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むがす、ミャンマーでは「ポンジン」って尊敬されてた日本人漂流民のことだでや。
ポンジーは僧侶のこつだすがや。
上座仏教ってのは、テキストさ忠実で、ま、仏教の原理主義だすな。んだから世俗さはあますかかわらず、ひたすら教義さ忠実に生きる。ほいがために、生臭さがさっぱりねぐて、水島上等兵が帰依すた所以のものである。テレビば見てるとポンジーたつは色黒で、あれは修行の厳しさばものがたってるんだども、裸足かサンダル履きだ。自分たつのメシは、托鉢のみさよる。メシばもらっても礼(お辞儀)1つすねえ。メシば、托鉢用のでっけえ鉢さ入れる信者(市民)もほいば当然のこつとすて盛る。
19世紀前半のビルマ戦争でも、当時の王朝もみーーーーーーーーーんなポンジーのゆうこつきいて、「イギリスと戦え」っつわれて徹底的にたたっかて消滅すた。当時の軍人はめっちゃ勇敢だったらすい。えれえポンジーの元締めが、ごはんじゃわんひとつひっくりかえすてからに、ほいが「断食」はずまり、ほいが王朝さとっては戦闘開始の合図だったんだがや。んだから、ミャンマー軍部はポンジーさ手出しはでけね。でけるとすれば、ほれはスターリニスト中国(日本狂算頭がお仲間と慕っているんだ)が強力にバックアップするときだ。
今、ポンジーたつは、軍部と戦うよう市民さよびかけてる。信者たる市民は応えねえわげにはゆがねえ、なんせポンジーの言うこつさ従わねえと来世が保証されねのよ。