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「扇平山と神立山の交差する稜線の向こう側(南相木村側)に
消えた。その直後、ピカッと閃光が上がり、続いて炎が燃え上
がるのが見えた」 ――川上村井上薫さん――『週刊プレイボー
イ』11月26日号
http://intec-j.seesaa.net/category/3705499-1.html
数十キロ先でも閃光を浴びていることから、少なくとも山に激突したときの閃光ではあり得ないのです。「あそこが光った」という証言を地図で確認すると、ぴかっと光ったのは扇平山と神立山の交差する稜線の向こう側県境付近ということになります。
<以下参考>
●火を吹きながら飛んでいたことは事実か(EJ第1077号)
JAL123便が火の玉となって墜落したという証言に対して事故調関係者は、それ
は山に激突したときの火の玉であるといっているようです。ことの真相の判断に重要な
ので、墜落直前のJAL123便の様子を伝える証言を昨日と一部重複しますが、出典
をより正確に記述して掲載しておきます。
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「飛行機が飛んでいった後から、流れ星のようなものが近くを
飛んでいくのが見えた」 ――南相木村中島地区住人3人――
8月13日付、読売新聞朝刊
「7時(19時)頃、真っ黒い煙をあげながら、群馬県境の山
中へ墜落した」 ――川上村鶴田汪さん――13日東京新聞朝刊
「飛行機が赤い炎を上げ、やがて黒い煙を残して南相木村の群
馬県境に消えた」 ――川上村中島初代さん――13日朝日新聞
「扇平山と神立山の交差する稜線の向こう側(南相木村側)に
消えた。その直後、ピカッと閃光が上がり、続いて炎が燃え上
がるのが見えた」 ――川上村井上薫さん――『週刊プレイボー
イ』11月26日号
「だれかが光るものが飛んでくる、と叫んだ(中略)山の向こ
う側に真っ赤なキノコ雲が立ち上がった。それは数秒で消えて
2つ目のキノコ雲が現れた」 ――川上村加藤隆志君――9月7
日付、毎日新聞朝刊
「西空をながめていたところ、突然、雲のすき間から太陽が射
すようなオレンジ色のせん光を見た。双眼鏡でのぞくと、(中
略)大型機が北の方へ消えた」――埼玉県浦和市吉岡功治さん
――8月13日朝日新聞朝刊
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これらの証言を見る限り、「火を吹きながら」飛んでいたことは間違いないと思われ
ます。少なくとも山に激突したときの閃光ではあり得ないのです。
3月10日のEJ1061号でご紹介した『疑惑/JAL123便墜落事故』(早稲
田出版刊)の著者、角田四郎氏は、御巣鷹山の現場登山に行ったさい、ある金属片(添
付ファイル)をひろって持ち帰り、事前説明なしで、友人の航空機の整備士(米国人)に
鑑定を依頼しています。結果はどうだったのでしょうか。結果について書かれた部分を
ご紹介します。
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彼の答えは、私のド肝を抜いた。「たぶん」と疑問視を付けて
慎重に、しかし、はっきりとこう言った。
「ミサイル」(This is missile.)
「まさか!」(Not Really !)
「たぶん、ミサイル」(Maybe missile.)
――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
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もうひとつ角田氏はJAL123便が行方不明になったことがわかったとき、家族の
受付けカウンターのあった羽田東急ホテルに行ったそうです。そのとき、乗客・乗員の
家族から質問責めにあっていた日本航空の役員らしい紳士がいたというのです。
家族の質問は執拗で、かなり激しかったので、その紳士は相当感情的になって、次の
ようなとんでもないことをいったというのです。
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うちの機は、北朝鮮のミサイルに撃ち落とされたんだ。今はそ
れしかわからん!!
――角田四郎著、『疑惑/JAL123便墜落事故』より
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その紳士がそのことをいったのは、午後9時過ぎから10時頃であったというのです
。その時点では、少なくとも自衛隊と政府首脳は、事故の全貌を掴んでいたはずです。
そのことはもちろん日本航空側に伝えられるはずはないですが、日本航空側は、墜落す
るかなり前から、日航羽田無線を通じて、機内の状況をモニターしていたフシがあるの
です。そうなるとこの紳士のいったことは、重要なことを意味することになるのです。
一瞬、家族たちは何のことかわからず、その紳士の顔を見ていたというのです。その
スキに日航の社員らしい若い男がその紳士を抱え出してしまったそうです。
それでは、そのとき政府首脳はどういう行動をとっていたのでしょうか。JAL12
3便には、500人を超える人が乗っているのです。その飛行機が行方不明というので
すから、これは政府にとって、一大事です。当然のことながら、中曽根首相に報告が上
がり、政府として緊急対策がとられることになります。
JAL123便の事故の直前に、英国のマンチェスター空港で航空機事故が起こった
ときのことです。当時の英国のサッチャー首相はオーストリアにいたのですが、急遽帰
国し、事故現場に直行して指揮にあたっています。
それに対して中曽根首相は何をしたでしょうか。
事故現場が地元の群馬県でありながら、本人は現場には行かず山下運輸大臣にまかせ
てしまっています。山下運輸大臣は、事故の翌日、ヘリコプターで上野村を訪れています。
JAL123便墜落事故が発生した8月12日、中曽根首相は官邸にはおらず、事故
の第一報は、今や有名人となっている平沢勝栄官房長官秘書官が受けています。平沢秘
書官は、直ちに藤波官房長官に連絡を入れています。
このあとの政府の対応については、明日のEJで詳細にお知らせしますが、その対応
は疑惑に満ちたものであったのです。 ・・・[御巣鷹山事故の謎/24]