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シリーズ憲法‐宗教L 憲法はよみがえるか 前編
シリーズ憲法‐宗教 | 2007-02-25 23:55:06
一年以上掛けたこのシリーズも、今回で最終回です。
今回は、日本社会が全体で患ってしまっている社会の病気「アノミー」について、書きます。
さて、これまで見てきた通り、現代の日本はすでに法治国家でもなければ、資本主義でもない、また民主主義でもない国になってしまっています。(当の国民はまったく気付いていませんが)
戦前の民主主義は軍部によって牛耳れられていましたが、現在日本を牛耳っているのは霞ヶ関のエリート官僚です。
エリート官僚は三権分立のうちの、立法、行政を取り仕切っていることはいまさら語るまでも無いことですが、実は司法も官僚によって支配されています。
例えば、ここに地方条例で「馬や牛は渡ってはならない」橋があるとします。その橋を象を連れて渡りたいと思ったのですが、条例のどこを読んでも象についての記述は有りません。
役場に行って象が渡っても良いかと聞くと、ある役人は「あれは昔にできた法律で、今は橋も丈夫になっているから、渡っても良いよ」と言います。ところが別の役人は「牛や馬が渡れない橋を、象が渡って良いわけが無い」と言います。
こんなとき、健全な民主主義の法治国家であればどうするでしょうか?
裁判所に行って、法の解釈を決めてもらう。
法の解釈は司法が行う、これ民主主義の常識。
ところが日本では、市町村役場で解決できなければ、都道府県庁に訴える、それでも解決しなければ、中央官庁にお伺いを立て、エリート官僚が結論を下す。という日本独自のルールで法の運用を行っています。
法の濫用を防ごうと三権分立を行っているのに、日本では、役人が法を作り、運用もし、更には法の解釈も行うという、ヒトラーですら行わなかった独裁政治です。しかし、日本国民はこの事も知りません。
バブルが弾けて、平成不況が始まったのは、全ては官僚のせいでした。
土地の値段が異常高騰し、それを規制しようとした官僚は「総量規制」なる通知を出します。
これは、銀行に「土地を担保にした融資は控えなさい」という通知ですが、これにより土地の価格が下がって、日本の富は吹き飛びました。以後日本は不況の底でもがき苦しむことになったのですが、「総量規制」の通知は、法に基づいて出されたものでもなんでもなく、一部の官僚の独断で行われたのもので、完全な官僚の独裁です。
また、バブル後経済の悲惨な結果からも分かるように、「総量規制」は経済学の「ケ」の字も有りません。
ただ官僚が「金儲けをするやつはけしからん」程度のセンスで出したものです。
日本人は官僚はエリートで優秀であると思っていますが、その優秀なはずの官僚に、日本経済はズタズタにされました。
無能な独裁者に率いられた悲劇の大国、それが日本です。
一言で官僚といっても大きく分けて二種類あります。一つは家産官僚、もう一つは依法官僚です。
中世ヨーロッパの国王は、領主たちの既得権益の壁に阻まれて、税金すら自由に掛けることができませんでした。
しかし、時代が絶対王権になると、国王の権力が増して領主たちに自由に税金を課すことができるようになります。当時の官僚は、国王のプライベートの召使で、税金を集めて管理する担当者でした。
現在の官僚と違い、絶対王政時代の官僚は、あくまで国王のプライベートの召使なので、「公僕」という考え方がありません。
プライベートな召使い且つ、公の仕事もやる、という矛盾した存在なので家産官僚に公私の区別はありません。
とある中国の官僚は、国家予算十年分の財産を勝手に国民から巻き上げたりしています。
国王が国家の主権であるときは家産官僚で良いのですが、立憲君主制や民主主義の国家では、家産官僚では国家の統治が出来ません。
そこで生まれたのが法の下に働く、依法官僚です。依法官僚は完全に公僕です。
依法官僚の権限は完全に法によって規定されています。
「この法律は俺の権限で変更する」なんて事は有り得ません。
では、日本の官僚は家産官僚でしょうか、依法官僚でしょうか。
家産官僚の特徴は、公私の区別が無いことなので、日本の官僚は家産官僚に分類されます。
そのいい例が、銀行と大蔵官僚の関係です。
大蔵官僚はことある毎に銀行の経営に口を出します。銀行の利子率や、お客さんに配るカレンダーのサイズまで官僚の意思によって決められています。
公私の区別とか全くありません。
日本の官僚は、形の上では依法官僚ですが、実際にやっていることは完全に越権行為、公私混同の、紛れも無い家産官僚です。
そんな家産官僚(しかも無能)に支配された日本の景気が15年もの不景気に陥ったのは当然の話です。
古今東西官僚というものは、放っておけばどこまでも権力を肥大化させて腐敗していくものと相場が決まっています。
中国では貴族、宦官、御史台など知恵の限りを尽くして官僚の権力拡大を押さえようとしました。
御史台というのは「疑わしきは罰する」を原則とした官僚の職を捜査する機関です。
疑わしき官僚がいたら、死刑率100%で罰するという恐ろしい組織です。
そこまでしても官僚の害は完全には取り除けない、官僚とはそのくらい腐敗しやすいものだと認識しておく必要があります。
そんなに害のあるものならば、いっそのこと官僚制度そのものを止めてしまう・・・なんてことは近代国家ではできません。官僚の害を抑えるには、優秀な政治家が官僚をコントロールする必要が有ります。田中角栄がいい例です。
ではよい政治家を作るにはどうしたら良いか。そうやったら真のリーダーシップが生まれてくるか。
その答えは「いい政治家は、いい国民が作る」ということです。
しかし日本国民は、戦後のデモクラシーを自ら放棄し、田中角栄を暗黒裁判にかけ、官僚の跳梁跋扈を許してしまっています。
家庭では親が子を殺し、子が親を殺す、学校では学級崩壊が頻発し、若者を注意しようものならナイフで刺され、警察官自ら不道徳な犯罪を犯す国家になってしまっています。
今の日本は例えるなら、パイロット無きジャンボジェット、船長無き巨船の如し、いつ沈没してもおかしくない状態です。
何故ここまで日本はひどい状態になってしまったのか。
そのことを考えるとき避けて通れないのが「戦後デモクラシーの構造的欠陥」です。
これについて後編で書きます。シリーズの総まとめです、乞うご期待。
http://blog.goo.ne.jp/masedaisuke/e/f6ee1c281229bf591b76135f9153d556
シリーズ憲法‐宗教L 憲法はよみがえるか 後編
シリーズ憲法‐宗教 | 2007-02-28 01:40:19
さて前回は日本は、国民が感じているよりはるかに、危機的な状況に陥っているということを書きました。
では、何故ここまで日本はひどい状態になってしまったのか。
そのことを考えるとき避けて通れないのが「戦後デモクラシーの構造的欠陥」です。
ご存知のとおり、戦後日本の憲法はGHQ→アメリカ人によって作られました。アメリカは独裁者を生みづらい民主主義を作るなど、世界に誇る民主主義国家ですが、そこで育ったアメリカ人は、民主主義が生まれたときから当たり前のように存在しすぎて、民主主義を学問的に研究するということに関しては、およそ相応しくない人たちです。
ウエーバーもマルクスもドイツ人だし、民主主義に関する名著でアメリカ人が書いたものはありません。
ついでに言うと、日本国憲法の素案を作ったGHQのメンバーには、憲法の専門家はいません。素人集団です。
そんな彼らが日本の憲法を作るときに注目したのは、大日本帝国憲法には「天皇教」などという摩訶不思議なものが存在したということです。
大筋で機能していた戦前の憲法から「天皇教」を取り除いてしまえば、日本の憲法はすばらしいものになるに違いないと無邪気に考えたGHQの憲法創設メンバーは、天皇教の役割も知らないのに、徹底的に解体して現在の日本国憲法にしました。
大日本帝国憲法をよく知っている人は、軍部が暴走した部分などを修正することで、日本に合ったいい憲法が出来るであろうと考えていたし、実際にその通りでしょうから、当然日本サイドは大反対しました・・・・・・・が、何せ敗戦国ですから黙ってアメリカ様に従うしかありません。
民主主義には「平等」という概念が欠かせません。
天皇教は強力な身分制度が存在した明治以前の日本人に「天皇の下の平等」を教えるために導入されました。絶対的な神様である天皇からみたら、人間の間の身分の差なんて小さなもんだ、ってことです。
ところがGHQの作った憲法は、いきなり「平等」だけを押し付けました。
憲法で言う平等というのは「身分からの平等」のことです。身分によって、就職や就学の、選挙などのチャンスに不公平が生まれないようにしましょうって事です。
ところが、戦後日本の平等は「結果の平等」というゆがんだ形で伝えられました。運動会でみんな手をつないで一緒にゴールしましょうとか、主要銀行はみんな潰さないようにしましょう、とか。こんなものただの悪平等です。
同じことは「自由」についても言えます。
自由とは「何をしてもいい」という意味に解釈されて、最近では人を殺すを主張する子供まで出てくる始末です。
憲法で言う自由というのは、専制君主や絶対君主の「権力の制限」という意味です。
権力者によって生命や財産を勝手に徴収されませんよ、って意味です。これをどう解釈しても「殺人の自由」なんて有り得ません。日本で使われている「自由」という言葉は「放埓」の間違いですな。
何でこんな誤解が生まれてきたのでしょう。欧米人たちは自由も平等も権力から勝ち取りました、その前提になっているのは権力との戦いです。
けど、日本はいきなりアメリカに人権をもらいました。だから、戦後の日本人は権力を監視することを忘れてしまいました。官僚の件がいい例です。
天皇という機軸が失われた日本は、アノミーという社会の病気にかかりました。
フランスのデュルケムという社会学の始祖が発見したものです。
経済が落ち込んでいるときに自殺が増えるのは、直感的に理解しやすいところですが、実は経済が上向いているときも自殺は増えるんです。
それは、豊かになって生活スタイルが変化するために、今までの人間関係、「連帯」を失うために起こります。
これを単純アノミーといい、個人ではなく社会の病気です。
アノミーはこれ以外にもあって、中でも深刻なのは世の中の「権威」が否定されることによって起こる「急性アノミー」です。
権威とは、何が正しくて何が正しくないかを決める存在です。
実は人間は何が正しいかをはっきりさせないと、人間らしく生きられない生き物です。
その正しいものをはっきりさせるのが他ならぬ「権威」ですが、権威の無い世の中では人はどんな風に人間らしくなくなるのでしょうか。
例えば一次大戦後のドイツ。
ドイツは敗戦によって皇帝は逃げ出すわ、宗教は力を失ってしまうは、それまでの権威が全部否定されました。
その結果、若者たちは愚連隊になって暴れまわる、エロ・グロ・ナンセンスが横行する、ある人は動物的に、ある人は植物のように動かなくなりました。
戦後の日本も正しく同じ状態になりました。権威の象徴であった天皇教が否定されたからです。
何が正しのか「人間としてのガイドライン」が無くなった日本は急性アノミー、社会の病気にかかります。
最近ニュースでよく聞きませんか?どこにでもいる普通の人が突然クラスメートを殺したり、自分の子供を殺してみたり。
正常な人が突然異常な行動をとる、これが社会の病気、アノミーです。
今の日本は戦前のドイツなどとは比べ物にならないくらいの未曾有のアノミー社会です。そしてその原因を遡っていけば、権威を否定した日本国憲法にたどり着いてしまうというわけです。
三島由紀夫は自衛隊の市ヶ谷駐屯地で切腹して死にました。
その行動の元になったのは天皇の人間宣言に対する抗議です。
三島由紀夫は、現在の日本の状況を見越していたために、切腹して訴えかけたのですが、三島の想いもむなしく、日本は未曾有のアノミー天国です。
長きに渡って書いてきたシリーズ憲法-宗教ですが、最後の締めくくりは日本国憲法の抱える問題点を浮き彫りにして終わることになります。
残念ながら憲法の問題は簡単ではなく、こうすれば解決できます、という答えは分かりません。ごめんなさい。
普段何気なく暮らしている日本の抱える問題を、一度真剣に見直して、自分たちの住んでいる国が、今まさに亡国の淵に立っているという現実を直視すること、現実の深刻さを見つめることからこの国を立て直すスタートにしたいと思います。
最後に。
このシリーズは小室直樹著、「痛快!憲法学」(集英社インターナショナル)の内容から全部書かれています。
是非、本家本元を読んでみて下さい、もっと詳しい話が、もっと説得力を持って書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/masedaisuke/e/8e37f02806fdbc4648ba065657edef62