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http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/consti/news/200711/CK2007112202066273.html
2007年11月22日
「日米関係をうまくいかせるために憲法を変えるのはおかしい」と語る中島さん=札幌市北区で
憲法を改正すべきだと考える若者が多いといわれるが、そういう若者にとって、憲法九条は「欺まんだ」と映るのでしょう。「陸海空軍は保持しない。交戦権は認めない」と書いてあるのに実際には自衛隊がある。
私自身も以前は、現実に合わせて改憲すべきだと思っていました。人間に悪の側面がある以上、武力の保持を否定するのは難しいからです。しかし、自衛隊がイラクに派遣されたことで、集団的自衛権を無限定に認める形の改正は、絶対に避けるべきだと考えを改めました。
確かに「北朝鮮が危険だから、米国に助けてもらわないと困る」という改憲派の言い分は、現実的なように思えます。しかし、実はそれも底の浅い見方ではないか。
「自衛」という概念は、極めて主観的な「脅威」という意識に基づいているので厳密には定義できない。改憲して集団的自衛権を明文化すれば、すべての戦争が合憲となり、戦争に対する一切の歯止めがなくなる。自国はおろか、同盟国が「自衛」を掲げて戦う侵略戦争にも加担しなければならなくなります。中東では、レバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラやイランの核開発問題も残っている。イスラエルがある以上、ヒズボラへの局地攻撃もあり得るし、ヒズボラが核を持つようなことになって、集団的自衛権が発動されれば、米軍に自衛隊も加わることになりかねない。その場合、日本もテロの対象になるという負の連鎖に落ち込んでいく。改憲派が「米国に寄り掛かっていれば安全だ」という幻想を見せているのも欺まんでしょう。
だからこそ、日本が米国に引きずられずに主体的に判断できる状況を確保するのが、九条の枷(かせ)なんです。それが「主権=主体的判断」を守ることにつながると思うんです。国民の安全を米国にある程度依存せざるを得ない現状では、九条を維持することで米国追随に歯止めをかけることこそが、現実路線といえるのではないでしょうか。
なかじま・たけし 1975年大阪生まれ。京大大学院博士課程修了。専門は南アジア地域研究。主著に、大川周明らアジア主義者とインド独立運動家の連携を描いた「中村屋のボース」「ヒンドゥー・ナショナリズム」「パール判事」など。32歳。