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2007年07月18日
◆被爆者として/07参院選〈上〉◆
『久間氏発言』
今まで積み上げてきたものは何だったのか。
米国の原爆投下は「しょうがなかった」という久間前防衛相の発言を知った時、長崎市の深堀好敏さん(78)は無力感に襲われた。
「そういう考え方もあるのか、と子どもたちが混乱してしまうかもしれない」。被爆体験を伝える40年の活動が、否定されたような気がした。
1945年8月9日。今で言う高校生だった深堀さんは、家屋の取り壊し作業のため、軍の命令で、長崎市内の県疎開事務所に足を運んだ。
一瞬の白い光、爆音。その後の記憶は、思い返すのもつらい光景ばかりだ。爆心地から1キロほど離れた自宅にたどり着くと、18歳だった姉が、家のはりを抱えるようにして亡くなっていた。
病院の事務員として働いていた69年、市の被爆に関する調査にかかわったのをきっかけに、修学旅行の高校生らに被爆体験を語り始めた。被爆の実相がよりリアルに伝わるようにと、写真の収集も続けている。
高校生からは「写真を見て話を聞くと、悲惨さがよくわかった」という感想も寄せられる。
語り部の中には、被爆体験に加えて「憲法9条」への思いを語る人もいる。だが、深堀さんはあえて憲法について語ってこなかった。「被爆体験を聞けば、二度と戦争を繰り返さないと誓った憲法の大切さを実感してもらえる」。そう考えてきたからだ。
だが、深堀さんは最近、もどかしさも感じる。それだけで十分なのか。
修学旅行を引率する一部の教師からは「憲法とか難しい話ではなく、被爆体験だけを聞きたい」という意見が語り部に寄せられることもある。国会では、憲法改正を目指す動きが着実に進む。
「憲法9条の持っているメッセージはどうすれば根付くのだろうか」。深堀さんは自問自答を繰り返している。
■ ■
「あの生き地獄を仕方ないと言えるのか」。長崎市に住む被爆者の女性(69)も久間氏の発言に憤っていた。
被爆したのは7歳の時。記憶は鮮明に残っている。重ねられて燃やされる死体、包帯をまかれた両腕からわき出るウジ。思い出すのもつらくて、娘や息子たちには体験を語れずにきた。
考え方が変わったのは、小泉政権時代。かつての戦争を美化するような発言が許せなかった。怒りとともに、こみ上げてきたのは「被爆体験が伝わっていない」という危機感だった。
参院選が始まってから、候補者や各党幹部の訴えには耳を傾けている。だが、年金問題の陰に隠れ、肝心の憲法論議が素通りされているように思えてならない。
「絶対にもう戦争は嫌。今、私たちが声をあげなければ、訴えることも出来ずに死んでいった数十万の命が浮かばれない」
※ ※ ※ ※ ※
「憲法改正」が争点の一つとなっている今回の参院選。公示直前には、久間前防衛相が原爆投下をめぐる発言で大臣辞任に追い込まれ、国会議員の歴史認識も問われている。被爆者たちは、どんな思いで一票を投じようとしているのだろうか。