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http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/consti/news/200705/CK2007052202018047.html
【試される憲法】
2007年5月22日
三十年近く前、東京の区立夜間中学の社会科の授業を見学した時のことです。憲法の勉強の中で一三条の幸福追求権が問題になった。「いったい幸福って何のことなんだ?」と先生が質問する。あやふやな答えしか返ってこない。美容師の資格を取るために通っている二十歳の無口な女の子が最後に当てられてボソリと答えた。「お金だろ」。先生がうれしそうに「よし、一番いい答えだ。おまえは正直に思っていることを言ってくれた」。
さあ、これからどう授業を進めていくのだろうかと、ぼくはゾクゾクしたものです。「お金で買えるものなら、使えば無くなってしまう。しかし、幸福は品物のように無くなるものか」と続き、その面倒な問題を学ぶために学校があるんじゃないか、と授業は進んだものでした。
九条ばかりが焦点になっていますが、憲法をよく読めば条文一つ一つに歴史の積み重ねや教訓がある。ぼくらは歴史に学ぶということをしなくては。第二次大戦はなぜ起きたのか、原爆を落とさなくては戦争は終結しなかったのか、それにしてもなぜ二発落としたのか? そんな疑問をぼくたちは持たなければ。
八月の暑い日に熱線を浴び、燃えあがる通りを市民が水を求めてはいずり回った地獄の苦しみの絵図を、平和憲法の背後にイメージすることができるはずです。
押しつけ憲法だから変えなければ、という言い古された俗論をいまだにこの国の為政者たちは口にしてはばからない。戦後の大混乱の中で、日本に民主主義という素晴らしい制度を伝えてくれたのはアメリカ。中学生だったぼくは、すきっ腹を抱えながらも「ああ、日本は今にスイスのようなすてきな平和国家になるんだなあ」と希望を抱いたものだけど、その民主主義も押しつけだから改正すべきなのか。
最近、家族や地域のきずな再生なんて政治家が言います。いろり端で家族が一緒に笑い、ぬくもりを感じる。現実には日本の家庭がみんな、そんな幸せを体験しているわけではない。戦前は、長男だけが大事にされ、二男以下はクズ扱い。姦通(かんつう)罪なんて女性差別もあった。「昔の家庭は温かかった」とひっくるめるのは問題がありますね。
どうすれば国民は幸せな暮らしができるのか、できていないなら、何が問題でどう解決すればいいのかを議論するのが国会です。老人や障害者にはつらい時代です。安心して年をとれる国ではなくなりつつある。なぜそうなのか? 憲法改正などという問題は二年でも三年でもかけて国民的な議論をすべきなのに、なぜ追われるように急ぐのか。なぜ「美しい国」なのか。抽象的なスローガンをいくら叫んでも、暮らしには反映されないのではないでしょうか。
やまだ・ようじ 1931年大阪生まれ。東大法学部卒業後、松竹入社。「男はつらいよ」「学校」シリーズのほか「家族」「幸福の黄色いハンカチ」などのヒット作を生み、数々の映画賞を受賞。次回作は吉永小百合さん主演の「母(かあ)べえ」。75歳。