディオゲネスはそんなソクラテスが好きだった。しかし、アテネにはもはやソクラテスのような人間はいなかった。

 ディオゲネスのランプは現在では「賢者の象徴」とされ、アテネ大学の徽章にもなっているという。しかし、当時のアテネのお上品な人々には、ディオゲネスが理解できなかった。犬儒派のことをシニシズムというが、辛辣なという意味のシニカルという言葉はここから来ている。ディオゲネスに弟子や門人はいなかったが、彼の辛辣な皮肉は、人を遠ざけるためにかなり有効だったようだ。

 彼はランプの他に持っていたものといえば水を入れる革袋だが、彼は後にこれを捨てた。ディオゲネスはある日、子供が素手で水を掬っているのを見て、「おれは何という馬鹿者だったことか。おれは子供に大切なことを教えられた」と天を仰いだ。そして水袋をその場で捨てたのだという。

 ディオゲネスはアテネの近郊に住んでいたが、アテネの住民という訳ではなかった。彼は「あなたはどこの国の人ですか」と人に訊かれるたびに、「太陽はいくつありますか」と逆に聞き返した。相手が「一つです」と答えると、ディオゲネスは嬉しそうに破顔一笑して、いつもこう答えていた。

「そうです。太陽は一つしかありません。そして私たちはだれもこの一つの太陽をいただいて暮らしているのです。私に祖国などありません。私はただ、この天の下で暮らしているのです。私は天下の住人です」

 当時ギリシャは争乱の時代だった。アテネやスパルタがギリシャ半島の覇権を競って争っていた。ディオゲネスはそうした争乱を冷ややかな目で見ていた。ディオゲネスはどうして戦争が起こるのか知っていた。

 地上に災いをもたらすものは、人間のあくなき所有欲である。愛国心の正体も、彼の目にはこの所有欲のお化けでしかなかった。それはいずれ国を滅ぼすだろう。そのことをディオゲネスは知っていた。

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3.光をわけて下さい
 BC338年にギリシャ連合軍はマケドニアに負けている。その後も反乱を起こしたが、結局はアレキサンダー大王に力でねじ伏せられてしまった。このときディオゲネスは70歳を過ぎた老人だった。

 アレキサンダー大王(BC356〜BC323)はアテネを征服したが、これを焼き滅ぼそうとはしなかった。いつの場合でも、恭順の意を示した人々には彼は寛容だった。ギリシャ人はたちまちアレキサンダーを自分たちの偉大な王として迎え入れた。これまでさんざん悪口を言って敵対していた政治家や哲学者も、こぞって彼を賛美しはじめた。

 そうした中で、ディオゲネスはあいかわらず樽の中で我関せずの気儘な生活を楽しんでいた。アレキサンダーはこの風変わりで高名な哲学者が自分に会いに来るのを楽しみにしていたが、部下を何度さしむけても「わしは昼寝で忙しい」と言って動こうとしない。仕方がないので、自分から会いに行くことにした。

 ディオゲネスは樽の近くでひなたぼっこをしていた。軍勢を引き連れてやってきたアレキサンダーを見ても、寝そべったまま居ずまいをただそうともしない。以下、二人の会話を再現してみよう。

「私はアレキサンダーです。ギリシャはいま完全に私の手の中にあります。アテネの人々は私の姿を見ただけで震え上がります。あなたは私が怖くはないのですか」

「君は善い人かね。それとも悪人かね」

「私は善人です。私は父からたくましく生きることを学びました。そして師アリストテレスから、善く生きることをを学んだのです」

「私は善人を恐れない。君が善人だとしたら、君を恐れる理由はないだろう」

 アレキサンダーは老哲学者の言葉に感心した。ディオゲネスは相変わらず寝そべったままだったが、それをもはや無礼とも感じなかった。

「あなたのような智者に会えたことを嬉しく思います。つきましてはお礼をさせてください。何をお望みでしょうか。私に出来ることなら、何でもさせていただきましょう」

「それではひとつ頼み事をしよう。わしの前に立たないでほしい。君はわしから大きな楽しみを奪っている。わしの望みは日差しと昼寝だ。日の光を私に分けてくれないかね」

「これは失礼をしました。それにしても、無欲な方ですね。あなたは私がアテネで出会った尊敬できるただ一人の人です。それでは昼寝の前に、ひとつだけ質問させて下さい。あなたは私のことをどう見ていますか。本当に私は善人なのでしょうか」

「わしは人物をいつも行動で評価している。君は多くの人を殺して、そのあげくギリシャを征服した。このあと、何をするつもりだね。まだ人を殺し続けるつもりかね。君は人殺しをつぐなう以上の善行がこの世にあると考えているのかね」

「私がギリシャを征服したのは、ギリシャに平和をもたらすためです。さらに私は世界を征服するでしょう。地の果てまでも軍隊を進め、世界に平和をもたらします。それが私に与えられた使命だと思っています」

「君は平和のために戦うという。しかし、戦いは戦いを生むだけだ。アテネはそうして滅びた。このままでは、君もいずれ滅びるだろう。平和ならここにあるよ。何もしないこと、それが平和だ。どうだい、君もその鎧を脱いで、私と一緒にひなたぼっこをしてみないかね。一緒にキャベツを川で洗って食べてみないかね」

 アレキサンダーはディオゲネスの言葉をしばらく考えた。ディオゲネスとならんで毎日はだかでひなたぼっこをするのも悪くはないなと思った。平和は心の中に実現するものであって、戦争によってはもたらされないという思想は、師アリストテレスからも聞いていた。

「私は王としてこの世に生まれました。これが神々が私に与えた私の運命なのです。しかし、生まれ変われるものなら、私は哲学者に生まれ変わりたいものです。そうすれば、ディオゲネスよ、私もきっとあなたのように長寿を全うし、平和でやすらかな生き方ができるでしょう」

 アレキサンダーは淋しく笑ってディオゲネスを見つめた。ディオゲネスはもうなにも言わず、だまって目を閉じた。そうすると急に眠くなった。ディオゲネスが目を覚ましたとき、もうアレキサンダーの姿はなかった。

 言い伝えでは、ディオゲネスはアレキサンダーと同じ日に死んだという。そのときディオゲネスは90歳を超えた老人だったが、アレキサンダーはまだ32歳の青年だった。冥界でなかよく並んでひなたぼっこをしている老人と青年をみかけたら、この二人かも知れない。

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4.贋金作り
 ディオゲネスはBC410年頃に、黒海沿岸のシノペという町(現在はトルコ領)に、裕福な両替商の息子として生まれている。彼はあるとき、「国に広く流通しているものを変えるのがおまえの使命である」という神託を受けた。

 「国に広く流通しているもの(ポリティコン・ノミスマ)」とは何か。彼はそれを「貨幣」だと考えた。宗教・思想や習慣など、いろいろ考えられるが、彼があえて「貨幣」に着目したのは、それなりに理由があってのことだった。

 それは「貨幣」は人間が作りだしたものでありながら、実は人間を支配している元凶だと考えたからだ。デイオゲネスの時代は、すでに宗教は力を失っていた。プロタゴラスは「万物の尺度は人間である」と宣言していた。神ではなく、人間が主役である時代が到来していた。

 しかし、その主役の筈の人間もじつは貨幣に支配されていた。自由人を自称するポリスの市民も例外ではなかった。両替商の息子として生まれたディオゲネスは「貨幣の魔力」についてよく知っていた。彼の目には貨幣こそ現代の悪しき神のように見えた。

 しかし、この現代の神である「貨幣」の正体は何だろう。金持ちはいかにして金持ちになるか。それは奴隷をしぼりあげることによってだった。貨幣とは何か。それは搾取された労働ではないのか。

 マルクスはのちに「労働の疎外」という言葉を使ったが、こうした世のなかの仕組みを古代の奴隷制社会に生きていたデイオゲネスはよく理解していたようだ。たとえば、彼は金持ちの家に招待されて、「盗人、この門を入るべからず」という看板を見て、「それではこの家の者はどこから中にはいったらよいのか」と辛辣な言葉を吐いている。

 さらに、「家の中では痰を吐かないで下さい」と言われて、彼はその金持ちの主人の顔に痰を吐き付けた。「痰を吐いてよさそうないちばん汚いところを探したところ、君の顔がそこにあったものでね」というのがディオゲネスの言いぐさだった。

 神殿を管理する役人が、あるとき賽銭を盗もうとした男を捕まえて連行しようとしたところ、ディオゲネスは「大泥棒がこそ泥を捕まえたぞ」とはやしたてた。こうした逸話からもわかるように、ディオゲネスの社会を見る目はとても深かったことがわかる。彼は単なる悟り澄ました乞食の哲学者ではなかった。この時代には珍しい冷徹な経済学者でもあったわけだ。

 ディオゲネスは贋金を作ることで、「貨幣」というものの信用をなくし、その人間に対する支配力をそぎ落とそうとした。しかし、そんな大それた社会革命がディオゲネス一人の手でできるわけはない。彼は捕らえられ、財産を没収された上で、ふるさとのシノペから追放されることになった。

 彼はこうしてシノベをあとにし、異国に渡る船上の人になったわけだが、今度は思わぬ運命が彼をさらなる窮地に陥れた。彼を乗せた船が海賊に襲われたのだ。デイオゲネスは海賊に捉えられ、奴隷商人の手に委ねられた。彼はこうして自由の身分を剥奪され、奴隷の身分にたたき落されてしまった。

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5.奴隷から自由人へ
 海賊に襲われ、クレタ島に連れていかれたディオゲネスはそこで奴隷として売り出された。そのとき、奴隷商人が、「おまえは何ができるか」と質問すると、彼は胸を張って、「私は神々のように人を支配することができる」と答えた。

 奴隷商人は驚いて、その真意を問いただした。ディオゲネスがいうには、人間はだれも何者かの奴隷になっている。とくに自分の欲望の奴隷になっている。欲望こそが人間の主人なのだ。欲望にあやつられて動く人間は、みんな奴隷である。

 私もまた欲望を持っているが、欲望に支配されることはない。どうしてかといえば、私は欲望よりももっとすばらしいもの、もっと強力でよろこばしいもの、すなわち真理に従って生きる道を知っているからである。真理に従っているかぎり、私は私の主人である。そして私は神々のように幸福である。

 真理こそはすべての支配者である。しかし、人々はその存在すら知ろうとしない。したがって、真理の存在を知っている私は自分自身の主人である。そして真理を知っていることで、他人をも支配することができる。なぜなら、自分を支配することができる人間だけが、他人から自由であり、他人をも自由にできるからである。

 こんな生意気な奴隷を誰も買うはずはないと思われたが、デイオゲネスの演説にじっと耳を傾けていた男がいた。クセニアデスという富豪である。クセニアデスは「私にはあなたのような主人が必要だ」と冗談をいい、彼を買ってくれた。

 ディオゲネスもクセニアデスが好きになった。そこでディオゲネスは、家庭教師として彼の息子を立派な男に鍛え上げた。そればかりか、経理の才を生かして、クセニアデスの商売を助けてやった。クセニアデスは大いに喜んで、ディオゲネスを奴隷の身分から解放してくれた。

 こうしてディオゲネスは自由の身になってアテネにやってきた。そしてそこで、ソクラテスの弟子のアンティステネスという哲学者に出会った。この出会いがデイオゲネスの人生を変えることになった。

 アンティステネスがソクラテスから学んだことは、「物欲にふりまわされていけない。そうしたものを捨て去り、精神を鍛えて、魂のためにだけ生きなければいけない」ということだった。アンティステネスはこのソクラテスの教えを実践することこそが哲学者の正しいあり方だと考えた。

 アンティステネスの偉いところは、ただそう考えただけではなく、そうした生活を自ら実践してみせたことである。彼は財産を捨て、粗末な身なりをして街に現れ、人々にそうした簡素な生き方のすばらしさを説いた。ディオゲネスはアンティステネスのなかに真の哲学者のあるべき姿を見た。そして彼も又アンティステネスのような生活をはじめたわけだ。

 ディオゲネスはこうして野良犬のような生活をしながら、アテネの市民たちが所有する奴隷の数で他人を評価し、お互いの富を競い合うのを皮肉な目で見ていた。祭壇に生け贄を捧げ、その後に御馳走をたらふく食べて健康を害しているのを愚かなことだと思った。

 「健康を祈って生け贄をささげておきながら、健康を害するほどの御馳走を食べている。人間が生きていくための糧は神々から容易に授けられているのに、そのことが見えなくなってしまったのは、人々が蜂蜜入りの菓子だとか、香油だとか、その他そういった類のものをほしがるからだ」

「競争の際には、隣の人を肘で突いたりして互いに競い合うのに、立派な善い人間になることについては、誰ひとり競い合おうとする者はいない」

 デイオゲネスはこのように、堕落したアテネの市民を批判し、自らを「天下の住人」と称していたが、そのころアテネで人気のあったプラトンもまた別の視点からアテネ市民を批判していた。彼はソクラテスを抹殺したアテネの民主政治を嫌っていた。彼はその著「法律」のなかで、ソクラテスの口を借りて、為政者や議員、陪審員を「くじ」で選ぶことの愚かさを痛烈に批判している。

<あなたが家を建てるときどんな大工に仕事を頼むか? 大工を集めてくじを引かせて当たった大工に頼むか、それとも最も腕の良い大工に頼むか? 腕の良い大工に頼むであろう。ならばなぜ、われわれアテネ人は政治を行う者をクジで選ぶのか>

 プラトンは国民を哲人王が支配すれば、国民は王の言うことをよくきいて素晴らしい国になると考えた。アテネのように何でも議論をしていてははじまらない。エジプト人のように、王、ファラオを神の化身としてあがめていたほうがましだとさえ考えていた。

 デイオゲネスはこうしたプラトンの国家主義や貴族主義を嫌っていた。プラトンの家にいったとき、そこに敷いてあった絨毯を踏みつけて、 「俺はプラトンの虚飾を踏み付けているのだ」といった。プラトンもデイオゲネスを嫌っていた。そして彼を「狂ったソクラテス」と呼んだ。

 プラトンは目の前に見えているこの世界を真実と考えなかった。現実を超えた別の世界に理念的な存在の実在を考え、これを「イデア」と呼んだ。デイオゲネスはプラトンの「イデア」も認めていなかった。

 デイオゲネスにとって、目の前にある世界がすべてであり、この世界をいかに善く生きるかが問題だった。のちにアリストテレスがこの点で師プラトンを痛烈に批判している。アリストテレスはさらにプラトンの説く哲人王を批判し、民主主義こそ大切な政治形態だと考えた。この点で、アリストテレスはディオゲネスに親近感をもっていたのではないだろうか。

 ディオゲネスはそのシニカルで辛辣な傍若無人ぶりにもかかわらず、多くの人に愛されたようだ。晩年には彼の名声はギリシャ中に鳴り響いていたが、彼はその名声をなんとも思っていなかった。自分の墓を作ることを許さず、「どんな野獣の餌食にしてもいいし、そのへんに投げ捨てておいてもいい、杭の中に押し込んでわずかの土をその上に盛っておけばそれでいい」と語って死んだという。

 ディオゲネスについて、他に多くの逸話が「ギリシャ哲学者列伝」(ディオゲネス・ラエルティオス著、岩波文庫)に書かれている。その中から、彼の言葉をいくつか引用しておこう。

<われわれ乞食にも、あなたのお腹のものを少し分けていただけませんか。そうすれば、あなた自身は身体が軽くなるだろうし、我々に恩恵を与えることになりましょうから>

<哲学から何が得られたかって。それはたとえどんな運命に対しても心構えができているということだろうね>

<汚らしいところに足を踏み入れても平気だよ。太陽だって便所の中に入り込むが、汚されはしないからね。>

<哲学に向いていないだと。立派に生きるつもりがないのなら、なぜ君は生きているのだね。君は理性をそなえるか、それとも首をくくるための縄を用意しておくしかないのだよ>

<世の中で最もすばらしいものは、何でも言えること(言論の自由、パールレーシア)だね>

<高貴な生まれとか、名声とか、すべてそのようなものは、悪徳を目立たせる飾りだよ>

<人生においては何事も、鍛錬なしにはうまく行かないものだ。人は無用な労苦ではなしに、自然に適った労苦を選んで、幸福に生きるようにすべきだね>

 小石に躓いて倒れたディオゲネスは死期を悟って、その場で息をつめて窒息死したらしい。いかにもこの人らしい最期である。彼を追放した故国の人々も、彼を称えて青銅の像をつくり、そこに次のような詩句を刻んだという。

<青銅も年月経てば老いるもの。
 されど、汝が誉れは、
 永久に朽ちることなからん・・・>

 ラファエロの筆になる有名な大作「アテネの学堂」には、数十人の、古代ギリシアの哲学者や数学者などが一堂に会するさまが描かれている。中央の2人は左がプラトン、右がアリストテレス。プラトンが天上を指差し、アリストテレスは手のひらを地上に向けている。

 ソクラテスは黄褐色の衣を着てプラトンの左にいる。そして、画面中央の石段に座り込んでいるのが我らのディオゲネスである。彼の右側でコンパスを持っているのが数学者・ユークリッド。そのほか、ヘラクレトス、アルキメデスやターレスなど、今さらながら、ギリシャ哲学の豪華絢爛ぶりがしのばれる。


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