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ある小学校教師の特別授業【東京新聞】
2007年8月15日
半世紀近く前の話である。武蔵野台地の一角、東京都小金井市立第四小学校の六年二組の教室で、担任の伊山節雄先生は黒板に日本国憲法の前文を書いていた。三十人あまりの子どもたちがじっと見つめる。力強い文字が白墨の先で躍っていた。
「みんなはまだ意味がよく分からないかもしれないけれど、これはとても大切な文章です。ノートに書いておきましょう」。日ごろ明るく愉快な先生の顔が真剣だった。子どもたちは顔を上げ下げして一生懸命に書き写した。
「日本国民は」で始まる文章は、書くことも読むこともつっかえがちで難解だった。だが国民主権とか戦争放棄などの言葉はなんとなく頭の片隅に刻まれた。畑や野川などで遊んでばかりいた子供にも、あの授業が特別だったことを強く心に残したものだ。
それから長い年月がたった。進学や就職、結婚、子供・孫の誕生など、還暦を迎えたどの児童にも人並みの人生があった。教育を受け職業を選択し自由意思で結婚するなど、憲法で保障された自由と権利を十分に享受してきた。
数年前、卒業以来初の小学校の同窓会があった。伊山先生も出席され、現在の仕事や家庭生活などを報告する教え子たちのさまざまな人生を喜んでいた。しかしほとんどが、前文を書いた授業は覚えていないと語っていた。
だが、と思う。子供たちは忘れても、憲法の精神はしっかりと根を張っている。戦後六十二年、戦争の悲惨さが風化しかねない現在、あの授業は今日を予想した究極の平和教育だったのではないか−。同窓会後間もなく亡くなられた先生に、真意を聞いておくべきだった。 (大沢 賢)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2007081502041125.html