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2007.11.10
貧しさの中、少女は死んでいった
一人の少女の死がフィリピン社会に波紋を広げている。Mariannet Amper さん。享年12歳。フィリピン南部のダバオ市の小学校の6年生だった。彼女は、自分の家の貧しさに絶望して自らの命を絶った。"Girl who killed self lamented family's poverty in diary"
http://newsinfo.inquirer.net/topstories/topstories/view_article.php?article_id=99479 。
彼女の日記には、「靴とかばんがほしい。お母さんとお父さんに仕事がほしい」と書かれていた。父親は建築現場の労働者で失業中。母親は工場でパートで働くほか、クリーニングの下請けをやっていて、わずかな収入を得ていた。家には水も電気もなかった。あの家の子たちは汚いと言って、近所の子どもたちが仲間はずれにしていたという証言もある。
同じく Inquirer 紙の "'We are all to blame for poor girl's suicide' -- bishop" http://newsinfo.inquirer.net/breakingnews/nation/view_article.php?article_id=99480 は、Mariannet さんの自殺についての宗教者たちの発言を集めている。カトリック、プロテスタントを問わず、フィリピンに生きる人すべてが彼女の自殺に関して責任を負っているという見解を述べている。「私たちは、不正を正し、汚職や腐敗を追及するという市民としての義務を果たしてこなかった。見て見ぬふりをして、何も行動しなかったのだ」「イエスの教えの要点は、貧困と闘うことだ。イエスはいつも貧しい人たちについて語り、貧困を作り出す要因である秩序を批判した」「政府とは、貧しく弱い人たちを支えるためにあるのだ。しかし政治家たちは政府の意味を曲げてしまった」。
少女の死が不正や抑圧に端を発するものであるという考えを受け入れるならば、その責任は国境によって押しとどめられることもないと考えるべきだろう。ごく具体的に言えば、フィリピンの権力層の腐敗について、日本にいる私たちはずっと前から知っていたのに、その甘い汁のもとである援助の形を変えようという声を十分にあげることがなかったことを悔いなければならないだろう。
もう一つ。フィリピンの貧困や権力腐敗の度合いやを自分たちとは次元が全く異なるものと考えることも許されない。
Tags: フィリピン, 貧困, 絶望