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内閣総理大臣臨時代理
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内閣総理大臣臨時代理(ないかくそうりだいじんりんじだいり)は、日本の内閣総理大臣が欠けた場合又は事故のある場合に、臨時にその職務を担う国務大臣としてあらかじめ指定された大臣が用いる職名である。この職名の使用は、実際に当該事態が発生しその職務を行う場合に限られる(俗称「副総理」と異なり、当該指定をされた大臣が日常的に称することはできない)。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 旧憲法下の内閣総理大臣「臨時兼任」と「臨時代理」
1.2 官報掲載の例
1.3 旧憲法下で内閣総理大臣を臨時兼任した人物
1.4 2000年4月以降の歴代内閣総理大臣臨時代理予定者
2 関連項目
3 外部リンク
[編集] 概要
内閣法第9条には、「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」という規定があり、これによって指定された国務大臣は実際に内閣総理大臣が死亡・病気・海外出張等で不在となったときは「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行うこととなっている。なお、指定されていても実際に総理不在の状態が生じなければ、当該指定された大臣の権限・呼称等は他の大臣と変わるところはない。
通常、総理外遊等の際は総理が国務大臣の一人を「内閣総理大臣臨時代理」に指定することでその職務を代行させる(法令への署名も「内閣総理大臣臨時代理(改行) 国務大臣 某」という形式で行われる)が、かつて(2000年(平成12年)4月以前)はその指定方法がいくつかあった。
組閣時等に一人の大臣を内閣総理大臣の臨時代理として正式に指定(官報掲載)。代行期間を限定しない発令のため内閣存続中一貫して有効であり、総理外遊等の際に一々臨時代理の辞令は発しない(その都度自動的に就任・解職したものとみなされる。)。
組閣時等に一人の大臣に口頭で臨時代理予定者である旨を指示し、正式な辞令は総理外遊等の都度その代行期間を限定して発する。
組閣時等に臨時代理予定者を明示せず、総理外遊等の都度人選の上その代行期間を限定して発令する。
上記1は、大物大臣を事実上の副首相として処遇したい際に用いられ、俗に「副総理」と呼ばれた。正式な官職ではないため、正式呼称の略称と誤解される可能性のある「副総理大臣」・「副首相」と呼ばれることはなく、マスコミなどでも表記は「副総理」に統一されていた(なお、組閣時の内閣官房長官の発表では、「内閣法第9条の規定により指定された者」などの表現が用いられた)。
上記2は、「副総理」として処遇するほどではないが閣内の取りまとめ役として尊重したい準大物大臣の場合などに用いられた。「副総理」とは呼ばれなかったが、組閣時などの報道では「今回の内閣では○○氏が副総理格」などと書かれた。ただし、この「副総理」と「副総理格」の細かな違いが一般にはあまり知られていなかったことから、地元支持者らの前で「副総理」を自称する副総理格大臣もいた。
上記3は、大物・準大物大臣がいないか、いても継続的な臨時代理予定者への指定を固辞した場合、あるいは逆に大物大臣が複数いて副総理・副総理格を明示しない方が均衡上適切であると総理が判断した場合などに用いられた。また、上記1の副総理が指定されている内閣においては、総理に事故等がなくても、当該副総理が海外出張した場合にこの上記3の方式で期間限定の臨時代理の指定(事実上の副総理臨時代理)の辞令が発出された。
上記3の場合、総理が臨時代理を指定する暇もなく急死したり重篤な状態に陥る可能性もあり国政上問題が生ずるおそれがあるとして、2000年(平成12年)4月以降、組閣時などに内閣総理大臣臨時代理の就任予定者(5人)を指定して官報掲載するように方針が改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣が第1順位とされるようになった。第2順位から第5順位は閣僚の大臣歴、議員歴等を総合的に勘案して指定されている。
これは2000年4月1日深夜、当時の小渕恵三首相が脳梗塞で倒れ、青木幹雄内閣官房長官が同月3日付けで臨時代理に就任(翌4日内閣総辞職)したが、この際、小渕首相が臨時代理の指定をすることが時間的・医学的に可能であったのかどうか論争となったことを受け、臨時代理の制度を確固たるものにすべく内閣法の運用の改善を図ったものである。小渕内閣(改造前・後の全期間)においては上記3の方式がとられていたが、実際には脳梗塞による本件臨時代理を除く全12回の海外出張において臨時代理は全て内閣官房長官たる国務大臣(野中広務・青木幹雄)が指定されていた。しかし、死亡や重病による臨時代理の際はそれまでとは別に大物大臣が臨時代理となる例があり、この件でも事実そのような密談があったとの噂が流れ、野党やマスコミの一部から青木国務大臣の臨時代理への就任の正当性が問題視された。
2007年8月27日現在、安倍改造内閣においての内閣総理大臣臨時代理は、第1順位:与謝野馨(内閣官房長官)、第2順位:高村正彦(防衛大臣)、第3順位:鳩山邦夫(法務大臣)、第4順位:町村信孝(外務大臣)、第5順位:伊吹文明(文部科学大臣)の順で指定されている。
ただ、アメリカの大統領継承制度のように役職で継承順位を定めた方がいいのではないかという指摘もある。
[編集] 旧憲法下の内閣総理大臣「臨時兼任」と「臨時代理」
旧憲法下では、死亡や単独辞任で内閣総理大臣が欠けたとき次の内閣ができるまでのあいだ他の閣僚がその職務を代行することを内閣総理大臣「臨時兼任」、病気や事故などで内閣総理大臣が執務不能になったとき他の者が一定期間その職務を代行することを内閣総理大臣「臨時代理」と呼んで区別していた。新憲法下ではこの区別がなくなり、他の閣僚が内閣総理大臣の職務を代行することをすべて「臨時代理」と呼んでいる。
[編集] 官報掲載の例
原文は縦書き。忠実に再現するため数字はすべて漢数字で記載。
解職・指定解除の辞令は当該国務大臣が引き続き閣内に残る場合にのみ発出される。内閣総辞職や改造等で国務大臣の地位を失う場合は自動解職・解除のため辞令は発出されない。
下記の例では内閣総理大臣を「日本太郎」と、上記1の本格的な副総理を「日本次郎」と、上記2・3の臨時代理を「日本三郎」と仮定して記載。
上記1(総理死亡の場合を含む)の辞令の例(小渕改造内閣まで)
後段の副総理の指定解除辞令は閣内での副総理交代(前副総理が閣内残留)という稀な場合にのみ発出されたもので、ほとんどの副総理の辞令は前段のもののみ。
国務大臣 日本 次郎
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣に指定する
国務大臣 日本元次郎
内閣法第九条の規定による臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣としての指定を解く(以上四月一日)
上記2・3(総理海外出張の場合)の辞令の例(小渕改造内閣まで)
副総理が指定されていない内閣で、総理が海外出張した場合の記載例。
副総理の病気療養期間中に総理の海外出張が重なった場合も本項の例が用いられた。
総理と副総理の海外出張が重なった場合は、本項の例による場合と次々項(副総理海外出張の場合)の例による場合との両方があった。
○内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 日本 三郎
内閣総理大臣日本太郎海外出張不在中内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣に指定する(四月一日)
○内閣総理大臣臨時代理解職
国務大臣 日本 三郎
内閣総理大臣日本太郎帰朝につき内閣法第九条の規定による臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣としての指定を解く(四月五日)
上記2・3(総理病気の場合)の辞令の例(小渕改造内閣まで)
「病気引きこもり中」と表記されたのは第2次橋本内閣までで、小渕内閣では当該部分は「病気につき」と記載された。
○内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 日本 三郎
内閣総理大臣日本太郎病気引きこもり中内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣に指定する(四月一日)
○内閣総理大臣臨時代理解職
国務大臣 日本 三郎
内閣総理大臣日本太郎病気快復につき内閣法第九条の規定による臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣としての指定を解く(四月三十日)
上記3(副総理海外出張の場合)の辞令の例(小渕改造内閣まで)
総理に事故等がなく副総理が海外出張で不在となる場合の記載例。
総理と副総理の海外出張が重なった場合は、本項の例による場合と前々項(総理海外出張の場合)の例による場合との両方があった。
副総理病気の場合に「病気」を理由とした他の大臣への臨時代理指定の前例はなく、その場合は実際に総理が海外出張する都度、前々項の例で発令された。
○内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 日本 三郎
国務大臣日本次郎海外出張不在中内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣に指定する(四月一日)
○内閣総理大臣臨時代理解職
国務大臣 日本 三郎
国務大臣日本次郎帰朝につき内閣法第九条の規定による臨時に内閣総理大臣の職務を行う国務大臣としての指定を解く(四月五日)
現行(新内閣発足の場合)の辞令の例(第1次森内閣以降)
国務大臣 日本 一朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第一順位の国務大臣に指定する
同 日本 二朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第二順位の国務大臣に指定する
同 日本 三朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第三順位の国務大臣に指定する
同 日本 四朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第四順位の国務大臣に指定する
同 日本 五朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第五順位の国務大臣に指定する
なお、右記の者のいずれかに事故のあるとき又は欠けたときは、それ以外の者の中で最も先順位の者が、臨時に内閣総理大臣の職務を行うこととする。(以上四月一日)
現行(閣内異動による順位変更の場合)の辞令の例(第1次森内閣以降)
国務大臣 日本 五朗
内閣法第九条の規定により臨時に内閣総理大臣の職務を行う第二順位の国務大臣に指定する
国務大臣 日本 五朗
内閣法第九条の規定による臨時に内閣総理大臣の職務を行う第五順位の国務大臣の指定を解く(以上五月一日)
[編集] 旧憲法下で内閣総理大臣を臨時兼任した人物
黒田清隆。第二次伊藤内閣で、伊藤博文総理が1896年 (明治29年) 8月31日に単独で辞任すると、次の松方正義が組閣する9月18日までの間、枢密院議長で班列として閣内にあった黒田清隆が内閣総理大臣を臨時兼任した。
西園寺公望。第四次伊藤内閣で、伊藤博文総理が1901年 (明治34年) 5月10日に単独で辞任すると、次の桂太郎が組閣する6月2日までの間、枢密院議長で班列の西園寺公望が内閣総理大臣を臨時兼任した。
内田康哉。原内閣で、原敬総理が1921年 (大正10年) 11月4日に暗殺されると、次の高橋是清が組閣する11月13日までの間、外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣を臨時兼任した。
内田康哉。加藤友内閣で、加藤友三郎総理が1923年 (大正12年) 8月24日に病死すると、次の山本權兵衞が組閣する9月2日までの間、外務大臣の内田康哉が内閣総理大臣を臨時兼任した。
若槻禮次郎。加藤高内閣で、加藤高明総理が1926年 (大正15年) 1月28日に病死すると、自らが次の内閣を組閣する1月30日までの間、内務大臣の若槻禮次郎が内閣総理大臣を臨時兼任した。
幣原喜重郎。濱口内閣で、濱口雄幸総理が1930年 (昭和5年) 11月14日に銃撃され執務不能になると、翌1931年 (昭和6年) 3月10日までの間、外務大臣の幣原喜重郎が内閣総理大臣を臨時代理した。
高橋是清。犬養内閣で、犬養毅総理が1931年 (昭和6年) 5月16日に暗殺されると (五・一五事件)、次の齋藤實が組閣する5月26日までの間、大蔵大臣の高橋是清が内閣総理大臣を臨時兼任した。
後藤文夫。岡田内閣で、1936年 (昭和11年) 2月26日総理官邸が襲撃され岡田啓介総理の消息が不明になると (二・二六事件)、その無事が確認される2月28日までの間、内務大臣の後藤文夫が内閣総理大臣を臨時代理した。このとき反乱軍が「総理死亡」と発表したため、政府は後藤を臨時兼任とするか臨時代理とするかで苦慮した。もし後藤を臨時兼任とした場合、岡田が生存していたら、総理が二人になってしまうためである。結局後藤は臨時代理に落ち着いたが、岡田は実際無事で、二日後姿を現し後藤を安堵させた。
[編集] 2000年4月以降の歴代内閣総理大臣臨時代理予定者
内閣 第一順位 第二順位 第三順位 第四順位 第五順位 指定期間
第1次森内閣 青木幹雄 官房 河野洋平 外務 中山正暉 自治 深谷隆司 通産 瓦力 防衛 2000年4月14日 - 2000年7月4日
第2次森内閣 中川秀直 官房 河野洋平 外務 西田司 自治 谷洋一 農水 津島雄二 厚生 2000年7月4日 - 2000年10月27日
福田康夫 官房 2000年10月27日 - 2000年12月5日
高村正彦 法務 平沼赳夫 通産 柳澤伯夫 金融 2000年12月5日 - 2001年1月6日
経産 金融 2001年1月6日 - 2001年4月26日
第1次小泉内閣 福田康夫 官房 塩川正十郎 財務 森山眞弓 法務 平沼赳夫 経産 柳澤伯夫 金融 2001年4月26日 - 2002年9月30日
谷垣禎一 公安 2002年9月30日 - 2003年9月22日
谷垣禎一 財務 亀井善之 農水 麻生太郎 総務 中川昭一 経産 2003年9月22日 - 2003年11月19日
第2次小泉内閣 福田康夫 官房 谷垣禎一 財務 亀井善之 農水 麻生太郎 総務 中川昭一 経産 2003年11月19日 - 2004年5月7日
細田博之 官房 2004年5月7日 - 2004年9月27日
麻生太郎 総務 島村宜伸 農水 2004年9月27日 - 2005年8月8日
− 2005年8月8日 - 2005年8月10日
中川昭一 経産 町村信孝 外務 2005年8月10日 - 2005年9月21日
第3次小泉内閣 細田博之 官房 谷垣禎一 財務 麻生太郎 総務 中川昭一 経産 町村信孝 外務 2005年9月21日 - 2005年10月30日
安倍晋三 官房 外務 与謝野馨 経済 中川昭一 農水 2005年10月30日 - 2006年9月26日
安倍内閣 塩崎恭久 官房 麻生太郎 外務 柳澤伯夫 厚労 久間章生 防衛 尾身幸次 財務 2006年9月26日 - 2007年7月4日
尾身幸次 財務 伊吹文明 文科 2007年7月4日 - 2007年8月27日
与謝野馨 官房 高村正彦 防衛 鳩山邦夫 法務 町村信孝 外務 2007年8月27日 -
これらの者のいずれかに事故のあるとき又は欠けたときは、それ以外の者の中で最も先順位の者が、臨時に内閣総理大臣の職務を行う。
順位指定の辞令においては、あらかじめ期限は明示されず、その効力は別途異動があるまで継続する。上表において「指定期間」とあるのは「結果としてその期日になった」という意味であり、当該始期・終期が任期として辞令上指定されていたわけではない。
新内閣発足の場合は、新任・再任・順位移動のいずれにかかわらず順位の辞令が発出されているため、セル(氏名枠)は個別表示とする。
内閣改造(又は辞任閣僚の交代等)の場合は、新任・順位移動はそれぞれ辞令が発出されるが、順位移動のない閣内留任には従前の辞令がそのまま継続されるため、後者のセルは一連の順位指定期間として統合して表示する。2000年10月27日の例で言えば、新たな順位指定の辞令を受けたのは福田大臣のみで、他の4大臣には辞令は出ていない。
この順位の指定の辞令は、国務大臣としての各人に発出されるものであって、総務大臣など補職の内容とは連動しないため、閣内異動等で大臣職の変動があっても、順位に変動がなければ新たな順位辞令は発出されない。上表では、2001年1月6日の中央省庁再編に伴う各省大臣の職名変更を分かりやすくするため同日付けの記述行を設けたが、平沼・柳澤両大臣とも、順位については同日新たな辞令は受けていない。
2005年8月8日に島村大臣は罷免されたが、8月10日まで順位指定辞令が出されなかったため、2005年8月8日から8月10日まで第4順位は空席となった。
2000年4月以前の内閣総理大臣臨時代理予定者は歴代副総理を参照
[編集] 関連項目
内閣総理大臣
国務大臣
副総理
主任の大臣
[編集] 外部リンク
官報
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