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ネットに負けぬ古書店の魅力 【中日新聞】
2007年8月22日
インターネットの出現で出版業界は漫画を除いてどこも悪戦苦闘している。しかし古書の世界は、その希少価値から根強い人気を保ち続けている。世界の古書店の現状を紹介する。
明や清、中華民国時代の古書がそろう「中国書店」=北京で
収集熱 投機や偽物も横行 北京
四千年の歴史を誇る中国は古書の宝庫。古くは宋代(九六〇−一二七九年)の古書が競売にかけられ、数十万元、数百万元(一元は約十六円)で売買されることもある。
古美術品や書画が集まる北京の古文化街「瑠璃廠」にある中国書店は、約八百年前から北京に散在していた百店余の古書店を統合して設立された中国最大の専門店。一般客は少ないが、収集家や学者、研究者らが目当ての本を探しに訪れる。最近は中国でも「論語」や「三国志」など古典の新解釈がブームになっており、古典の定番を買い求める人も多い。
この中国書店の店頭にある最も古い書は清朝初期、約三百六十年前に出版された天文学と星座の解説書。木版に朱砂を使って刷られ、整然と並ぶ文字を見ると、印刷の発明国としての技術の高さを実感する。「当初は鮮やかな紅色だったはずだが、今では茶色になってしまった」と店員さん。
それでも「最近は良い本があまり出回らなくなった」そうだ。経済の発展で豊かな人が増え、一九九〇年代ごろから古書の収集が活発化した。「価値のある本はほとんどが収集家の手に渡ってしまった」という。古書を使った投機活動や偽物も横行している。
八〇年代はバブル期の日本が中国の古書を買い集め、多くの古書が日本へ流出したとか。その古書が今、相次いで中国へ逆戻りしているといい、古書の世界でも日中両国の経済活力の逆転をうかがわせている。 (北京・鈴木孝昌、写真も)
中東最大 宗教書以外も豊富 カイロ
カイロ中心部のアズバキヤ市場に、中東で最大規模の古書店街がある。
一九三〇年代に旧オペラハウス前で古書店市場ができたが、橋の建設事業に伴って郊外に移転。文化普及に力を入れたいエジプト政府の後押しで五年ほど前、人が集まる現在の場所に移った。
ここが有名なのは、カイロにイスラム教スンニ派の最高学府アズハルがあるから。アズハルで学ぶ各国からの若者らが宗教書を買い求め、帰国後は母国で古書店街の名を広めていった。著名な宗教者や研究者だけでなく、処刑されたサダム・フセイン元イラク大統領も熱心な顧客だったという。
「だいたい五十歳」というムハンマド・アティヤさんは三十年以上、古書店街で働き、今は自分の小さな店を構える。医学書や宗教書など、品ぞろえは豊富だ。
「学校に行けなかったが、勉強したかった。タダで本を読めるから、ここで働くことにした」とアティヤさん。日本の神道や天皇家の学術研究の内容も古書から学んだ博識な人だ。「インターネットが普及しても、アズハルがある限り、ここの活気は消えない」と楽観視する。
約百五十店の古書店の中にはエジプトらしく、イスラム教の聖典コーランやその解説書のほか、頭髪を隠すヘジャブ(スカーフ)をまとう女性向けファッション誌の専門店も。中東とイスラム教の不思議と魅力が、古書店街に詰まっている。 (カイロ・萩文明、写真も)
青空店舗は目利きが命 パリ
セーヌ川両岸の堤防道路には、「ブッキニスト」と呼ばれる古本の露店が並んでいる。その数、二百四十ほど。価値のない古本(ブッカン)を売る人がその名の由来だが、今では世界遺産に指定されたセーヌ川河畔に欠かせない景観の一つだ。
パリ市から、堤防に固定された木製の売り棚(八メートル分)を年約百ユーロ(約一万五千五百円)で借り受け、出店する。大手書店の独占を避けるためか、ほかで本屋を開いてはいけないという規則もある。
「なりたい人が多くてね。二、三年待たないと空きが出ない。でも、寒さや雨が嫌いな人は半年でやめる。車の排ガスもつらい。いろんな人との出会いが面白くて、お金は二の次という人じゃないと務まらないよ」
そう言って笑うブッキニスト組合の組合長、アラン・リクランクさん(65)はブッキニスト歴三十四年の大ベテラン。地理学の古本が専門で、朝早く起きてのみの市などで掘り出し物を探し、昼前に店を開く毎日だ。
歴史は一六〇六年にポンナフ(新しい橋の意味)が完成した時代にさかのぼる。当時、橋の欄干と歩道の間には家や店がたち、人が住んでいたが、この橋にはそれがなく、移動本屋の出店が許された。
一六五〇年代には河畔に移転し固定された。その後、反体制の本を売るのではと国王から禁止されたり、警察に目をつけられた受難の時代もくぐり抜けた。
今では観光客向けに絵やパリ土産の定番「エッフェル塔ミニチュア」を置く店も多い。リクランクさんは「ひどい絵を売っている店もあるけど、観光客が喜んでいるのを見るとそれでもいいか」とも思う。 (パリ・牧真一郎、写真も)
http://www.chunichi.co.jp/article/world/newworld/CK2007082202042993.html