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(回答先: 自衛隊イラク派兵差止訴訟の会からのお知らせ 投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 5 月 01 日 19:39:06)
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200804170101.html
2008年04月17日
「憲法9条に違反する活動を含んでいる」。17日の名古屋高裁判決は、航空自衛隊のイラクでの活動を明快な言葉で違憲と判断した。原告敗訴が続いていただけに、各地に驚きや喜びが広がった。一連の訴訟に大きな役割を果たし、昨夏亡くなった作家の小田実(まこと)さんに、妻はこの日、「平和の精神がつながったよ」と報告した。
玄順恵さんは小田実さんの遺影に向かって心の中で判決内容を報告した=17日午後6時32分、兵庫県西宮市、鈴木康朗撮影
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「イラクで行われている空輸活動は、憲法9条に違反する活動を含んでいる」
裁判長が述べた瞬間、廷内にはどよめきが広がった。原告団のうち2人が走り出し、この日に備えて用意した数本の旗から「自衛隊イラク派兵は憲法違反」「画期的判決」を選び、裁判所前で掲げた。 裁判所近くで開かれた報告集会には、原告や支援者ら約150人が集まった。原告代表で大学講師の池住義憲さん(63)は「提訴を呼びかけて4年2カ月。憲法9条を、平和憲法を持つ国の国民として誇りを持って語れる日が来た」とあいさつ。弁護団長の内河恵一弁護士は「何とか戦争のない国を、と思ってきただけに感無量だ。取り返しのつかない状況になりつつある今、引き返すことができる時だと思う」と話した。
各地で提訴を続けてきた関係者からも驚きと喜びの声があがった。
大阪訴訟=昨年12月に大阪高裁で敗訴(確定)=の原告の一人だった元小学校教諭の著述業大垣さなゑさん(50)=大阪市西淀川区=は、名古屋訴訟の支援のため名古屋高裁の法廷にいた。違憲判断を示した判決を聞き、「心が震え興奮した。とても感動した。名古屋だけでなく各地で市民が訴えていたことを認めてくれた」と話した。
3月に大阪高裁で敗訴した京都訴訟の弁護団事務局長の小笠原伸児弁護士は「極めて画期的で、勇気のある判決」。全国で唯一、一審判決が出ていない岡山訴訟原告団の矢山有作(ややま・ゆうさく)団長(84)は「司法が真正面から憲法判断したことは大きな励み」と興奮した様子で話した。弁護団長の河原昭文(かわら・あきぶみ)弁護士(66)は「岡山地裁が今回の判断を受け、どこまで踏み込んだ判決をするのか期待したい」と話した。
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「平和を求める精神のリレーがつながったよ」。名古屋高裁の判決を知った故小田実さんの妻玄順恵(ヒョン・スンヒェ)さん(55)は、兵庫県西宮市の自宅で亡き夫に報告した。
太平洋戦争末期、13歳で大阪大空襲に遭った小田さんは、「イラクで苦しむ子どもの気持ちが僕にはわかる」といつも玄さんに語っていた。
陸上自衛隊がイラクへ派遣された3カ月後の04年4月、小田さんは1048人とともに大阪地裁へ提訴。だが、06年7月、憲法判断がなされないまま訴えは退けられた。
「原告の願いは、政策批判活動などで実現されるべきもの」とした大阪地裁判決に、「この国はここまで後退したのか」と、小田さんは家に帰ってからも怒りが収まらなかった。イラク派遣に反対する各地の集会や講演会に出かけ、ともに闘う仲間を励まし続けた。すぐれない体調をおしてデモにも参加。しかし、控訴審の行方を病床から気にかけながら、小田さんは07年7月に胃がんで亡くなった。
07年12月の大阪高裁でも、原告側の訴えは退けられた。だが、玄さんは望みをつないでいたという。各地で同じ志を持った仲間が裁判を続けていたからだ。「他の裁判があるから、あきらめず見ようや」。小田さんがそう語りかけている気がしていた。
そして、この日の名古屋高裁判決。玄さんは「小田なら『市民の声の快挙だ』と言ってにっこり笑うでしょうね」と話した。
大阪訴訟の弁護団長だった辻公雄弁護士は「小田さんに『違憲』の言葉を聞かせてあげたかった」と言葉を詰まらせながら語った。判決文を取り寄せ、解説を付けて玄さんに送るつもりだ。「こつこつとやれば大きな山も動くことがある。これからも小田さんの遺志を継いでやっていきます」と書き添えようと思っている。