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国会より“内閣がえらい”日本−国民投票法案審議で改めて知る【JANJAN】
2007/05/15
14日の国民投票法の可決成立で、憲法を巡る局面は一気に転換した。
憲法第9条の「不戦」「戦力不保持」を手直しすることを宿願としてきた自民党議員などにとって、改憲は「いつの日か」から「早ければ2011年秋に」という具体的なスケジュールを数える段階に移った。<憲法>は、首相みずからによって7月の参院選の争点に選ばれ、現実政治の表層に浮かび上がってくる。
にわかに私がJanJan市民記者となって、3月末から1か月余り、この法案審議の傍聴で国会行きを繰り返しながら、日本国憲法を巡る状況を報じてきた ― その間に改めて実感したのは、国会と内閣との、いかにも日本的な関係である。一言にいえば、「国権の最高機関」(憲法第41条)であるはずの国会より、内閣の方が“えらい”。
この法案審議の幕切れ、11日の参議院憲法調査特別委員会に安倍首相が出席して演じた“手打ち劇” は、このことをつぶさに表わしていた。“首相出席の下”の審議は、円満決着に向けて前日に行われた自民党と野党第一党、民主党との間の合意に沿ってのことで、重要法案審議締めくくりの通例である。
しかし、いかにも奇妙なことでもあった。この法案は内閣が提出したいわゆる<閣法>ではなく、与党、自民・公明両党による議員提出法案だ。にもかかわらず、内閣を代表する総理大臣が、審議の締めくくりに“出張ってきた”のである。法案を提案した自民党を代表する議員として、ということかもしれない。が、関谷勝嗣・委員長は、安倍氏を終始「内閣総理大臣」と呼び続けた。
もっとも、予算委員会質疑で予算に触れられることがほとんどないように、国民投票法案自体についての質疑は、首相退席後の<一般質疑>に譲られている。要するに“首相に出てきていただく”、“首相と直接やり取りさせてもらう”ことで、「憲法制定以来60年の懸案」に決着をつける “手打ち”が成り立っていたわけである。
国会が“内閣の風下に立っている”のを、まざまざと見せ付ける場面であった。安倍氏は、こうして与えられた場を、改憲に向けての好機とした。<憲法>を参院選の争点にしたことを難ずる民主党などの野党議員に対しては、「既にできている自民党の改憲案を国民に訴えるのは、誠意の表れだ」と、心地よげに逆襲していた。
「過半数は、国会議員の中から選ばれ」(憲法第68条)るとされている内閣の、その長であるとともに、与党の総裁でもあるという鵺的性格を使い分ける答弁 ― これまた内閣総理大臣が議場に出てきたときの通例である。11日の参院特別委では、安倍氏が集団的自衛権行使を違憲としてきた内閣法制局見解の変更に直進する姿勢を見せていることに対して、「公務員の憲法尊重義務」(憲法第99条)違反だと社民などの野党議員が難じた。
が、安倍氏は、「国のかたち、未来を描く憲法について語るのは、政党のリーダーとして当然だ。しかし、行政府の長としては、当然憲法を護っていく」と、少しもひるまず一人二役を演じた。手続き法案の審議から、「内閣」が前面に出た改憲案の審議に、一足飛びに転じたかと思わせるやりとりでもあった。
法案審議のなかではさらに、「国会が発議し、国民に提案してその承認」(憲法第96条)を得る、という国会と国民との“直接対話”が規定されている改憲手続きにも、内閣が首を突っ込む可能性が予見された。国民投票法案の審議自体に官僚が前面に出てくることは、さすがになかった。が、国民投票の元になる憲法改正案を、内閣が提案する可能性が、真正面からではないまでも、官房長官や与党議員の発言の中に出てきている(JanJan『改憲も官僚立法で?』2007/04/03)。
「国の唯一の立法機関である」(同41条)国会の“上前をはねる”内閣は、しかし、その法案や予算案の立案を、選挙で有権者にえらばれる議員とは全く異なる官僚によって実質的には支配されている。この1か月余りの国民投票法案の審議では、いつもと違ってその官僚の姿を議場で見ることはほとんどなかった。
しかし、たとえば、「内閣総理大臣を最高指揮官とする自衛軍を保持する」(自民党<新憲法草案>、2005/11/22)といった自民党の9条改憲案を、正式の条文としていくような段階では、内閣法制局を中心に、外務、防衛両省の立法審査エリートで構成されるチームが動き出し、実質的には改憲条文作りの主軸となっていくのではなかろうか。そこまでくれば、内閣総理大臣もまた、官僚の“手のひらの上で踊る”ことになるだろう。
(安藤博)
http://www.janjan.jp/government/0705/0705145466/1.php