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はっきり言って「現憲法は権力サイドに軽視されてしまっている」とKは思う。
武力放棄が謳われているのに「自衛隊の装備はかなりの物」だし、その「自衛」のための部隊が「自国を離れて、遠くイラクの地に行っている」
その間も「自国を守るに十分な部隊が有る」との判断がされたから「行けた」のだろう。
君が代強制も「来賓」への強制までエスカレートしてきた。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-April/012684.html
Kに言わせると「実力行使・勤務時間内の職務放棄」という手法の性質に問題があるから対立に感情が入り「双方とも引くに引けない意地の張り合い」になってきたという部分もあるだろうと思うが「思想・信条の自由を保障しているはずの憲法」の存在は置き去りにされている。
来賓を「不起立」を理由に差別するのなら、360度どこから見ても「憲法違反」だろう。来賓には「勤務時間内の職務放棄」を問う事はできないのである。
「党議拘束」という党組織による「投票の強制」も個人の自由な投票権を保障している憲法に明確に違反しているのに「公然とまかり通っている」
これらに代表されるすべての事は「権力サイド」の考えでは「現憲法は敗戦国として押しつけられた憲法であって、『一度も国民的な承認を受けた事はない』という無意識の軽視によって尊重されていない」という部分があると思う。
国民的な承認を受けていないがため、自民党の「支持層」となっている「一部の戦前からの価値観を引きずっている人たち」の価値観によって、見えないもう一つの「憲法」が権力サイドの「共通認識」の中に形成されてしまっているのだろう。
それを打破するためには「現憲法に国民の承認を与え、自民党(権力サイド)の価値観を否定する」と言う事が「通過儀式」になるのだろうと思う。
権力サイドが「国民無視の政策をするのをストップさせるには、まずは、現憲法の国民の多数たる承認が必要」なのであろう。
その意味から、改憲の議論から逃げてはいけない。
もちろん、負けてもいけないのだろう。