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http://www.tt.rim.or.jp/~junichi/123/123-001.htm
お詫び
「いなちゃんのほーむぺーじ」は、プロバイダーに「リムネット」を利用していますが、先般リムネットのサーバーがダウンした影響により、ホームページデータがすべて消去されてしまいました。
現在のところ、「アクセスカウンタ」等は、いっさい利用できません。 また「メインページ」へ進むこともできなくなってしまっています。 本来であれば、直ちに復旧すべきでしたが、多忙のため、なかなか復旧しませんでした。 ご心配をおかけ致しまして、大変申し訳ございませんでした。
なお、当ページの中心的存在であります「いなちゃんの1週間のできごと」については、こちらに直接リンクを掲載させて頂きました。
さきに進む
特集 ジャパンエア123
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みなさんは覚えていますか?
今から15年ほど前の8月12日。 夕刻の東京を飛び立った日本航空123便は、
目的地の大阪国際空港に向かうことなく、32分間の迷走を続けたのち、
長野県に近い群馬県の山中に墜落してしまいました。
いなちゃんはまだ中学生だったあのころ、
改めて飛行機事故のすごさを、思い知らされた記憶があります。
横田基地の航空路の真下で育ち、幼いときから飛行機を見てきたいなちゃんですが、
そのときの報道の衝撃からか、ずっと飛行機嫌いを貫徹し続け、
いまなお、飛行機には乗ろうとはしません。
月日が流れ、いなちゃんもドライブをするようになって、この付近をよく行くようになって、
改めてこの航空機事故の書籍を読んでいくにあたって、
なんとなく釈然としないことを、このページに綴ってみました。
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15年が経過して...
この事故から15年が経過して、一部のマスコミに対して、CVRが流出しはじめました。
お聴きになったみなさんも多いかと思います。
いなちゃんも報道されたテープを何度となく聴きましたが、
改めてコックピットでの懸命の努力に、涙なしでは聴くことができませんでした。
ただ「事故調査報告書」により筆記録と、流出されたテープとの内容では、
やはり一部に齟齬があるのは事実でした。
これが「どうしてなのか?」、多くの関係者のあいだで議論になっていますが、
このページでは、そういった難しいことはおいといて、いなちゃんなりに、
その原因を探っていくつもりです。
123便の原因を探れ! (その1)
JAL123便の墜落原因は何だったのか?
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前回掲載した「情報と判断能力」では、「われわれは、情報のすべてを鵜呑みにしてはならない」といった類の内容であったが、今回は、「情報の判断能力の大切さ」から、改めてこの題材を取り上げることにした。
今から14年も昔の話になるが、群馬県の山中に墜落した「JAL123便」について、その真相を検証することで、「情報と判断能力」の必要性を見いだしてみたい。
さて、このページでは、常に「いかなる意見も受け付けない」としてきたが、今回の掲載内容に関しては、その枠を取り払ってみたいと思う。 本掲載内容について意見をお持ちの方は、メールによってその旨を伝えられたい。
ところで、この「JAL123便」の内容にふれることは、犠牲者の方の遺族にとっては、未だ容認ならざる心境に陥れる可能性を十分に含んだものであると思われる。 またそのような内容について、まったく関係のないいなちゃんが掲載することについても、複雑な心境にならざるを得ないことであるかと思われる。 もしそのような理由によって不快に感じられることがあれば、その旨を抗議していただきたく思う次第である。 その段階で然るべき措置をとることを、あらかじめお知らせしておく。
また、事件の機密性保持の観点から、本件を掲載することは、当局サイドによるなんらかの行動がある可能性も否定できないらしい。 客観的に判断していなちゃんに何らかの事態が発生したときには、その段階で然るべき措置をとること(具体的には掲載中止?)を、あらかじめ了承願いたい。
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この事故が発生したとき、いなちゃんは中学校1年生であった。 今でも断片的に残っている記憶は、19時20分過ぎから、各テレビ局とも緊急に臨時ニュースに移行し、終夜この放送がおこなわれていたことである。 そして翌朝、事故現場の映像を見て、その事故の悲惨さを実感するとともに、「飛行機には絶対乗るまい」と、固く決心したことであった。
さて、時間が流れ、いなちゃんも自動車の運転をおこなうようになってから、秩父方面へのドライブをおこなうことが増え、それに伴いこの事故への認識も高まっていった。 「青春の思い出シリーズ」で幾度となく墜落現場の近くを走行していくうちに、改めて事故についてを記載した本を読むにあたって、登場してくる地名が、ドライブコースと合致していることから、その認識度を高めていったといえる。
そしてその墜落原因を調べていくうちに、事故原因についてかなりの?が存在することを認識したのであった。
今回の掲載では、その事故原因と、それに伴う情報の氾濫から、情報の判断能力についてを再認識してみることにする。
「JAL123便」の概要
ところで、この「JAL123便」の事故については、このページをご覧の方は、その存在はご存じのはずであるが、今一度その大まかな概要についてを説明しよう。
1985年8月12日、ほぼ満員の乗客を乗せた日本航空123便羽田発大阪行きは、定刻よりも12分遅れの18:12に、羽田空港を離陸した。 徐々に高度を上げながら順調に非行を続けていたが、大島の西上空で「ドーン」という衝撃音(18時24分35秒)とともに、機体は操縦不能となり32分間の迷走飛行をおこなった末に、長野・群馬県境に近い奥秩父山系に墜落炎上し、わずか4名の生存者を残すのみとなった、日本航空機事故史上、類を見ないものであった。
さて、この事故原因については、この機が事故から7年前に大阪空港で起こした、いわゆる「しりもち事故」によって破損した、後部圧力隔壁の修復修理ミスにより、同部に金属疲労が発生、これがを破壊して機内に「急減圧」が発生するとともに、機内に与圧された空気が、垂直尾翼を破壊して操縦不能になった、として報じられることとなった。
この一連の原因については、航空事故調査委員会の報告に基づくもので、いなちゃん自身もつい最近まで、この事故原因の認識であったが、ひょんなことからこの事故に関する本を読み始めて、ある種の疑念を抱くようになってきたのである。
その「疑念」とは2つ存在する。
1つは、「急減圧」は本当に発生していたのであろうか? であり、もう1つは、なぜ墜落位置が半日近くも特定できなかったのか? ということである。
今回は、そのうちの1つである「急減圧は本当に発生していたのであろうか?」についてを、掲載してみることにする。
そもそも「急減圧」とは何であろうか?
航空機は地上から、かなりの高度を飛行することになる。 そのため上空においては、気圧・酸素濃度のどちらも低減することになる。 よって機内の気圧、ならびに酸素濃度を、地上に近い状態にして、空間の確保をおこなっている。 このとき、機体は地上よりも機体自身を膨らませて、その気密を保持しているという。
そしてその気密保持のために、圧力隔壁が存在し、これが機体の前部と後部に設置されているのである。
事故報告書によれば、この隔壁のうち後部の圧力隔壁には、事故7年前の「しりもち事故」によって修理したはずの部分が、完全に修理されておらず、結果としてこれが金属疲労を引き起こし、航行中に破損、ここから機内の与圧された空気が一気に噴出し、それによって垂直尾翼が破壊されたと位置づけている。
だがここでいくつかの不合理な点が見いだされることになるのである。
急減圧が発生していれば緊急降下をしているはず?
航行中の飛行機が、なんらかのトラブルで「急減圧」に見まわれたときには、乗務員は直ちに機体の緊急降下を、13000〜14000フィートまで実施するそうである。 この高度が、人体に「低酸素症」などの、高々度での症状発生を防ぐ高さだそうだ。
だが、「123便」の場合には、この緊急降下は直ちにはおこなわれず、実際に高度を下げたのは、かなり後になってからとのことである。 ちなみに、「ドーン」という衝撃音のすぐ後には、高度22000フィートへの降下を東京ATC(東京航空交通管制)に求めているが、「ドーン」という衝撃音が発生したときの高度が24000フィートであったから、わずか2000フィートの降下のみとなる。 これでは「低酸素症」などの発生を防止にはなり得ないそうである。 「123便」が実際に降下をはじめるのは、35分〜40分の間からであり、その間には、逆に高度上昇基調さえあるのである。
急減圧が発生していれば酸素マスクを着用するはず?
また乗務員は、急減圧発生時には、直ちに酸素マスクをつけることが、訓練されているとのことである。 これはおそらく、操縦する者が「低酸素症」などで意識を失ったりしないように、万全の対策を講じるためであろう。 操縦者が気を失ってしまったら、助かるものも助からない訳であるから。
だが、この「123便」の場合、乗務員の3名、(機長、副操縦士、航空機関士)は、墜落の最後まで、酸素マスクをつけたはいなかったとされている。 CVR(コックピットボイスレコーダー)によると、33分46秒に航空機関士が、マスクの着用を提言しているが、機長は返事をしただけであった。
そして、この事故で生還した4名のうちの1名の証言によると、「パーンという音とともに酸素マスクが落ちてきた。 しばらくして酸素が流れていないことに気づきマスクをはずしたが、息苦しくはなかった」とのことである。
ジャンボ機の酸素量は、おおむね10分程度とのことであるから、18時35分前後には、酸素マスクをはずしても息苦しくなかったことを示している。 だが、フライトレコーダーによると、このころの時刻の機体高度は、6000メートルを超えており、仮に「急減圧」が発生して、外部との気圧と近似していたら、とうてい呼吸困難になってしまうと思われるのだが。
急減圧が発生していれば高度警報計は鳴り続けるはず?
ところで、報告書の通りに本当に「急減圧」が発生していれば、当然にそれを乗務員に知らせる警報装置が作動することになる。 CVRでは、「ドーン」という衝撃音から1秒後の、24分37秒に1秒間だけ、高度警報音もしくは離陸警報音が鳴っている。 この「もしくは」というのは、高度警報音と離陸警報音は、どちらも同じ音のため、特定が困難らしいのだが、「急減圧」が発生していたとすれば、当然にこの音源は、高度警報音ということになる。 「急減圧」状態になれば、客室内の与圧が急激に低下するからである。
だが、この高度警報音は、わずか1秒だけで消えてしまっているのである。 まぁ手動でスイッチを切れば、警報音は消えてしまうことになるらしいのであるが、この場合、何の前触れもなしに、いきなり鳴り出す警報音を、1秒という短時間にスイッチを切ることが可能かどうか、そのへんはちょっと疑わしい。 いなちゃんの場合には、おそらくちょっとうろたえてから、動作するであろうが、そこはプロのなせる技なのだろうか? ちなみに警報音は、25分4秒から、また鳴り続くのである。
また逆に、自然に警報音が消えるためには、「急減圧」が解消されなければならない。 おそらく警報音が消えるのは、先ほど記した高度13000〜14000フィートに達した段階であろうが、わずか1秒の間で、24000フィートから14000フィートへと、10000フィートも降下することは、おそらく不可能であろう。 そんな状態は、墜落しているライブ状態ではないだろうか? 現に「123便」が、高度14000フィートに達するのは、もっと後になってからなのである。
直後の報道の「R5ドア」は何だったのか?
さて、この事故が発生した頃、いなちゃんはまだ中学1年であった。 あまりTV報道をじっくり見た記憶はないのだが、墜落した日の夜遅くには、あるチャンネルで解説員による事故原因についての示唆がおこなわれていた記憶がある。 そのときの報道は、「R5ドア」に何らかのトラブルがあって、ここから急減圧して墜落した可能性がある。 とのことであったと記憶している。
これは、「123便」が日本航空社用無線で交信したときの、航空機関士の「R5のドアがブロークンしました」というところからきているのだが、それ以前に「R5のドア」がブロークンしたという情報を知り得たかについて、CVRでは記録されていない。 唯一「R5ドア」について記録されているのが、33分37秒の航空機関士の「R5のマスクがストップですから」というところだけである。 さて航空機関士は、「R5ドアがブロークンした」と言いたかったのか、あるいは「R5のマスクがブロークン」と言いたかったのか、どちらであったのだろうか。 辞書を調べてみると「broken」の現在形である「break」には、「連続していたものが中断する」という意味もあるわけである。
もちろん墜落翌日に、現場で全く壊れていない「R5ドア」が発見され、知らぬ知らぬうちに、「R5ドア」の存在は忘れ去られていったのである。
さて、この急減圧を裏付ける根拠の他にも、ちょっと?な部分がある。 「急減圧」は本当に発生していたのであろうか? に関する部分なので、あわせて掲載してみたい。
ベルトサインはもう一度点灯したのか?
いなちゃんが初めて飛行機に乗ったのは、またこれがいなちゃんの最後の飛行機経験であるわけだが、それは羽田発→米子行きであった。 なにからなにまで飛行機初心者であったいなちゃんだから、もちろんちゃんとシートベルトをしていた。 あとで研究室の先輩から聞いたのだが、別につけていなくても、「スチュワーデスにばれなければ問題ない!」とのことであった。 でもなにかあったら困るので、いなちゃんはちゃんと「救命胴衣」の付け方も聞いていたし、離陸の時には足を踏ん張っていたけれどね。
さて、いなちゃんは離陸後すぐの右旋回に翻弄されていたため、ベルトサインが消灯したのがいつかは覚えていないが、おそらくかなり早い段階で、サインは消灯していたような記憶である。 このへんはよく飛行機に乗る人あたりに、次回計測してもらいたい気がする。 実際、ベルトサインはかなり早い段階で消えるそうである。
ところで「123便」は、18時12分に離陸したわけであるから、「ドーン」という衝撃音が発生した24分35秒前後には、当然ベルトサインは消灯されていたはずである。 この仮説は、後述する著者の角田氏によって、かなり詳細にまとめられているが、CVRの記録が始まった24分12秒に、「・・・たいとおっしゃるかたがいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか」という、客室乗務員と運行乗務員の、インターホンによる会話が記録されている。
このことは、ベルトサインが点灯しており、客室乗務員も座席に座っていたということであるそうである。 それで、呼び出しボタンを押した乗客がいたため、その対応についてを、コックピットに伺っているとのことである。 ちなみにいなちゃんが飛行機に乗ったときには、この「呼び出しボタン」の所在すら分からなかったのであるが。
さて、これだけなら、「まだベルトサインは消えていなかったんだろ!」となるのであるが、生還者の1人の証言によると、24分35秒の「ドーン」という衝撃音の前に、キャンペーンのミッキーマウス人形を配られていた、とのことである。 もちろんこれはスチュワーデスが配ったものであるから、このときすでに、スチュワーデスは客室業務を開始していたわけである。 そして、このことがなにを意味するのかは、ある程度察しがつかれると思う。
すなわち「123便」では、離陸後、一度ベルトサインが消えていたことを意味することになるのである。 そしてなんだかよくわからないが、なにかしらの理由によって、再びベルトサインが点灯したということになるのである。
まさか、「後部圧力隔壁が破損しそうだから、ベルトサインを出そう!」という機長はいないだろう、と後述する大塚氏も論じているが、とすると、この事実は?
ところで、先に記した「・・・たいとおっしゃるかたがいらっしゃるんですが、よろしいでしょうか」という、CVRの記録だが、これは最終報告時のものであって、中間報告では、「ボタンを押しているかたがいらっしゃるんですが」と記録されていることになっている。
早すぎるスコーク77?
CVRによると、「123便」では「ドーン」という衝撃音からわずか7秒後の、24分42秒に、機長が「スコーク77」を発している。 この「スコーク77」というのは、国際救難信号とのことで、仮にこれが発せられると、レーダー上に「7700」と表示され、自衛隊や米軍も、可能な限りバックアップ体制をとる他、当該機は最優先扱いされ、同空域内に存在する他機は、すべて当該ACCの管轄下におかれることになるそうである。
もちろん、そんな緊急信号を、おいそれと簡単に発信するわけにはいかないはずである。 「オオカミがきたぞ!」みたいに、軽い気持ちで発信したら、その重みは軽んじられてしまうわけであり、そんなことをすれば懲罰ものだということくらい、素人目に見ても一目瞭然である。
だが、「123便」の場合、「ドーン」という衝撃音によって、なにかしらの事態が発生しただけで、「スコーク77」を発しているわけである。 もちろんこの段階で、後部圧力隔壁が破損し、それにともなって垂直尾翼が破損した、ということを知り得ることは不可能だと思う。 わずか7秒のみなのであるから。
「123便」は、この「スコーク77」を発してから、およそ40秒後の25分21秒に東京ATCと交信し、緊急事態にともない、羽田への帰還を要請している。
ところで、墜落直後に、「当該機は12分も遅れて離陸していることから、出発前になんらかのトラブルがあったのでは?」という報道がおこなわれていたのを、いなちゃんは記憶の片隅にとどめている。 今回調べてみた結果、航空機の離陸の遅れは「ダイヤより、15分以上経過してから」ということであり、12分遅れでの離陸は「定刻通り」だそうである。
結局のところは
ということで、報告書の「圧力隔壁」の破損による垂直尾翼の破損が事故原因とした場合、素人目に見ても、どうしても不合理と思われる部分を掲載した。 もちろんいなちゃんは航空機の専門家ではないし、逆に飛行機には1回しか乗ったことがなく、横田基地のファイナルアプローチラインの下に住んでいるといっても、いつも飛行機を見ているわけでもない。 逆にいなちゃんは、飛行機がなぜ飛ぶのか、未だによく理解できていないのである。 海外に出国することは、自らに堅く禁じているし、国内の移動は、すべてJRを利用するという徹底ぶりである。
だが、無意識のうちに秩父方面のドライブを数多くこなし、墜落地点のある程度の地理的位置も理解しているいなちゃんには、なんとなく「他人ごと」ではないような気がしつつあった。 加えて、もしかしたら「123便」は、ファイナルアプローチラインを通って、横田基地に緊急着陸する可能性だってあったわけである。
http://www.tt.rim.or.jp/~junichi/123/123-001.htm
そんなこともあってか、少しづつ「123便」についてを調べていった。 もちろん本業の畜産経営学が最重要であるから、ほんのかじりつき程度であろう。 それを今回、「情報と判断能力」の続編として掲載することとしたわけである。
もしいなちゃんが、「123便」について、いろいろの本を読まなければ、おそらくこの先も「後部圧力隔壁が破損したために墜落した」との認識であったと思う。 だが、いまは少し、「後部圧力隔壁が破損したために墜落したのか、そのへんはよく分からない。」になっているかもしれない。 これも「情報と判断能力」の重要要素であろう。 あふれる情報を正確に判断する能力が、現代社会に求められていることを改めて認識していただければ幸いである。
参考資料
なお今回の掲載に関しては、以下の資料を参考とさせていただきました。
「疑惑 JAL123便墜落事故」 角田四郎氏
「JAL123便事件」 大塚氏 http://www.teleway.ne.jp/~asl/musika_5.htm
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ちなみに...
ここまで書いておいて、ある日突然、言っていることが正反対になったら、そのときはいなちゃんになにかしらがあったためです。 深く追求せず、そっとしておいて下さい。
http://www.tt.rim.or.jp/~junichi/123/123-001.htm