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9条改憲を許さない 6.15共同行動に1200人
梅雨晴れの6月15日、東京都心で「9条改憲を許さない 6.15共同行動」が闘われた。午後2時、山手線の5つの駅から国会に向けてリレーウオーク(小デモ)を行い、夕方、衆議院の面会所で9条を中心とした憲法改悪反対を請願。その後、国会南通用門前で60安保反対闘争で殺された樺美智子さんの遺影に献花。午後6時、日比谷野外音楽堂に60年安保条約に反対した老人たちを中心に1200人が集まり、「子供や孫たちを戦場に送るな」と口々に元気な訴えを行った。再び戦争を進める自民党の安倍政権がたくらむ改憲を阻止しようと決議した。そして、改憲ノーを叫びながら銀座へデモを行った。高幣記 詳報(佐藤浩一)・写真・感想(攝津)
http://www.labornetjp.org/news/2007/615kaikenno/
私たちの9 条改憲阻止の闘いは広がり、何かが弾けた
報告:佐藤浩一(9条改憲を許さない6.15共同行動実行委員会)
日比谷野外音楽堂での6・15集会参加者が、1000名(最終1200名)を超えたことが司会の淵上さんから報告されたのは、開会間もなくのことだった。そして1200名の銀座デモ。一年前の6・15デモは約200 名余、一年でざっと5 倍以上だ。デモは午後8 時前に会場を出発、昨年の10.21 とは逆のコースを通って、夜の銀座外堀通りに出、銀座8 丁目、4 丁目、東京駅八重洲口前を経て、常磐橋公園に至った。時間も遅く、金曜日ともあって銀座の街は華やいでいたが、「9 条改憲をゆるさない」と訴える大きなデモには驚いた様子だった。
集会での私の隣には、今までの呼びかけからは漏れていた女性が二人参加していた。デモでは前列に、予備校の教師と教え子と思われるグループが賑やかに行進していた。「○○さんも△△さんもいましたが、佐藤さん会いましたか」との声がかかる。呼びかけ人に名を連ねていたものの参加はないと思われた人にも出会った。…確かに何かが変わった。1960年の6・15ではブント系全学連とは対立しながら安保闘争を闘っていた全自連の委員長だった黒羽純久さんの、病と闘いながらの9 条改憲阻止への熱い決意表明もそうだ。私たちの9 条改憲阻止の闘いは、より広がる方向に向かい、その内部で何かが弾けたのではないか。
↑ 国会請願 社民党・保坂展人議員に請願書を渡す(衆議院議員面会所)
集会の内容も工夫されたものであった。開場と同時に始まったミュージックのアトラクションは、会場に和やかな空気と一体感をつくりだした。望月彰さんの6・15の歌や、松平さんのデモにおける歌の歌唱指導も良かった。そして開会。小川登さんの開会挨拶、蔵田計成事務局長の経過報告、保坂展人社民党衆議院議員の連帯の挨拶は、それぞれにこれまでの経過をふまえた、重厚なものであった。それに続くジャーナリスト斉藤貴男氏は安倍内閣による改憲への危険な動きを告発、安次富浩氏による沖縄からの特別発言−辺野古での米軍基地拡張と沖縄戦での集団自決にかんする叙述の削除を求める教科書検定との闘いの報告、作家・雨宮処稟さんによる、いま若者が置かれている憲法25条からほど遠い厳しい生活環境、そして若者を過酷な運命に陥れる9 条改憲への強い反対の意思表示がつづいた。会場からは、共感の拍手が呼応した。
↑ 1960年6月15日、樺美智子さんは国会南通用門で警官隊によって殺された。その場所で遺影の前で献花・黙とう
今年の6・15集会への大きな柱となったのは、経過報告にもあった3 月20日〜5 月2 日にかけての改憲手続法に対する国会前の連続ハンスト・座り込み闘争であった。この闘いには延べ1000人を超える人々が参加した。すべてを国会内の与党の数−度重なる強行採決で押し切る政治に対して、とりわけ教育基本法、国民投票法、年金、政治資金…とつづく現状に対して私たちの議会外の直接行動の意味するところは大きい。事実座り込み現地を通りかかる市民からの共鳴は勿論、北海道から、福岡から、関西からとこの行動への参加者も全国化した。
↑ 集会では多くの人々が憲法改悪を阻止する決意をさまざまに力強く語った
そしてその流れは、まず今日の集会に先立ってもたれた5つのコース(上野、お茶の水、高田馬場、新宿、渋谷の各駅からの)をとっての国会へむけての宣伝リレーウォーク(それぞれ20名前後が参加)として、そして国会請願から南通用門での樺美智子さん追悼集会として本集会を盛り上げた。この企画を立案し、その先頭にたった正清太一さんの報告は、より大規模な全国からのウォークの提案と共に大きな拍手に包まれた。ひきつづき、各地からの、各層からの発言があり、また国会前闘争に皆勤した篠田常木さんの二人の孫を連れての登場、国会前ニュースの責任者三上冶氏のパソコンネットを使っての通信活動報告、50〜60年世代を代表しての下山保氏の高齢者ならではの智慧を使った闘いのアピールがあった。反原発運動・たんぽぽ社の柳田真氏からの核武装への危険な動きへの警戒を訴える発言時に、9 条ネットの成島忠夫さんが舞台の端に愛嬌たっぷりに登場したのに、気づかれただろうか。
↑ 主催者から「3〜5月、国民投票法の成立を阻止するために32日間のリレーハンストに延べ1000人余が参加した」と報告された
集会を締めくくったのは、塩川喜信さんの「集会宣言」。「自衛軍の保持」を内容とする9 条改憲への動き、並行しての「集団的自衛権」の見直し…を許さない、9 条改憲阻止の一点で結集した運動。そうした闘いを支える私たち一人ひとりの個人としての行動と、暴力的対立抗争までも含んだかつての運動の内部抗争の持ち込みを許さない、小異を残して大同につくという共通の了解。3 年後にも予測される憲法改定の発議にむけての闘いの決意。この宣言は大きな拍手をもって確認された。
↑ 主催者の予想を超えた1200人の参加者は日比谷野外音楽堂の3分の1の座席をはうずめた
↑ 集会宣言を読み上げる塩川喜信さん(元全学連委員長)
↑ デモ出発(日比谷公園)
↑ 銀座デモ
写真:高幣真公